「スンちゃん」の愛称で



日本球界では巨人などで活躍した李

 韓国人長距離砲・イ・スンヨプは日本人も思い入れが深い強打者だ。韓国プロ野球で放った通算467本塁打は歴代トップ。国際大会では「日本キラー」としてシドニー五輪で金メダルに導いた。日本のプロ野球でも8年間プレーし、通算159本塁打をマークしている。日本語も流暢で「スンちゃん」の愛称でナインに親しまれた。

 李は韓国・慶北高を卒業後、サムスンに投手として入団。高校時代に傷めた左ヒジが完治せずまもなく打者に転向した。その実力は飛び抜けていた。1997年から7年連続30本塁打以上をマーク。2003年に韓国プロ野球史上最多のシーズン56本塁打を樹立するなど、本塁打王5度、打点王4度獲得した。「国民的打者」「アジアの大砲」と形容されたスラッガーは国際試合、特に日本戦に強かった。

 00年にシドニー五輪の予選リーグ・日本戦で松坂大輔から本塁打を放つと、3位決定戦・日本戦でも松坂から再び決勝適時打を放ち、同国初のメダル獲得に貢献。第1回WBC韓国代表に選出された際の活躍もすさまじかった、1次リーグの日本戦で石井弘寿から逆転2ラン、2次リーグのメキシコ戦、米国戦でも先制アーチを放つなど4試合連発を含む大会最多の5本塁打、10打点の大暴れ。記者投票によるベストナインに一塁手で選出された。08年の北京五輪では打撃不振でスタメンを外れたこともあったが、準決勝・日本戦で2対2の8回に岩瀬仁紀から値千金の勝ち越し2ラン。決勝のキューバ戦でも先制の決勝アーチを放ち、韓国野球初の金メダル獲得に貢献した。


韓国球界ではサムスンでプレーしていた

 日本球界では試練を味わった。03年オフにメジャー移籍を目指したが、当時は韓国プロ野球の評価が高くなかったため断念。04年にロッテに入団する。主砲として期待されたが、縦に落ちる変化球への対応に苦しみ、開幕から1カ月後にファーム降格。100試合出場で打率.240、10本塁打、50打点と不本意な成績に終わる。2年目のオープン戦でも打率.050と苦しんで開幕二軍スタート。しかし、4月に昇格後は117試合出場で打率.260、30本塁打、82打点をマークする。日本シリーズでは3本塁打を放ち、チームの31年ぶりの日本一に貢献した。

 韓国では国民的英雄の大スターだったがプライドをひけらかすことはなく、日本の文化に適応しようとする姿勢だったため、ナインからの人望は厚かった。日本語も堪能で北京五輪の日本戦後のインタビューでは、日本のメディアに対して日本語で答えていた。また、打撃だけでなく、一塁の守備もうまかった。元DeNAのホセ・ロペスに更新されるまでセ・リーグの一塁手連続無失策記録(1225)を記録。特にショートバウンドの捕球技術に長けていた。

07年以降は出場機会を減らす



ロッテのユニフォームは04、05年の2年間着た

 06年に巨人に移籍すると打率.323、41本塁打、108打点と来日以来自己最高の成績を残す。さらなる飛躍が期待されたが、度重なる故障もあり07年以降は出場機会を減らす。11年にオリックスに移籍したが、打率.201、15本塁打、51打点と振るわず同年限りで退団した。記者会見では、「(日本でプレーした)8年の間にすごくいろいろなことがありましたので、言葉に表すのは難しいですね……。つらいこともたくさんありましたし、すごく幸せでうれしいこともたくさんありました」と振り返り、「ロッテ、巨人、オリックスと、長い間私に応援をしていただいた皆さんに、『ありがとう』という言葉しかありません。皆さんに応援していただいたことを永遠に心に持ってやっていきたいと思います」と感謝を口にした。

 12年以降は古巣・サムスンに復帰して6年間プレー。143本塁打を積み上げた。17年も打率.280、24本塁打、87打点の好成績だったが同年限りでの現役引退を決断した。韓国球界で通算1906試合出場、打率.302、467本塁打、1498打点。日本球界では通算797試合出場、打率.257、159本塁打、439打点の成績を残した。韓国人だけでなく、日本の野球ファンにも強烈なインパクトを残したスラッガーだった。

写真=BBM