9月29日現在、リーグ2位の22本塁打を放っている大山

 現在リーグ2位の阪神打線をけん引するのが大山悠輔だ。本塁打ランキングトップは巨人・岡本和真の23本だが、大山は1本差の2位と奮闘しており、今後の成績次第では最多本塁打のタイトル獲得が期待できる。もし本塁打王となれば阪神としては34年ぶり、6人目の快挙となる。今回は、阪神の歴代本塁打王を紹介する。

プロ野球元年に獲得した初代「ミスタータイガース」



阪神で初めて本塁打王に輝いた藤村

 阪神(大阪)の選手で初めて本塁打王になったのは初代「ミスタータイガース」こと藤村富美男だ。日本プロ野球がスタートした1936年に2本の本塁打を放ち、阪急の山下実、名古屋の古谷倉之助とともに本塁打王となった。つまり、藤村は阪神の選手としてだけでなく、日本プロ野球初の本塁打王でもあるのだ。

 藤村は同じく1リーグ時代の1949年には46本、2リーグ黎明期の1953年にも27本で最多本塁打のタイトルを獲得。阪神の選手では最多タイの3度の本塁打王になっている。このように強打で知られる藤村だが、1936年は開幕投手を任されるなど、そもそもは投手。しかし、野手不足から内野手としても起用され、1937年から二塁手として主に出場するようになった。

 プロ野球2年目の1937年には、阪神(大阪)の初代主将・松木謙治郎が4本塁打で、最多本塁打のタイトルを獲得。また、本塁打以外にも打率.338で首位打者にも選ばれたほか、当時表彰はなかったが、70本のリーグ最多安打も記録している。松木は1940年から選手兼任監督となり、翌年現役を引退。その後2リーグ制となった1950年に再び阪神の監督に就任し、翌1951年には現役復帰も果たしている。

 1950年に2リーグ制となって以降は、先述のとおり1953年に藤村が3度目の本塁打王に輝く。それから7年後の1960年、阪神から3人目の本塁打王が誕生した。それが藤本勝巳だ。当時は巨人の長嶋茂雄、中日の森徹などライバルは多かったが、藤本はシーズン22本塁打を放って見事にタイトルを獲得。また、打点もリーグ最多の76打点を挙げ、二冠王に輝いた。以降はタイトルを獲得することはなかったが、1962年にはチーム初のリーグ優勝にも大きく貢献している。

阪神が誇る大砲が王の快進撃を止める



滞空時間の長い弾道を放つ田淵は天性のアーチストだった

 1960年代、1970年代のセ・リーグ本塁打争いは、巨人・王貞治の独壇場だった。王は1962年に初の本塁打王になると、そこから1974年まで13年連続で同タイトルを獲得。しかし、その快進撃を止めたのは阪神の大砲・田淵幸一だった。前年に自己最多の45本塁打を放っていた田淵は、この年は死球で手首を負傷するなどトラブルに見舞われたものの、終わってみれば王に10本もの差(王が不調ということもあったが)をつける43本塁打を記録。念願のタイトル獲得と同時に王の快進撃をストップさせた。

 1979年には四代目ミスタータイガース・掛布雅之が、48本で最多本塁打のタイトルを獲得。もともと掛布はそこまで高い長打力を持つ選手ではなかった。しかし、阪神の主砲だった田淵がチームを離れたことをきっかけに徹底した肉体改造を行い、卓越した打力を身に付けたのだ。その後、掛布は1982年(35本)、1984年(37本)にも最多本塁打のタイトルを獲得している。

 1985年は、今なお史上最強の助っ人と称されるランディ・バースが最多本塁打のタイトルを獲得。入団1年目は序盤に大不振に陥り退団の危機を迎えたが、2年目は打率.326、27本塁打とコンスタントに活躍。迎えた3年目、1985年は打率.350、54本塁打、134打点で三冠王となった。さらに翌1986年も外国人選手では初となる2度目の三冠王になり、阪神だけでなくNPBの歴史にもその名を深く刻み込んだ。

 このように阪神はこれまで通算6人の本塁打王を輩出しているが、バースが本塁打王となってからは37年間出ていない。さらに、日本人選手・生え抜き選手での獲得となると掛布以降は出ていないのだ。ここまで長い間「ご無沙汰」なのは阪神のみ。果たして大山は本塁打王となり、チームの不名誉な記録を止めることができるのか、今後のバッティングに注目だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM