仙台大学附属明成高校からアメリカ・アイオワ州のエルスワース・コミュニティカレッジ(短大)に進学した菅野ブルース。アメリカの短大を経由して全米大学体育協会(NCAA)1部(DⅠ)の大学進学を目指し、昨年6月に渡米した。

 アメリカ到着直後から短大のシーズンが始まるまでに行われた“ショーケース(大学のスカウトらが見に来る大会)”で活躍し、DⅠからオファーを得るという夢をあっという間に叶えた。だが、実際に短大のシーズンを迎えると、「自分が思うようなプレーができていない状況が続いていて、スタッツのことだったり、自分の中で考えすぎる部分があり、すっきりバスケができていません」と話していた。

 上々のスタートだったアメリカでのバスケットボール。その中で気づいたことや課題、今後について聞いた。

取材・文=山脇明子

◆初めての環境に難しさを味わうも貴重な経験に

――アメリカの短大での初めてのシーズンを終えましたが、振り返っていかがでしたか?
菅野 アメリカのバスケットに慣れるという1年でもありましたし、DⅠからオファーを勝ち取るというすごく難しい1年だったんですけど、学校のことも含め、違う環境でやるということの難しさも味わって、とてもいい経験になりましたし、これからに繋がる1年でした。シーズンが終わって、やっと落ち着いています。(シーズン中)いろんなことを考えていたので、今はホッとしていて、次に(気持ちを)切り替えています。

――シーズンが始まる前にDⅠの大学からオファーをもらっていますよね。
菅野 そうですね。プレシーズンにショーケースだったり、バスケの大会がたくさんあるんですけど、そこで自分のプレーが出来て、活躍していたのでオファーをもらうことができました。

――シーズン前のショーケースに関しては、何回ぐらいプレーしたのですか?いつ頃から出場しはじめたのでしょうか?
菅野 大体4つぐらいのショーケースがありました。自分は6月13日に渡米したんですけど、その2日後ぐらいに大きなショーケースがあって、そこで活躍をして、オールアメリカンのJUCO(短期大学)のショーケースに選ばれてプレーしました。その後、8月、10月にもショーケースがあって、そこでも活躍をして、いろんな大学のコーチから声をかけてもらってオファーしてくれた大学がありました。

――今の時点で何校からオファーがあるのですか。
菅野 今は3校ですね。

――全米短大体育協会(NJCAA)でエルスワース・コミュニティカレッジが所属する2部リージョン11の学業におけるファーストチームにも入っていましたね。
菅野 単位とか落としたら試合にも出られないし、いい成績を残して(DⅠの大学へ)編入しやすくするために勉強も怠らずにやっています。

――アメリカに来て、日本で培ってきた自分の能力は十分通じていると感じていますか?
菅野 日本にいた時、ポイントガードをやらせてもらっていたので、大きくても素早く動けたりとか、ボールをハンドリングできる能力は、アメリカに来ても通じていて、活躍できる場面がたくさんあります。明成高校で学んだことが、アメリカでも生きているので、佐藤久夫先生やトレーナーの方に本当に感謝しています。

――アメリカの学生でもここ2−3年ぐらいは、長身でもボールハンドリングができることを長所としている選手が出てきています。こちらに来ていろいろ対戦してみてどうですか?
菅野 自分の身長でシュートが入ったりとか、ボールハンドリングがうまい選手は本当にたくさん見てきたんですけど、ポイントガードをしている選手は少なくて、自分はポイントガードをしていると言ったら、来た時は結構驚かれましたね。アメリカでも結構稀なことだとは思いますが、身長7フィート(約213センチ)あってスリーポイントを打てる選手も自分のチームにはいるので、そういう部分では本当に世界は広いというか、本当に来てよかったなと思っています。

――ポイントガードとしては、今のところうまくいっていますか?
菅野 今はうまくいかないことの方が多いです。自分はまだ(アメリカでの)経験が1年しかないので、やっぱり経験を積んで状況判断やスキルをもっと上げないと、これからDⅠとか、トーナメントでプレーしても多分通用しない部分がたくさんあるので、しっかり努力して自分のスキルをさらに上げていきたいです。

――ポイントガードというポジションは好きですか?
菅野 そうですね。高校でやり始めた時は経験不足で何もできなくて苦労したんですけど、やっぱり一番ボールを持てるし、自分でゲームとかをコントロールできるポジションだと思うので、自分は好きです。

◆ DⅠからのオファーにも満足せず

――少し前に仙台大明成高時代のチームメート山﨑一渉選手(ラドフォード大学)にインタビューしましたが、アメリカ人の気持ちの強さがすごいと言っていました。菅野選手や山崎選手と言えば、日本の高校ではトップクラスでしたが、それでもここに来るとアメリカ人選手の気持ちの強さをより感じますか?
菅野 アメリカの人は本当に気持ちが強くて、負けたくないという気持ちを全面に出します。日本にいる時、久夫先生にそういうことをたくさん教わったんですけど、いざアメリカに来たら、トラッシュトークだったり、本当に負けたくないという気持ちに驚きました。(勝ちへのこだわりが強いために)喧嘩とかもあったりするし、本当にすごいと思いました。最初は慣れるのが、本当に…。今も慣れてはいないんですけど、最初は結構きつかったですね。

――背番号00番は、どういう理由からつけたのですか?
菅野 元々11番でした。1番になりたいから“いち、いち”というふうにしたんですけど、チームメートが交換してほしいと言ってきました。00番もユニークだし、目立つならいいかなというふうに思ったので、そのチームメートと交換をして“00”にしました。

――確かに“00”ってあまりないから、つい見てしまいますよね。
菅野 はい、そうです。それを狙って(笑)。

――アイオワ州を本拠地とするNBAミネソタ・ティンバーウルブズ傘下のGリーグチームの試合を見に行っていましたよね? いかがでしたか?
菅野 レベルがもう、『これがNBAじゃないの?』っていうぐらい高くて、NBAはどんなレベルなのかなって、本当に見てみたいと思いました。Gリーグのレベルがこれだけ高かったらNBAはどれくらい高いんだろうとワクワクしました。自分はすごいところを目標にして挑戦しているのだと、改めてわかりました。

――菅野選手も将来的な目標は、NBA選手になることなのですね?
菅野 そうですね。それが一番です。

――その前に、まずDⅠの大学への進学がありますが、短大2年目のシーズンは残らず、来季から大学に進学するという理解でいいのでしょうか?
菅野 はい、それが今の一番の目標です。

――高校時代に故障が多かったことも短大を経由する結果に繋がったと想像していますが、短大での1年目は健康にシーズンを送ることができましたか?
菅野 ネンザとかはあったんですけど、自分としては全然大きなケガではなかったので、気にしていません。高校では、全国で戦う機会が自分は少なかったのですが、ケガとかも治って今は万全な状態です。だから早くDⅠに行って活躍することを目指したいです。

 シーズン前にDⅠの大学からオファーを得ていたとはいえ、菅野が悩み、苦しんでいたのは、シーズン中に活躍して見せることで、ハイメジャーの大学からのオファーを貰いたいという希望があったからだ。

「DⅠからオファーをもらえることは、当たり前じゃないことで難しいことなんですけど、3つ(オファーをもらえたという)、そこでは満足したくないんです」と菅野は話していた。常に上を目指していたからこそ、悩んだ1年でもあった。

 NCAAトーナメントも4月3日(日本時間同4日)に決勝を迎え、2022−23シーズンの幕を閉じる。その後、しばらくオファーを待ち、菅野はどこの大学に進学するかを決める予定だ。