西武の松坂大輔が今季限りでの現役引退を発表した。日米通算170勝をマークした松坂は「平成の怪物」の異名で、プロ1年目から3年連続最多勝と圧巻の成績を残した。その松坂の活躍を刺激に、球界の中心軸として活躍したのが1980年生まれの「松坂世代」だ。村田修一(現巨人一軍野手総合コーチ)は通算打率.269、360本塁打、1123打点と横浜(現DeNA)、巨人でスラッガーとして活躍したが、今も現役でプレーしている日米通算147勝左腕・和田毅(ソフトバンク)を含めてこの世代は好投手が多いのが特徴だった。名球会入りの通算200勝に届いた投手はいないが、マウンドで躍動する好投手たちの姿は後世に語り継がれるだろう。

まばゆい輝きを放った20代



西武・松坂大輔

・松坂大輔 横浜高 - 西武 - レッソドックス - メッツ - ソフトバンク - 中日 - 西武
※NPB通算218試合登板、114勝65敗1セーブ、防御率3.04
※MLB通算158試合登板、56勝43敗1セーブ3ホールド、防御率4.45

 横浜高でエースとして3年春夏の甲子園で全国制覇を達成。1998年のドラフト1位で3球団競合の末、西武に入団すると、3年連続最多勝など8年間で108勝を積み上げ、レッドソックスでも07年に15勝、08年に18勝と28歳の時点で通算141勝をマークした。第1回、第2回大会と連覇を飾ったWBCでも日本のエースとして2大会連続MVPに輝いた。20代は輝きがまばゆかったが、30代は右肩、右ヒジなど度重なる故障に苦しみ、満足に投げられない時期のほうが長かった。日本球界復帰した15年からのソフトバンク在籍3年間で未勝利。中日に移籍初年度の18年に6勝をマークしてカムバック賞を獲得したが、翌年は右肩の故障が響いて未勝利に終わった。古巣・西武に14年ぶりに復帰した昨年は7月上旬に右手のしびれを取るため、内視鏡による頸椎周辺の内視鏡手術を受けたが完治せず、昨季、今季と一軍登板なしで現役引退を決断した。

抜群の安定感を誇る投球



巨人・杉内俊哉

・杉内俊哉 鹿児島実業高 - 三菱重工長崎 - ダイエー(現ソフトバンク) - 巨人
※NPB通算316試合登板、142勝77敗、防御率2.95

 ゆったりと脱力したフォームから球離れの瞬間に力を爆発させる。直球は140キロ前後だが球離れが良いためキレを感じ、スライダー、チェンジアップとのコンビネーションで三振奪取能力が高かった。プロ4年目の2005年に18勝4敗、防御率2.11で最多勝、最優秀防御率、パ・リーグの左腕では初の沢村賞、リーグMVPとタイトルを総ナメに。196回2/3を投げて死球、暴投がいずれも0という数字が抜群の安定感を物語っている。その後も先発ローテーションの中心として稼働し、最多奪三振を3度、最高勝率のタイトルを2度獲得する。11年オフに巨人でFA移籍後も、12年に12勝4敗、防御率2.04で3度目の最高勝率(.750)に。同年から3年連続2ケタ勝利を挙げたが、15年から股関節痛に悩まされて16年から3年間一軍登板なし。リハビリに明け暮れたが一軍のマウンドに復帰は叶わず、18年限りで現役引退した。現在は巨人の投手コーチとして後進の育成に努めている。

「火の玉ストレート」で打者を圧倒



阪神・藤川球児

・藤川球児 阪神 - カブス - レンジャーズ−独立リーグ・高知 - 阪神
※NPB通算 782試合登板、60勝38敗243セーブ163ホールド、防御率2.08
※MLB通算  29試合登板、1勝1敗2セーブ1ホールド、防御率5.74

 手元で浮き上がるような軌道の直球は「火の玉ストレート」と呼ばれ、打者は直球と分かっていてもバットが空を切った。ジェフ・ウィリアムス、久保田智之とともに結成した最強の救援陣「JFK」の一角を担い、05、06年と2年連続最優秀中継ぎを受賞。07年から守護神に抜擢されて2度の最多セーブを獲得した。05年からの8年間で防御率1点台前半以下のシーズンが6度と驚異的な安定感だった。06年のオールスターでは当時西武のアレックス・カブレラに「全球直球勝負」を宣言して空振り三振を奪い、話題となった。メジャー・リーグ、四国アイランドリーグ・高知でのプレーを経て阪神に復帰後もセットアッパー、抑えとして活躍。19年は56試合登板で4勝1敗16セーブ23ホールド、防御率1.77の成績を残したが、昨年限りで現役引退した。現在は野球評論家として活動している。

キレ味抜群のスライダー



ダイエー・新垣渚

・新垣渚 沖縄水産高 - 九州共立大 - ダイエー(現ソフトバンク) - ヤクルト
※NPB通算 172試合登板、64勝64敗、防御率3.99

 活躍した期間は長くなかったが、150キロを超える剛速球、「魔球」と呼ばれたスライダーは強烈だった。沖縄水産高では98年春夏に甲子園に出場し、当時の最高球速151キロを計測。「松坂を超える潜在能力」とプロのスカウトから高く評価された。九州共立大を経てダイエーに入団すると、1年目から先発ローテーションに定着。2年目の04年は11勝8敗、防御率3.28で最多奪三振(177)のタイトルを獲得、06年に自己最多の13勝5敗、防御率3.01をマークする。キレ味鋭い縦のスライダーは打者の手元から消えるような軌道で好調の時は手が付けられなかったが、07年にNPB新記録の25暴投を記録するなど課題の制球難が深刻になり、故障で徐々に登板機会を減らす。13年オフにヤクルトにトレード移籍し、16年限りで現役引退を決断した。現在はソフトバンクの球団職員として活動している。

写真=BBM