移籍1年目の小野和幸、西本聖が最多勝



1986年オフ、ロッテから中日へ移籍した落合[右。左は星野仙一監督]

 戦後の1リーグ時代には主力が一気に離脱して低迷を余儀なくされたこともある中日。21世紀に山本昌や岩瀬仁紀、浅尾拓也らがボロボロになるまで中日ひと筋を貫いた姿の印象も新しい。

 一方で、中日はトレードの成功よりもトレードの拒否でも球史に残る。1976年オフのことだ。移籍を拒否したのは藤波行雄。巨人のV10を阻んだ74年の新人王で、プロ3年目を終えたばかりの左打者だった。このとき中日はトレードに積極的で、黄金時代の阪急(現在のオリックス)と3対4の大型トレードを成立させている。結果的には中日から出た選手たちに活躍が、中日に来た選手には失速が目立ったが、藤波と投手の竹田和史との交換で獲得しようとしていたのがクラウン(現在の西武)の基満男だった。

 基を大ベテランとなっていた高木守道の後釜に据えようとしていたというが、藤波が引退も辞さない勢いでトレードを拒否。前代未聞のことだったが、ファンも藤波に味方して、最終的には中日が折れた。トレードは白紙となり、ペナルティーとして背番号3を剥奪された藤波は中日ひと筋を貫き、87年までプレーしている。

 奇しくも藤波が去った87年から中日は補強で成功を続けている。ロッテで前年オフに移籍を志願して、中日が獲得に成功したのが三冠王3度の落合博満だ。その打棒もさることながら、このときの縁がなければ21世紀に落合監督の黄金時代がなかった可能性も考えると、当時のトレード成功は歴史の分岐点だったのかもしれない。また、87年オフに平野謙との交換トレードで来たのが西武の小野和幸で、層の厚い黄金時代の西武で二軍でのプレーも少なくなかった小野は中日で一気に才能を開花させ、いきなり18勝で最多勝、リーグ優勝に貢献している。

 そのVイヤーのオフに中尾孝義との交換トレードで巨人から来た2人のうち1人が西本聖で、80年代の前半は江川卓、定岡正二らと先発三本柱を形成しながらも失速していた西本は、中日で復活を遂げて自己最多の20勝で初の最多勝に。中日は2年連続で移籍1年目の投手が最多勝に輝いたことになった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM