メジャーのスカウトも注目したミート力



西武で打撃の潜在能力が開花した石井

 プロ18年間の現役生活で規定打席に到達したのは1度のみだが、通算打率.290で「打撃の天才」と称された選手がいた。横浜(現DeNA)、西武、巨人と3球団を渡り歩いた石井義人だ。

 石井のミート能力の高さは浦和学院高のときから注目されていた。エース・三浦貴(元巨人)と四番の石井がチームを引っ張り、3年春夏に甲子園に連続出場。夏の甲子園終了後に日本代表として参加した米国遠征で20打数11安打、打率。550と活躍し、日本の優勝に貢献した。高校生離れした打撃技術をメジャー球界も高く評価し、マリナーズのスカウトが入団交渉を持ちかけるほどだった。


横浜では6年プレーした

 ドラフト4位で横浜に入団し、1年目の97年から一軍デビュー。00年には41試合出場で打率.328をマークした。非凡な打撃は首脳陣から一目置かれていたが、内野の守備が課題だった。三塁でレギュラー争いしていた古木克明、村田修一の台頭でファーム暮らしが長くなる。02年オフ、中嶋聡、富岡久貴とのトレードで細見和史とともに西武に移籍した。

 新天地となった地元の球団で石井は躍動する。04年の後半戦から二塁のレギュラーをつかむと、05年は開幕から安打を量産。交流戦首位打者に輝くなど、リーグ4位の.312、6本塁打の好成績でプロ9年目に初の規定打席に到達した。

 オープンスタンスから広角に打ち分ける打撃技術で速い球にも緩急にも対応する。05年には本拠地・インボイスSEIBUドームで「俺たちの首位打者」とアナウンスされ、ファンの間で人気を呼んだ。このままレギュラーをつかむと思われたが、06年に故障で戦線離脱している間、片岡易之に二塁の定位置を奪われる。その後は遊撃・中島宏之、三塁・中村剛也と球界屈指の内野陣で、ほとんど経験がない一塁を守る機会が増えた。08年はクライマックスシリーズ5試合中4試合でスタメン起用され、15打数8安打、打率.533、4打点と打ちまくり日本一に貢献。「短期決戦はやっていて気分が上がるし、苦ではなかったですね。それも結果が出てくれたおかげで、そこから自信になっていったんだと思います」と振り返っている。

 09年は規定打席には届かなかったが自己最多タイの125試合に出場し、打率.300、6本塁打。10年は一塁手のホセ・フェルナンデスが加入すると先発出場が激減したが、代打の切り札で打率.293と打撃技術は健在だった。

巨人では優勝に貢献



巨人では代打の切り札として活躍

 11年はチームの若返りの方針もあり、12試合出場と激減。戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトを受験する。まだ終われない。獲得に乗り出した巨人に入団すると、代打で37打数15安打、打率.405、得点圏打率.444と驚異的な数字でチームの優勝に貢献する。勝負強い打撃で劇的な一打が多く、巨人ファンから「代打の神様」と呼ばれた。中日とのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦では9回裏1死満塁のチャンスで代打(谷佳知)の代打で登場。山井大介からサヨナラ安打を放ち、同シリーズのMVPに選ばれた。

 巨人に在籍3年目の14年限りで現役引退を決断する。石井は週刊ベースボールのインタビューで、「自分の中に競争心がなくなってきた。それが一番の理由です。まだやってみてもいいのかな、という迷いはありましたけど、動けるうちに、『もったいないな』と思われるうちにやめられればな、というのはずっと考えてきたことでもあるので」とその胸中を明かしている。

 プロ18年間で939試合出場し、打率.290、30本塁打、212打点。「打撃は譲れない部分でしたから、率的に言えば、良くやってきたのかなと。規定打席は1度しかクリアしていないですけどね。心残りを言えば、1000試合までもうちょっとだったこと。でも、途中で終わるのも自分らしいのかなと思いますね(笑)。こう振り返らせてもらうと、とにかく楽しかった18年でした」と充実した野球人生を振り返っている。

 現役引退後は独立リーグ、軟式野球、女子野球チームの指導者を歴任。いつかはNPBでコーチ復帰を――かつての天才打者にそう願うファンは多いだろう。

写真=BBM