(左から)工藤、内海、長野はともに人的補償で巨人から他球団へ移籍した

 2003年オフにFA制度が導入されて以来、多くの主力選手が権利を行使して他球団に移籍してきた。その中で一定の条件下で移籍先球団から移籍元球団に対し、金銭補償や人的補償が必要になる場合がある。人的補償は球団がプロテクトした28人の選手から漏れた選手が対象となり、球界を代表する選手が「サプライズ移籍」したケースも。工藤公康(現ソフトバンク監督)、西武・内海哲也、広島・長野久義もこの人的補償により、大きく人生が変わった。あなたが最も衝撃を受けた「FAの人的補償」はどの選手だろうか。
※通算成績は2020年終了時点

43歳左腕の電撃移籍



横浜時代の工藤

・工藤公康(西武、ダイエー、巨人、横浜、西武)
通算成績635試合登板、224勝142敗3セーブ10ホールド

 選手時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験。西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し、「優勝請負人」と呼ばれた。1999年オフにダイエーから巨人にFA移籍すると、在籍7年間で3度の2ケタ勝利をマーク。2006年は左肩痛の影響で3勝2敗に終わると、オフに米国・アリゾナに自主トレで渡米。この期間中に、門倉健がFA移籍したことに伴う人的補償で横浜(現DeNA)への移籍が決まった。

 当時43歳左腕の電撃移籍に、清武英利球団代表は「このような投手を移籍させることは苦渋の選択としか言いようがない」とコメント。工藤は「自分がフロントだったら、43歳の選手はプロテクトしない」と理解を示した。横浜移籍初年度の07年に7勝を挙げたが、09年限りで戦力構想から外れて退団。10年に古巣・西武でプレーし、同年オフに退団後も現役続行に意欲を見せたが、11年12月に現役引退を表明した。

不動のエースとして稼働も



現在は西武に在籍する内海

・内海哲也(巨人、西武)
通算成績328試合登板、134勝103敗2ホールド

 敦賀気比で左腕エースとして名を馳せると、祖父の内海五十雄が巨人の野手だったこともあり、2000年ドラフト前に巨人以外からの指名は拒否することを表明。オリックスの1位指名を拒否し、社会人野球・東京ガスに進んだ。03年に自由獲得枠で巨人に入団すると、06年に12勝を挙げて先発ローテーションに定着。11年に18勝5敗、12年に15勝6敗で2年連続最多勝を獲得するなど不動のエースとして稼働する。

 他球団から加入した選手がチームに溶け込みやすい環境を作るなど人格者として知られ、ナインの人望も厚かったが、18年オフにFA移籍で巨人入りした炭谷銀仁朗の人的補償で西武に移籍した。移籍1年目の19年は左前腕の故障などで1軍登板なし。昨年9月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)で5回無失点の快投で巨人時代の18年8月21日のDeNA戦以来743日ぶりの勝利を挙げた。

9年連続100安打を達成したが



現在は広島に在籍する長野

・長野久義(巨人、広島)
通算成績1376試合出場、打率285、152本塁打、562打点

 日大4年時に春、秋のリーグ戦で首位打者を獲得。強肩強打に加えて俊足と攻守走三拍子そろった選手としてプロから高い評価を受け、2006年ドラフトで日本ハムから4巡目で指名されたが、巨人入りを熱望していたことから入団拒否した。社会人野球・ホンダに進み、08年のドラフト前は巨人以外の球団に指名された場合は会社に残留の意向を示していたが、ロッテがドラフト2巡目で強行指名。入団を断り、09年ドラフト1位で巨人に入団した。

 1年目の10年に打率.288、19本塁打、52打点で新人王に輝くと、2年目の11年に打率.316、17本塁打で首位打者、12年に打率.301、14本塁打をマークし、173安打でシーズン最多安打に輝くなど球界を代表する選手へと階段を駆け上がっていった。

 その後も主力として活躍し、18年は打率.290、13本塁打で長嶋茂雄、原辰徳に次いで球団史上歴代3位の入団初年度から9年連続100安打を達成したが、同年オフにFA移籍で巨人入りした丸佳浩の人的補償で広島に移籍。19年は72試合出場で打率.250、5本塁打と不本意な成績に終わったが、昨年は打率.285、10本塁打をマーク。もう一花咲かせたい。

写真=BBM