“助っ投”に有利なジャンル?



通算303勝を挙げたスタルヒン[大映時代]

 打率や防御率の通算成績は、どこで“規定”のラインを引くかによってランキングの顔ぶれが微妙に変わってくるが、その点、本塁打や勝ち星などの積み上げるタイプの数字は分かりやすい。ただ、特に勝ち星は時代の違いがランキングに強く影響する数字といえるだろう。これは日本人の選手に限らず、“助っ投”も同様だ、ただ、“助っ投”の通算成績で“最多勝”と“最優秀防御率”は誰かとなると、いささか難しい壁が立ちはだかる。“助っ投”の定義だ。選手それぞれの国籍や時代、外国人枠などの要素が複雑に絡み合っている。

 2019年1月、唯一の“助っ人”監督としてDeNAを率いていたアレックス・ラミレス監督が日本国籍を取得して話題を集めたが、もともとは“助っ人”として来日して、外国人枠と戦いながらプレーしていた選手が、現役のうちに帰化、日本国籍を取得して、最後は日本人の選手として引退するケースも少ないながら存在する。

 いわゆる外国人枠として“助っ人”の人数を制限したのが1952年から。それ以前に入団していた外国籍の選手は外国人枠の例外となり、また打撃3部門の通算成績に顔を出す打者はいない。ただ、投手となると、プロ野球“元年”の36年から、巨人にはヴィクトル・スタルヒン、阪神には若林忠志がいた。スタルヒンは少年時代に帝政ロシアから亡命。北海道の旭川中から大騒動の末、日米野球に参加して、そのままプロへと転じて剛速球を武器に活躍した。戦後は複数チームを渡り歩いて計19年、通算303勝を残している。


“七色の変化球”で打者を抑え込んだ若林

“七色の変化球”を駆使した若林はハワイ出身の日系2世で、毎日(現在のロッテ)で引退するまでの17年間、通算3557イニング1/3を投げて237勝、防御率1.99を残したが、引退してからは「最近の日本人は日本のよさを分かってない」が口グセだったという。

 スタルヒンと若林を“外国人”とすれば、“助っ投”の通算“最多勝”がスタルヒン、“最優秀防御率”は若林となる。ただ、まだ外国人枠がある2022年、今回は“助っ投”を「一度でも外国人枠の制限を受けた選手」に限定したい。同時に、こうしたルール以上に大きな制限を受けたであろう先人たちには、あらためて敬意を表する。

文=犬企画マンホール 写真=BBM