一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

ロッテのチーム改革が始まった



江藤にとって人生最良の日になるはずが

 今回は『1971年10月25日号』。定価は90円。

 親分・大沢啓二は、めぐり合わせなのか、2度、大きなチームの変革期に指揮を執った。
 1度目がロッテ監督時代の1971年オフから72年、そして2度目が日本ハム監督の1期目、旧東映勢が排除され、23人の新人・移籍選手が加わった1976年だ。
 ただ、三原脩球団社長の下、中西太監督がいわば汚れ役をした後で就任した日本ハム時代と違い、このときは、現役指揮官として、その渦中にいた……。

 71年、2位に終わったロッテ。同年途中から指揮を執った大沢監督は、5年契約を結び、大胆なチーム改革に着手する。
 中村長芳オーナーは「これからロッテ王国を築き上げる」と言っていたが、70年優勝、この年は2位。もともと弱くない。要は、永田雅一前オーナーの色をすべて消し、新たなスターを切りたいということだったのだろう。

 動き始めたのは、10月6日、ロッテ─南海の最終戦だった。
 試合終盤、記者たちはロッテの広報から「試合後、オーナーから2、3の発表があるそうなので社長室に集まってください」と言われた。
 すぐさま「江藤慎一と大洋・野村収のトレード」と察したという。これは大洋側から情報が漏れていたためだ。17時に両球団が同時発表の段取りになっていた。

 実際、17時に大洋からトレードの発表があったのだが、ロッテは試合が延長戦となり、13回裏、スクイズでサヨナラ勝ちしたときには、すでに17時半になっていた。

 試合後、選手はユニフォーム姿のまま球場内の食堂で打ち上げの乾杯。中村オーナーは、簡単なあいさつの後、この日は試合に出ず、黒い球団ブレザーを着ていた江藤を指さすと、
「来シーズンから江藤が大洋ホエールズでプレーすることが決まりました」
 と記者会見より早く発表した。
 江藤にとっては、史上初のセ、パ両リーグでの首位打者が確定した日、しかも34歳の誕生日だった。

 記者に囲まれた江藤は吐き捨てるように言った。
「ワシは打撲傷をおして、ファンサービスのためにも出場するつもりでいた。楽しみにしていたんだ。誕生日も重なって、これこそわが人生最良の日と思っとった。そしたら今朝、大沢監督から、来年から大洋でプレーしてくれと言われた。そのときワシは脳天をバットでガンと殴られたような気がしたな」

 その後、社長室で記者会見。中村オーナーから江藤と野村の1対1のトレード、新一、二軍コーチングスタッフ、濃人渉二軍監督を役員待遇として、球団総務およびチーフスカウトにすることが発表された。
 もったいつけるわけではないが、この話は長くなる。また次回以降に回させてもらおう。

 では、また月曜日に。

写真=BBM