10代でデビューして以来、長年にわたって女子日本代表をけん引した大神雄子。最年少で臨んだアテネオリンピックと、チームの中心として臨んだ2度の世界選手権(現・FIBAワールドカップ)を経験した彼女は、その時々で何を思い戦っていたのか。女子日本代表のレジェンドに当時を振り返ってもらいつつ、9月22日開幕のワールドカップに臨む後輩たちに向ける言葉をうかがった。

インタビュー・文=峯嵜俊太郎

◆■21歳、「がむしゃら」で挑んだ初めての世界大会

――幼少期からバスケットをされていた大神さんにとって、世界選手権やオリンピックという舞台に対してはどのような印象がありましたか?
大神 小学生の時からオリンピックは見ていたので、「オリンピックや世界選手権でプレーする」という目標は、その頃から漠然と言葉にはしていたと思います。加えて、私の場合はアメリカでバスケットを本格的に始めたということもあって、「アメリカでプレーしたい」という目標もあって。そのために「全国大会出場」、「強豪校進学」という感じで細かな目標を毎日追っていました。

――高校時代は桜花学園高校(2年次に名古屋短期大学付属高校から校名変更)で過ごされました。
大神 中学生3年生で出場した全中の決勝で、私のチームは試合終了まで残り6秒のところで逆転されて優勝を逃したんです。それで次の目標は「高校で全国制覇だ」と思っていたのですが、名短の井上眞一先生からは「世界で通用する選手に育てたい」という風に声を掛けていただいて。私の目標のさらに上を見据えている井上先生の下でプレーしたいと思い、名短に進むことを決めました。

――強豪校で実力を磨いていた当時、「目標」に近づいているという実感はありましたか?
大神 そうですね。高校での練習もそうですし、私は中学生の時に初めてU15の代表活動で韓国遠征に行ったんですけど、高校生になってからも徳島県で開催されたアジアジュニア選手権(現・FIBAアジアU18選手権)のメンバーに選出されたり、アジアの国を相手にする機会がすごく増えました。そうしたこともあって、高校時代は先生の言う「世界に通用する選手」になるための機会をすごくいただけていたのかなと思います。

――高校卒業後にはジュニア世界選手権(現・FIBA U19女子ワールドカップ)に出場し、アジアをさらに飛び越えて世界の選手と対戦することとなりました。
大神 あの大会は大きな刺激になりましたね。今もWNBAのフェニックス・マーキュリーでプレーしているダイアナ・トーラジとか、海外の選手と交流して仲良くなれる機会もありました。それまでは「自分が海外でプレーする」という考え方だったんですけど、「この選手とまた世界選手権で戦いたい」とか「チャンスがあるならば、この人と一緒にプレーした」という新たなモチベーションも生まれて。目指してきた目標をより身近に感じるようになった大会でした。

――同年にはトップカテゴリーの日本代表デビューも果たしています。
大神 ジュニア世界選手権と同じ年に、タイで開催されるアジア選手権(現アジアカップ)があって、そのメンバーに選出されたのが初めてだったと思います。Wリーグの開幕戦に出場して、次の日にはバンコクに移動しました。

――どのような心境で大会に臨んだのでしょうか?
大神 やっぱり1年目はがむしゃらにやってナンボですから、練習も誰よりも多くやって、荷物持ちとかもやる。日本代表であろうと、やることは変わらなかったですね。

――その後、トップの日本代表では2004年のアテネオリンピックメンバーに選ばれます。当時21歳、チーム最年少で初の世界大会を迎えることとなりました。
大神 オリンピックやワールドカップは、バスケットボール選手であれば誰でも目標としている舞台だと思いますが、もちろん自分もその一人でした。何よりも覚えているのは、開会式でカメラのフラッシュが凄かったこと(笑)。これぞスポーツの祭典という感じで、「ああ、この舞台に自分も立ったんだ」と思ったのを覚えています。

