新人で20本塁打以上は過去16人



6月6日のソフトバンク戦(甲子園)で今季15本目の本塁打を放った佐藤輝

 阪神のスーパールーキー・佐藤輝明が5月28日の西武戦(メットライフ)で3ホーマーを放った。新人の1試合3ホーマーは1958年の巨人の長嶋茂雄以来実に63年ぶり4人目の快挙だった。佐藤輝は6月6日現在、15本塁打を放っていて、ヤクルトの村上宗隆の17本に次ぎ、巨人の岡本和真と並んでリーグ2位。20本の大台まで早くも5本に迫った。

 ルーキーで20本塁打以上を放ったのは過去16人いる(年度の右は入団前の最終球歴、☆は本塁打王)。

☆桑田 武(大 洋)31本 1959年 中大
 清原和博(西 武)31本 1986年 PL学園高
☆長嶋茂雄(巨 人)29本 1958年 立大
 豊田泰光(西 鉄)27本 1953年 水戸商高
 大岡虎雄(大 映)26本 1949年 八幡製鉄
 村田修一(横 浜)25本 2003年 日大
 森  徹(中 日)23本 1958年 早大
 深見安博(西 鉄)22本 1950年 西日本鉄道
 田淵幸一(阪 神)22本 1969年 法大
 原 辰徳(巨 人)22本 1981年 東海大
 石井浩郎(近 鉄)22本 1990年 プリンスホテル
 樋笠一夫(巨 人)21本 1950年 大西製紙
 戸倉勝城(毎 日)21本 1950年 大洋漁業
 有藤通世(ロッテ)21本 1969年 近大
 石毛宏典(西 武)21本 1981年 プリンスホテル
☆大下 弘(セネタース)20本 1946年 明大

 佐藤輝もこのランキングに仲間入りするのはほぼ確実だが、ここでルーキーの本塁打の歴史を振り返ってみよう。

 戦前・戦中の1リーグ時代は本塁打を求められる時代でもなく、シーズンの本塁打記録は10本(1938年秋の巨人・中島治康、1939年の南海のルーキー・鶴岡一人)だった。戦後まもなく再開したプロ野球に入団したセネタースの大下弘がいままでの記録の倍の20本塁打を放ち(ルーキー&プロ野球記録)、プロ野球ファンに本塁打の魅力を伝えた。その3年後の1949年、大映に入団した大岡虎雄が26本に塗り替えるが、大岡は37歳のルーキー、社会人などで活躍していた大ベテランだった。


59年、大洋・桑田(左)が巨人・長嶋(右)の新人本塁打記録を破った

 翌年から2リーグがスタートするが、4年目の1953年。水戸商高から西鉄に入団した豊田泰光が27本塁打を放ち、この記録は長い間、高卒ルーキーの本塁打記録となった。豊田から5年後の1958年、立大から巨人に入団したゴールデンルーキーの長嶋茂雄がこの記録に挑んだ。9月6日の阪神戦(甲子園)で2本塁打を放ち、豊田に並び、19日の広島戦(後楽園)で28号を放ったが、一塁ベースを踏み忘れる失態。投ゴロとなり新記録は持ち越されたが、翌20日に28号を打ち直し記録を達成。29本でシーズンを終え本塁打王も獲得。だが、その記録はあっさり翌年塗り替えられた。中大から大洋に入団した桑田武は開幕からスタメンで出場。9月24日の巨人戦(川崎、第2試合)、長嶋本人の目の前で29号のタイ記録を放つと、27日の阪神戦(川崎)で新記録の30本の大台に乗せ、31本で本塁打王を獲得した。

セ相手に9試合連続で一発なし



86年、高卒新人ながら31本塁打をマークした西武・清原

 ここまではドラフト以前のプロ入団選手。ドラフトが始まってからは25本を超える選手はなかなか現れなかったが、桑田から27年後の1986年、甲子園の大スター・西武の清原和博(PL学園高)がこの記録に並んだ。清原は前半は8本塁打だったが、7月以降23本、特に9月は9本塁打と量産した。2000年以降、20本を超えたのは2003年の横浜・村田修一の25本のみだ。

 佐藤輝が2ケタの10号を放ったのがチーム33試合目。これは桑田の27試合目よりは遅いが、15号は桑田に並ぶ54試合目でマークした(長嶋は69、清原は83試合目)。このままのペースでいけばルーキー本塁打の新記録を達成する確率は高い。ちょっと気がかりなことは、セ・リーグとの対戦では5月7日を最後に自身最長の9試合連続で本塁打がないことだ。各球団も佐藤輝への対策をかなり研究しているだろう。交流戦の残り2カードは相手も手探り状態だろうが、リーグ戦が再開して攻め方もより厳しくなってくる。ここをどう乗り越えるかが佐藤輝の真価が問われるところだ。

 またルーキーの左打者の最多本塁打は大下弘の20本、近大の先輩の有藤通世は21本、阪神のスラッガー・田淵幸一は22本。これからいろいろな本塁打記録を塗り替えていくのが楽しみなスーパールーキーだ。

文=永山智浩 写真=BBM