失意と無念さ、そして感謝――。



ポスティングでのメジャー移籍がかなわず、今季は巨人でプレーする菅野

 メジャー・リーグ移籍を目指していた日本ハムの西川遥輝の夢は、ポスティングシステム不成立によりお預けとなった。西川は「これまでの人生で味わったことがない挫折や情けなさ、実力のなさとか、いろいろなことを痛感した」と悲痛な心境を吐露。今オフの海外フリーエージェント(FA)によるメジャー移籍の可能性について聞かれると、西川は「そこまでは考えられていない」と複雑な心境を明かした。

 一方で、同じくポスティングシステムを利用した菅野智之もメジャー球団との契約交渉がまとまらず、残留が決定。巨人のエースは「日本一になるチャンスをもらったと捉えている。まだ、メジャー・リーグに挑戦するチャンスは残っていると思う」と再挑戦に含みを持たせた。

 西川は昨シーズン、打率.306、リーグ2位の42盗塁をマークし、守備では4年連続のゴールデン・グラブ賞を獲得。菅野は開幕13連勝を含む14勝2敗で3度目の最多勝に輝き、セ・リーグ連覇の原動力として、2度目の最優秀選手に選ばれた。ともに堂々たる実績をひっさげての挑戦だったが、条件面で納得のいく合意に至らず移籍を断念した。新型コロナウイルスの影響による米球界のマーケット事情も絡んだと伝わっている。

 西川は日本ハムと交渉を行い、4000万円増の年俸2億4000万円(金額は推定)の1年契約で契約更新。菅野はそれまでの日本球界最高とされたロベルト・ペタジーニ(巨人)の600万ドル(約7億2000万円)を上回る1億5000万円増の年俸8億円(推定)の1年契約でサインした。西川は「今年はチームにいないはずなのに、評価をしてくれた」と語り、菅野は「気が引き締まる。金額に似合ったプレーをする」と決意のコメント。失意と無念さ、そして感謝――。さまざまな感情が交錯する中、2人は新たなスタートへ舵を切り直した。

 メジャー・リーグでのプレーを望みながらも、夢がかなわなかったトッププレーヤーは過去にも少なからずいる。気持ちも新たにたもとを分かつ選手もいれば、そのまま在籍球団に残留する選手もいる。共通するのは、自分の求めるべきスタイルをしっかりと見つめ直し、何のために野球をやるのかという自問自答をしてモチベーションを高めたことだ。

次のチャレンジを見据えて開いた新境地



交渉が不調に終わりメジャー移籍はできなかったが、日本ハムで中心選手として実績を上げた稲葉

 侍ジャパン監督の稲葉篤紀も、本場でプレーがかなわなかった選手の一人だ。32歳になった04年オフ、ヤクルトからFAでメジャー移籍を望んだが、交渉が不調に終わって日本ハムに移籍。「新たな出発という気持ちでいっぱい。モットーの全力プレーで優勝に貢献できるよう頑張りたい」。新天地での仕切り直しを誓った。

 日本ハム球団内では挫折したベテランの獲得に否定的な声もあった。しかし、一念発起した稲葉は、淡口憲治コーチの指導で打撃力を強化。06年に四番として日本シリーズでMVPに輝き、翌07年にはリーグ連覇のけん引役になるなど活躍するなど、自らの行動で存在感を示した。「チームのムードを変えたのが新庄(新庄剛志)なら、100パーセントの力を出すモチベーションを高めたのが稲葉だった」。獲得当時にゼネラルマネジャー(GM)を務めた高田繁をはじめ、球団幹部の誰をもうならせた。

 阪神の鳥谷敬は14年のシーズンオフ、海外FA権を行使してメジャー挑戦を表明。しかし、米球界では日本人内野手の評価が厳しいこともあり、高い関心を示す球団はなかった。鳥谷は「阪神で優勝したいという気持ちがより強くなった」と語り、5年の複数年で古巣と契約を更改。気負うことなく持ち前の粘り強さを見せつけ、17年には史上50人目の2000安打を達成した。

 翌15年オフには、ソフトバンクの松田宣浩が海外FAによるメジャー挑戦を断念した。メジャー側は本来の守備位置だけではなく、複数ポジションを守る“ユーティリティー・プレーヤー”としての役割を提示。野球選手としての自らの立ち位置を熟考するきっかけとなった。松田の理想像は「チャンスでしっかりと打てる三塁手」だ。王貞治球団会長の「また一緒にやろう」の言葉を胸に刻み、躍動感のあるプレーで常勝球団を引っ張っている。

 たとえ夢が破れたとしても、人生が待ち受けている。次のチャレンジを見据えて新境地を開くのか。それとも、腐ることなく変わらずに、淡々と我が道を極めるのか。野球人生の新たな幕が開く西川、菅野らのひと味違ったシーズンが楽しみだ。

写真=BBM