――プレー面での手応えはいかがでしたか?
大神 最年少として自分に求められていることは、流れを変えることだったり、がむしゃらにやるということ。それは日本代表であっても変えることなく意識していました。正直、日本の結果は決して良いものではなかったです。ただ、オーストラリア戦やロシア戦ではフローターシュートを決めたり、40分のなかでインパクトを残した瞬間はあったんじゃないかと思います。今こうして振り返って話せているということからも、私にとって大きな経験になった大会に間違いないです。

◆■「自分は何を残すべきなのか」を考えながら臨んだ2010年大会

――その後、日本代表は2006年の世界選手権、2008年の北京オリンピックの本大会出場を逃す苦しい時期が続きました。それだけに2010年の世界選手権に懸ける思いは強かったのではないでしょうか?
大神 そうですね……。特に北京オリンピック出場を逃した時、私はWNBAでプレーしていたので、予選開催地のマドリードにアメリカから直接向かうような状況でした。それを受け入れて、自分の挑戦を応援してくれた当時の内海知秀ヘッドコーチやチームメートのためにも、何とか本大会出場を決めたかった。そうした悔しさを経験していたからこそ、2010年の世界選手権は日本代表にとって再出発のような大会でもあった気がします。

――2010年の世界選手権、大神さん自身はどのような心境で大会に臨みましたか?
大神 どの大会においても、その時々に一緒に戦ってくれた先輩がいて。たとえ負けたとしても、そのときがあったからこそ今があると思っていたので、2010年の世界選手権や2012年のロンドンオリンピック予選のときは「自分が何をすべきなのか、後輩たちに何を残すべきなのか」ということを常に考えながら、責任を持ってプレーしていましたね。

――大会では予選ラウンドでスペインとチェコに敗れましたが、アルゼンチン戦では大神さんが試合終了間際に逆転ブザービーターを沈め、2次ラウンド進出を決める貴重な1勝を挙げました。
大神 アルゼンチンとはワールドカップの前にフレンドリーゲームを行なって、そのときは逆にアルゼンチンにブザービーターを決められて負けていたので、本番でやり返せたのは良かったです。ただ、スペイン戦やチェコ戦、2次ラウンドのロシア戦や韓国戦もそうでしたが、第4クォーターの勝負どころで勝ち切ることができなかった。私個人としては得点王を受賞しましたが、それよりも悔しい思いの方が強く残った大会でした。

――ただ、結果としてこの大会で8試合もの真剣勝負を経験することができたのは、日本にとって大きかったのではないでしょうか?
大神 そこは髙田に聞けば一番分かりやすいかもしれませんね。彼女にとっては21歳とまだ経験が浅いなかで臨んだ大会。今となってはどんなパスでも取ってくれる選手ですが、当時はそんなこともなくゴール下のシュートもポロポロ落としていた時期がありました。それが今はキャプテンですから、彼女こそ本当にあのときの経験があって今があると、客観的に見て感じます。

――やはり髙田選手の成長ぶりには感慨深いものがありますか?
大神 そうですね。2012年のロンドンオリンピック出場を逃したとき、一番長いメッセージを私に送ってくれたのが髙田でした。すごく悔しかった思いを綴ってくれたのをよく覚えています。私としてはそれだけ髙田に負担を掛けてしまっていたことが申し訳なかったですが、逆に言えば当時から彼女にはそれだけの責任感とキャプテンシーがあったんですよね。

――そのほかのチームメートにフォーカスすると、大会中は吉田亜沙美さんと2ガードを組み、吉田さんは大会アシスト王に輝きました。コンビを組んでいた当時の印象はいかがでしたか?
大神 阿吽の呼吸というか、リュウ(吉田のコートネーム)は私がどう動くか分かっているし、私もリュウからどんなパスが来るか分かっていた感じでした。多分それってバスケットのなかで一番難しいスキルだと思うんですけど、本当に欲しいところボールが来る感覚がすごかった。そんな選手は今までいなかったです。

