スラッガーに求められるのは一発で試合をひっくり返すような長打力。たとえ三振が多くても、それ以上に本塁打を打てば周囲を納得させられるものだ。そのため、過去には「打率がものすごく低い本塁打王」も登場した。今回は、「最も打率が低かった本塁打王」は誰なのかを調べてみた。

懐かしの助っ人が歴代最低打率での本塁打王



広島・ランス

 2リーグ制となった1950年以降を対象に、最多本塁打のタイトルを獲得した選手の打率を調べてみたところ、低い順にTOP10は以下のようになった。

第1位 リック・ランセロッティ(広島/1987年)39本塁打、打率.218
第2位 クラレンス・ジョーンズ(近鉄/1974年)38本塁打、打率.226
第3位 ウラディミール・バレンティン(ヤクルト/2011年)31本塁打、打率.228
第4位 中村剛也(西武/2012年)27本塁打、打率.231
第5位 中田昌宏(阪急/1961年)29本塁打、打率.238
第6位 クラレンス・ジョーンズ(近鉄/1976年)36本塁打、打率.244
同6位 中村剛也(西武/2008年)46本塁打、打率.244
第8位 藤本勝巳(大阪/1960年)22本塁打、打率.252
同8位 ラルフ・ブライアント(近鉄/1993年)42本塁打、打率.252
第10位 宇野勝(中日/1984年)37本塁打、打率.253

 その年のシーズン打率が最も低かった本塁打王は、広島の「ランス」ことリック・ランセロッティだ。1987年、ランスは加入1年目ながら6試合連続本塁打などとにかく打ちまくり、終わってみればリーグトップの本数を記録。一方で三振も114個と多く、打率は.218と打撃タイトル獲得者とは思えないほど低かった。

 ランスの次に低かったのは南海、近鉄でプレーしたジョーンズ。NPB8年間で246本塁打と優れた長距離砲だったものの、「扇風機」というあだ名が付けられるほど三振や凡打も多く、毎シーズン打率は2割台前半を記録した。南海時代の1972年には打率.292と好調の年はあったが、それ以外のシーズンは軒並み低く、本塁打王になった1974年、1976年も2割台前半と低迷した。

 NPB最多のシーズン60本塁打の記録を持つバレンティンは、来日1年目の2011年に31本塁打でタイトルを獲得したが、一方で三振はリーグワーストの131を記録。打率は.228と低かった。この数字はこの年の規定打席到達者の中で最も低く、1987年のランス、1974年のジョーンズに次ぐ、史上3人目の「打率最下位の本塁打王」となってしまった。

懐かしの助っ人が歴代最低打率での本塁打王



2012年の西武・中村剛也

 TOP3は外国人助っ人だが、日本人では西武の中村剛也が4位に入っている。2012年の中村はとにかく調子が上がらず、一時は129打席も本塁打が出なかった。それでも徐々に調子を取り戻し最終的に27本塁打を記録。ライバルが本塁打数を伸ばせなかったことも追い風となり、打率は.231と低迷したものの、2年連続での最多本塁打のタイトル獲得となった。中村は2008年にも46本塁打でタイトルを獲得しているが、三振はリーグワーストの162を記録。まさに「三振か一発か」というシーズンだった。

 5位の中田昌宏も、タイトルを獲得した1961年は29本塁打を放つも、三振は121個でリーグワースト。8位のブライアント、10位の宇野も同様で、本塁打数は多かったが、それにも増して三振も多く、打率は低迷した。特にブライアントが1993年に記録したシーズン204三振は、今なお破れていないNPB歴代最高だ。

 2020年8月23日終了時点でパ・リーグの本塁打ランキングトップは日本ハムの中田翔。20本塁打で打率.254となっている。また、中田と4本差の16本で3位タイの西武・山川穂高も打率.240とこちらも「三振か一発か」という成績。今後の展開次第ではあるが、「打率が低かった本塁打王」のランキングに入る可能性は十分にある数字だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM