12日、神奈川県・鶴見青果市場にてFMWE第3戦が開催され、保坂秀樹さんの追悼試合が行われた。

 保坂さんは19年夏の試合後に体調を崩し、同年9月に緊急入院。精密検査の結果、大腸がんで肝臓にもがんが転移していることが判明。同年10月に手術を受け、治療に専念していた。大腸がんは快方に向かっていたが、肝臓がんとの闘いが続いていた。6月25日にも手術を受けて自身のSNSで報告していたが、それ以降更新はなかったという。

 新潟県糸魚川市出身の保坂さんは関東学園附属高校時代、アマチュアレスリングに精を出し、インターハイなどに出場。高校卒業後、サブミッション・アーツ・レスリングで格闘技の修行を積み、91年8月7日、W★INGプロモーションの後楽園ホール大会で格闘家として初マットを踏んだ。PWCで弁慶のリングネームでプロレスデビューを果たし、FMWに移籍後、頭角を現してメインイベンターに成長。インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級、WEWハードコアタッグ王座などに戴冠。同団体を退団後は全日本プロレス、ZERO1などでファイト。12年以降は師匠である大仁田のパートナーとして活躍し、FMW認定世界ストリートファイト6人タッグ王座にも就いた。17年にミスター・ポーゴさんがこの世を去ると、“ミスター・ポーゴ2世”として名を継いで活躍していたが、19年8月18日、大日本プロレスの大阪・すみのえ舞昆ホール大会が最後の試合出場となった。

 この日は、大仁田厚の新団体であるFMWEのリング上にて保坂さんの追悼式が実施。
 会場には献花台も用意されており、ファンがそれぞれ保坂さんと会話した後にリング上へ出場全選手が集結し、会場の全員から黙祷が捧げられる中で10カウントゴングが打ち鳴らされた。

 その後、保坂さんの追悼試合として9選手参加のストリートファイトバトルロイヤルが実施。
 雷神矢口が宿敵・大仁田厚の顔面を有刺鉄線バットでえぐっていくと、大仁田はDDOからナックル連打で反撃していくも、矢口のサミングから全員に抑え込まれる形となり大仁田がいの一番に失格に。
 その後、矢口は保坂さんへの熱い思いを叫びながら圧倒的な強さを見せ、残り3人になるとパンディータの上にHASEGAWAをブレーンバスターで叩きつけ、2人まとめてフォールして勝利。3カウントのゴングを聞いた瞬間、矢口は組んだ両手を突き上げて天を仰ぎ、保坂さんに勝利を捧げた。

 保坂さんの姿が写ったフラッグを掲げる矢口の元へ大仁田が現れ、「おめでとう。勝ったんだよな?オイ、保坂にご祝儀は?今回は、賞金もらうんじゃないよな?賞金払うんだよ。出せよ」と矢口をカツアゲ。
 矢口が「試合後の、マイクも4年ぶり。そして闘うのも4年ぶり、大仁田さん、あんたやっぱり20何年来俺とやってた大仁田厚だよ!今日嬉しかったです」とさわやかに締めようとしても大仁田は「4年ぶりとかそんなの関係ないから。出せ早く。出せ」と詰め寄る。

 だが最後に大仁田は改めて保坂さんについて「弟みたいな男ですよ。ホントに、俺の悪いところも良いところも全部、自分の中で消化してくれて、最期までついてきてくれた男ですから。ホント、感謝しか無いですよ。ご両親が来られてたんですよ。沢山の人が追悼してくれてありがたいです」と語り、観戦に駆けつけた保坂さんのご両親に声をかけて追悼試合を終えた。