◆■2度の世界選手権出場は、キャリアを通してみれば「ポジティブ」な経験

――その後、日本代表は2013年のアジア選手権で43年ぶりの優勝を果たし、アジア女王として2014年の世界選手権に挑みました。
大神 2014年大会は自分自身が本当にダメだなと思った大会でした。その当時私は所属先が決まっていなくて、フラフラして落ち着けなかったことが、パフォーマンスの悪さにつながってしまいました。

――結果として、日本は予選ラウンドで3連敗を喫して大会を去ることとなります。
大神 前の年にアジアチャンピオンになって、自信をつけて臨めるはずだったのですが、あの大会では高さやパワーではなく適応力の差を感じました。戦術含めて、臨機応変に対応できる能力が自分達よりも長けているという印象でした。

――大神さんは2010年、2014年と2度世界大会に出場しましたが、いずれも苦い思い出の方が大きいのでしょうか?
大神 そうですね、結果がすべての代表なので。ただ、たとえネガティブな結果だったとしても、それをどう生かすかが重要。そうした経験を経て私は35歳までプレーすることができたので、自分のバスケットキャリアを通してみればポジティブなものだったと思います。

――その後、リオデジャネイロオリンピックや2018年のワールドカップを経て、2021年に日本はオリンピックで銀メダルを獲得。その後、HCが恩塚さんに交代したあともアジアカップ5連覇を達成。近年の女子日本代表についての印象はいかがですか?
大神 日本代表が強くなったのはもちろんですが、各国が次世代のスター選手を育てるのに苦労しているというのも一つのポイントなのかなと。例えば東京オリンピックで金メダルを獲得したアメリカ代表も、チームをけん引していたスー・バードやダイアナは私と同じ世代ですから。そんななかで、日本はチームで戦うスタイルをトム・ホーバスHCが積み上げていったことでうまくいったのではないかなと。

――現女子日本代表HCの恩塚亨氏の印象は?
大神 私が現役のときはアナリストをされていて、2010年の世界選手権も含めて一緒に戦ったチームのメンバーです。ヘッドコーチとしては、その選手の良さをどうやってうまく引き出すか、その選手がワクワクしたり、楽しくなるところを最大限に引き出す方かなと。そのスタイルは、今の世代の選手にはすごく合うんじゃないかなと思います。自分も勉強させてもらっています。

――そんななか、9月22日にはFIBA女子ワールドカップ2022が開幕します。日本代表からは、大神さんが現役時代ともにプレーした選手も多数出場しますが、当時と比べてどのようなところに成長を感じますか?
大神 「自分がこのチームにおいてどんな役割を持っているのか」を各々が分かっていると感じます。髙田や渡嘉敷(来夢)、宮澤(夕貴)というベテラン選手たちが、それを分かっているということは、日本にとってすごく大きい。直感というのは経験と知識から生まれるので、何かあったときに掛ける声や、そのとき何が必要か気付けるという点においても、経験豊かな選手たちがいることはいいことだと思います。

――大神さんが指揮を執るトヨタ自動車アンテロープスからは、馬瓜ステファニー選手、山本麻衣選手、平下愛佳選手ら3選手が代表に選出されました。平下選手はチーム最年少の20歳で大会に臨みますが、同じく最年少で世界大会に臨んだ経験がある大神さんからアドバイスを送るとしたら?
大神 いやいや、平下は年齢と違って、むしろベテランのようなメンタルをしていますから、私から何か言うまでもないです。本当に素晴らしい。

――改めて、悲願の金メダル獲得を目標にワールドカップに臨む今の日本代表に向けてエールをお願いします。
大神 この大会に一番フォーカスしているのは彼女たち自身だと思うので、とにかくこのチャレンジに向けて頑張ってほしいと思います。バスケットボールは全員で戦ってなんぼのチームスポーツですから、各選手が自分に与えられた時間のなかで、どうやって自分の武器を最大限に生かすのか。それにフォーカスすることがチームのためになることをみんな分かっていると思います。とにかくエールを送るだけです。