オールスターの“イチロー投手”は賛否両論



西武に復帰した95年、一軍マウンドに上がったデストラーデ

 日本ハムから海を渡り、現在もエンゼルスで大活躍の大谷翔平は別格というか例外だが、基本的に野手はマウンドに上がらない。1996年のオールスター第2戦(東京ドーム)で外野手のイチロー(オリックス)が9回裏二死からマウンドに上がったが、これはパ・リーグを率いていた仰木彬監督(オリックス)のファンサービス。ただ、対するセ・リーグの野村克也監督(ヤクルト)は外野手の松井秀喜に代わって投手の高津臣吾(ヤクルト)を打席に送って抗議の意思を示しており、それぞれの采配は賛否両論を呼んだ。球宴の格式を重視した野村監督の考えも、仰木監督のファンサービスという思いも、ともに共感できるものだ。このときはパ・リーグが4点のリード。イチローは高津を遊ゴロに抑えている。

 一方、その前年のパ・リーグで、ペナントレースで野手が登板したことがあった。マウンドに上がったのは3年ぶりに西武に復帰したデストラーデだ。左右の両打席から本塁打を量産し、西武の黄金時代を確固たるものにした長距離砲。95年5月9日、奇しくも仰木監督の率いるオリックス戦(富山)でのことだった。点差はオリックスが9点の大量リード、場面は8回裏二死。高校では投手だったこと、それまでプロで投手を経験していなかったことはイチローと共通しているデストラーデだが、登板のタイミングはオールスターのイチローよりも早い。

 打席には外野手の田口壮を迎える場面だったが、このときの仰木監督は好調の田口を下げて、代打に捕手の高田誠を送っている。この代打が奏功したのか(?)、高田は三塁打を放つと、そこからデストラーデは続けて四球を与えて降板。地方での開催ということも大きかったのだろう、西武の東尾修監督は「ファンサービス」語り、ピンチを招いた(?)デストラーデも「夢だったんだよ」と語っている。

 ほぼ勝利が確実となった場面で登板したイチローに対して、“敗戦処理”のような形で登板したデストラーデ(処理できなかったが……)。イチローの登板も“敗戦処理”のような起用であれば、少し違った印象が残ったかもしれない。

文=犬企画マンホール 写真=BBM