1990年代にシカゴ・ブルズで2度の3連覇を達成し、ファイナルMVPを史上最多となる6度も獲得したマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)は、史上最強を意味する“G.O.A.T.(Greatest Of All Time)”と評されるスーパースター。

 NBAキャリア15シーズンで計13度プレーオフへ出場した男は、レギュラーシーズンのキャリア平均30.12得点、プレーオフ通算平均33.4得点でいずれもNBA史上トップを誇っており、そのすさまじいほどのインパクトは今もなお色あせることはない。

 では、ジョーダンがプレーオフという覇権争いの大舞台で最後に敗れた相手はどこなのか。それはブルズを何度も苦しめ、89、90年に2連覇を飾り、“バッドボーイズ”として恐れられたデトロイト・ピストンズでもなければ、90年代に激しいバトルを何度も演じたニューヨーク・ニックスでもない。

 答えは球団創設6シーズン目のオーランド・マジック。シャックことシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)、アンファニー“ペニー”ハーダウェイ(元マジックほか)という若きスーパーデュオを中心に飛ぶ鳥を落とす勢いでリーグトップレベルへと駆け上がったチームである。

 ジョーダンは93年に3連覇を飾ると、同年秋に現役引退を表明。その後野球選手へ転身していたのだが、95年3月に背番号45を着用して電撃復帰を飾り、スコッティ・ピペンやトニー・クーコッチ(ともに元ブルズほか)らと共にプレーオフへ臨んだ。

 94−95シーズン。マジックはイースタン・カンファレンストップの57勝25敗を残し、プレーオフではボストン・セルティックスを3勝1敗で下してファーストラウンド突破。対するブルズはイースト5位の47勝35敗でレギュラーシーズンを終え、シャーロット・ホーネッツを3勝1敗で撃破し、カンファレンス・セミファイナルでマジックと激突。

 ジョーダンはシリーズ初戦の終盤にニック・アンダーソン(元マジックほか)に痛恨のスティールを許してブルズは逆転負け。次戦で背番号23を身にまとったジョーダンは、ゲームハイの38得点をマークして1勝1敗のタイに戻す。結局、ジョーダンは両チームトップのシリーズ平均31.0得点に6.5リバウンド3.7アシスト2.5スティール1.8ブロックを残すも、シリーズは4勝2敗でマジックに軍配が上がった。

「俺はプレーオフでマイケル・ジョーダンを最後に倒した男ということに誇りを持っている。彼は野球界から戻ってきたばかりと皆さんが言うだろうが、コートに足を踏み入れれば関係ない。コートに入れば彼も同じメンタリティだったと知っている。それは準備できているということだからな」。

 シャックは昨年8月にYouTubeへ公開された『FULL SEND Podcast Clips』でそう話しており、95年のプレーオフでジョーダン率いるブルズを“最後に倒した”チームの一員だったことを誇らしげに語っていた。

 するとジョーダンはオフシーズンに野球仕様からバスケットボール仕様へと身体を作り直し、万全のコンディションで95−96シーズンを迎えた。ジョーダン、ピペン、デニス・ロドマン(元ピストンズほか)という超強力なビッグ3を形成し、クーコッチをシックスマンへ据えたブルズは、当時リーグ史上最多勝となる72勝10敗をマークし、96年のカンファレンス・ファイナルでマジックと再戦。

「次の年に彼らは舞い戻ってきて、俺たちを解体させたんだ。俺たちは1勝もできなかった。彼が復帰した時に錆びついていたことは確かだ。だが最悪ってことはなかった」。

 シャックがそう振り返ったとおり、ブルズは翌年のイースト決勝でマジックを4戦負けなしのスウィープで蹴散らした。ジョーダンはシリーズ最多の平均29.5得点に5.5リバウンド4.8アシスト2.3スティールに加えてフィールドゴール成功率52.0パーセント、3ポイント成功率63.6パーセントをたたき出し、見事リベンジを完遂して96年から98年にかけて2度目の3連覇を成し遂げた。

 96年夏。シャックはレイカーズへ移籍してペニーとのデュオも決裂。一時は近い将来の優勝候補と評されていたマジックは歴史に名を残すビッグマンの移籍と共に事実上の崩壊。

 エンディングこそ苦々しいものだったとはいえ、シャックにとって95年のプレーオフでジョーダン率いるブルズを“最後に倒したチーム”の一員になったことは、今までも、そしてこれからも誇らしく思えるレガシーの1つと言っていいだろう。

【動画】シャックのマジック時代のハイライト集!