投手人生で最もタフな日



大阪桐蔭高の左腕エース・前田は主将としての自覚がみなぎっている

 161球、10四死球。

 大阪桐蔭高の左腕エース・前田悠伍(2年)は試合後「球数? 一番多いと思います。最多? そうですね」と汗を拭った。

 投手人生で、最もタフな日だったはずだ。仙台育英高(宮城)との明治神宮大会準決勝(11月21日)で、背番号1を着ける主将は4失点で完投した(5対4)。

 前田が許したヒットは6本。四死球10とのアンバランスな数字は、決して完投ペースとは言えなかった。

 立ち上がりから、ボールが荒れた。序盤2回までに5四死球。失策も絡み、並の投手ならば、そのまま崩れてもおかしくないが、前田は1回、2回とも最少失点で切り抜けている。

 前田は「調子が上がってこなかった」と振り返ったが、背景には、相手打線の徹底力があった。今夏、東北勢初の全国制覇を遂げた仙台育英高は、相当な重圧をかけていた。下級生の経験者が残った新チームは東北大会を制し「勝負勘」は、脈々と受け継がれている。

 仙台育英高・須江航監督は言う。

「世代No.1投手。覚悟を決めないといけない。多くの球を待ったら打てません」

 選手個々が特性を生かし、攻略への糸口をつかむため、コース、球種を絞り込んで打席に立っていた。しかし、超高校級左腕の「粘り腰」は半端ではない。3回以降は走者を背負いながらも、立ち直りの兆しを見せた。

名実ともにチームを背負う「兄」に


 なぜ、修正できたのか。ポイントは1つだ。

「(軸足で)立つときの感覚が(すべてを)握っている。立ったときに前に突っ込む癖があるので気持ち、後ろに残そう、と」(前田)

 西谷浩一監督も三塁ベンチを動かなかった。最後までエースに託したのも、信頼の証し。

「161球ですか? 当然、心配はありますが、バランスよく投げていたので……。それぐらいは準備しています」

 前田は1年秋の明治神宮大会決勝(対広陵高)を救援で胴上げ投手、2年春のセンバツ決勝(対近江高)では7回1失点で勝利投手と、全国の頂点を経験している。2年夏の甲子園では下関国際高との準々決勝で敗戦投手(2番手)となったが、その悔しさをバネに、新チームでは主将として腕を振ってきた。

 1年秋から大事な試合の先発を任されてきたが、あくまでも下級生。別所孝亮、川原嗣貴の3年生右腕2人がおり、あくまでも先輩の背中を追う「弟」だった。西谷監督も登板間隔、コンディションを最優先に無理をさせなかった。しかし、秋以降、旧チームから常時出場していたのは主将・前田だけであり、名実ともにチームを背負う「兄」となったのだ。

背番号1の仕事を全う


 大阪桐蔭高は0対2の3回裏に1点を返し、6回裏に3点を挙げて逆転。前田は「この試合は助けてもらう形。今度は自分が助けないといけない」と、7回、8回表は三者凡退に抑えた。

 仙台育英高・須江監督は脱帽だ。

「130球を超えてもベストボールを投げる。『世代No.1』たる所以です」

 大阪桐蔭高は8回裏に貴重な追加点。5対2で9回表の守りを迎えたが、初戦(2回戦、対沖縄尚学高)で9回裏に0対4から逆転サヨナラ勝ちした、仙台育英高の粘りに遭う。2点を返され、なおも二死一、二塁のピンチだったが、前田は最後の打者を0ボール2ストライクからの3球勝負を選択する。左打者に対して、変化球2つでカウントを整え、161球目のラストボールは、こん身の外角真っすぐ(141キロ)で見逃し三振を奪った。

「持ち味の粘り強い、強気の投球が、なかなかできなかった。コントロールもビタビタに決まらない。制球が定まらない中で(打者の)打ち気をそらさせた。1球、1球集中して、それが成長です」

 前田は淡々と語るも、固い決意である。

「勝って反省ができることは、うれしく思います。決勝に挑戦できる立場になった。1回、1回、全力で攻めていって、結果、優勝へ導けたらいいです」

 秋日本一、史上初の大会連覇をかけた決勝(11月23日)は昨年と同じ、広陵高(広島)との顔合わせ。試合終了まで主将、背番号1の仕事を全うするだけだ。野球人生初の主将とは思えない自覚が、体全体にみなぎっている。

文=岡本朋祐 写真=菅原淳