「非情」と言われたが



1978年オフ、田淵は阪神から西武へトレードされた

 他のチームから主力を獲得して話題になる巨人。もちろん、ライバルの阪神もストーブリーグはにぎやかだ。

 1996年オフには吉田義男監督が「ユニフォームのタテジマをヨコにしてでも」と熱心に誘ったFAの清原和博を巨人に譲ったが、2002年オフには就任2年目を迎える星野仙一監督が金本知憲を広島からFAで、日本ハムから捕手の野口寿浩と投手の下柳剛をトレードで獲得。さらにはメジャー帰りの伊良部秀輝も戦力に加わって、翌03年のリーグ優勝につなげた。

 ただ、阪神のトレードで獲得よりも衝撃的なのは、事実上の“放出”トレードのほうではないだろうか。2019年オフには長きにわたって打線の主軸を務めてきた鳥谷敬の去就が退団、ロッテへ移籍して現役を続行して話題となったが、20世紀の昔からチームの功労者に対しても容赦のない印象があるのが阪神だ。近年は選手の移籍はポジティブに受け取られるようになったものの、われわれ一般人も終身雇用が当たり前だった時代でもある。トレードは、そのチームにとっての“戦力外”というイメージもあり、しばしば阪神は「非情」と表現され、ファンや“放出”された選手たちは怒り、そして泣いた。

 1963年オフ、エースの小山正明と大毎(現在のロッテ)“ミサイル打線”の中軸を担っていた山内一弘の交換トレードは、まだ主力のトレードが珍しかったことで「世紀の大トレード」と表現されたが、75年オフにはエース左腕の江夏豊が2対4の大型トレードで南海(現在のソフトバンク)へ。その75年の本塁打王で、江夏と“黄金バッテリー”を形成していた田淵幸一も78年オフに同じく2対4のトレードでクラウンから生まれ変わった西武へ移籍した。

 とはいえ、「非情」といわれたトレードも、決して失敗だったわけではない。江夏はリリーフ投手として再生し、田淵も弱かった西武で黄金時代の礎を築いた。一方で、江夏との交換4人のうち1人だった江本孟紀はエースに。田淵との交換4人にいたのは若菜嘉晴と真弓明信で、若菜は正捕手となり、真弓は85年に長打もある一番打者としてリーグ優勝、日本一に大きく貢献している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM