“世紀の大トレード”のインパクト



話題のルーキー、阪神の佐藤輝は背番号「8」を背負う

 阪神の「8」を背負って2021年のオープン戦から大爆発している新人の佐藤輝明。地元の出身でもあり、背番号とともに阪神の未来をも背負う期待のルーキーだ。ただ、広島では山本浩二(浩司)がプロ3年目に歴戦の山内一弘から継承して永久欠番にしたように、「8」は一般的にチームの主軸を担う好打者が着けることが多い背番号だが、阪神では長く移籍で加入した強打者たちが目立つ系譜となっていた。

 佐藤の前任者も中日からメジャーを経て阪神でプロ野球に復帰した福留孝介だったが、この傾向の起源も、広島の前には阪神でプレーしていた山内だ。現役生活は一貫して「8」を背負っていた山内は、本塁打王2度、打点王4度、首位打者1度の実績を引っ提げ、64年に大毎(現在のロッテ)から移籍してきた強打者。近年はネガティブな印象は薄れたが、トレードには戦力外、放出に近いイメージが濃かった当時、「11」が永久欠番となった村山実とエースの二枚看板として阪神を引っ張っていた小山正明との1対1のトレードで阪神へ移籍してきた。これは“世紀の大トレード”と呼ばれ、ここからトレードのイメージが好転し始めたエポックだったともいわれる。


“世紀の大トレード”で阪神に移籍してきた山内は「8」を着けた

 山内は3年で広島へ移籍したが、その後も阪神では「8」を移籍してきた好打者に与えることが続いた。76年に継承した島野育夫は阪神が3チーム目で、80年までプレー。翌81年からの加藤博一も移籍してきた選手だが、2チーム目の阪神でブレークしたことで「32」から“出世”した異色の存在だった。87年には西武から来たヒットメーカーの田尾安志が91年まで背負い続け、98年にはオリックスから来た本西厚博、99年から2000年は西武から来た佐々木誠が着けて引退。01年には新人の沖原佳典が背負うも、わずか1年で「5」に転じ、日本ハムから来た片岡篤史が継承した。


日本ハムからFA移籍の片岡も背番号「8」を着けた

 片岡は03年のリーグ優勝に貢献するも、翌04年からは代打としての起用が増え、06年オフに引退。移籍してきた名選手が背負うも、そのラストを飾るナンバーという傾向も強かった。片岡の引退により生え抜きで6年目の浅井良が背負うも、13年に「5」を着けて引退。浅井が「8」に続いていた悪運も背負っていったのか。浅井から「8」を譲り受ける形となった福留は移籍してきた強打者の中では8年と長く「8」を背負い続けたが、20年オフの引退を免れて中日へ復帰を果たしている。

 ただ、もともと阪神の「8」は生え抜きの名選手たちの背番号。佐藤が「8」を継承したのは原点回帰といえる。

92年の新人王も



92年、新人の久慈は背番号「8」で新人王に輝いた

 プロ野球でライバルの巨人に続く長い歴史を誇る阪神。1年目の1936年はイロハ順に背番号を割り振ったといわれ、イロハで8番目になった山口政信はカーブうちの名人として名を残す巧打者で、2シーズン制となった37年の春季には29盗塁で盗塁王に。山口は兵役を挟みながら47年まで「8」を背負い、いったんプロ野球を離れたが、2リーグ制となった50年に広島で復帰している。48年に2代目となったのが新人でヒットメーカーの“クマさん”後藤次男だが、2年で「22」に。2リーグ制となってからは干場一夫、大崎三男と投手がリレー。57年には一時的に小山が着けた資料も残る。

 2リーグ制で初めて「8」を背負ったのも生え抜きの好打者で、“ホトケのゴロちゃん”遠井吾郎の1年目。だが、遠井も4年で「24」に。その後継者となった福塚勝哉は山内の2年前に大毎から移籍してきた捕手。山内ほどのインパクトはないが、移籍で阪神の「8」を着けた第1号は福塚だ。山内の後は1年の欠番を経て新人の西村公一が2年、2年目の佐藤正治が5年。島野、加藤、1年の欠番を経て、84年に「8」を背負ったのが6年目の吉竹春樹で、翌85年の“猛虎フィーバー”に貢献した外野手だ。吉竹と投手の前田耕司とのトレードで移籍してきたのが田尾だった。

 田尾の引退で92年に「8」を背負ったのが1年目から正遊撃手となって新人王に輝いた久慈照嘉だ。98年から5年間は中日でプレーしたが、Vイヤーの03年に復帰してからは「32」となり、05年のリーグ優勝を見届けるように引退している。

【阪神】主な背番号8の選手
山口政信(1936〜38、42〜43、46〜47)
山内一弘(1964〜67)
久慈照嘉(1992〜97)
福留孝介(2013〜20)
佐藤輝明(2021〜)

文=犬企画マンホール 写真=BBM