かなりひさしぶりの更新ですね。今回紹介するのは堀江ガンツさんの『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』。『変態座談会』シリーズを始め、数多くの著作を出されているイメージがありますが、単著としてはこれが初めてとなるそうです。
こちらは雑誌『昭和40年男』で執筆した記事の中で、昭和の全日本プロレス、新日本プロレスについて書かれたものに大幅な加筆・修正をほどこして1冊にまとめた、実に600ページ近い超大作です。
以前ここでも紹介した小佐野景浩さんの著作である『プロレス秘史 1972−1999』を読んでもわかるように、昭和のプロレスはジャイアント馬場とアントニオ猪木によるリング内外での戦いが織りなす大河ドラマでした。小佐野さんの『プロレス秘史』では名勝負の数々を時系列順に紹介する事で、その時代背景や空気を描いていきましたが、この『闘魂と王道』ではいくつもの重要な事件を当時は知られていなかった新証言、その後の顛末や影響などを交えて再考察されています。
著者であるガンツさんがプロレスを継続的に見始めたのは1981年からとのこと。この本で取り上げられている時代の空気などについては、これ以上ないという方たちの証言によって補足されています。中でも自分が唸らされたのがオープンタッグ選手権でのテリー・ファンクの人気が爆発した背景についてで、90年代初頭ではこれと同じような構図で大仁田さんのブレイクもあったのでは?と思い巡らせられました。
また事件の背景の解明という例としては1985年のブルーザー・ブロディの新日本プロレスの移籍についてが。当時は初来日で大旋風を起こしたロード・ウォリアーズへのジェラシーを原因として認識されていましたが、この本ではそれを移籍の動機としてはまったく触れられていません。
他にも「あぁもうこれは書いてもいいんだ」という個所もあれば、「え、そうだったの!」という個所も多く、またプロレスについて深く考察する材料としても適切な本であると思います。
もちろん何年か先には新たな証言がここで書かれた事を覆す事があるかもしれないし、読んでから「これは俺の解釈とは違うな〜」と思う人もいるかもしれません。
小佐野さんが「Gスピリッツを作っている時には『これが真相だ』と言うつもりはなく、これを材料にまた深くプロレスについてを考察してくださいという気持ちで取り組んでいる」とおっしゃっていたように、ガンツさんもあくまでも現時点での見解、考察として書いているのではないでしょうか。
巻頭では猪木さんへの語り下ろしインタビューが掲載され、巻末には天龍さんとテリー・ファンクさんの対談が掲載誌より再録されています。
その時の模様も含め、著者であるガンツさんにこの本についてインタビューさせてもらいましたので併せてご一読ください。
−まずは初となる単著『闘魂と王道』の発刊、おめでとうございます。

ガンツ「ありがとうございます。」

ーープロレスの歴史の本はこれまでは大御所と呼ばれる方たちが書いてきたイメージがありますが、ご自分がそういった本を出されたということについてはいかがでしょうか?

ガンツ「昭和プロレスの書き手としては、いま49歳のボクでも若輩者の部類になっちゃうんですが(笑)、曲がりなりにも40年以上プロレスを見て考え、この仕事を始めてからは取材してきたので、その研究成果の発表のようなものですね。

ー−ガンツさんは1981年ごろからプロレスを継続的に見始めたとの事ですが、時代の空気というものはどうしてもその場に居合わせないとわからないものですよね。この本ではその時代その時代の当事者や証言者の方たちの発言をうまく取り入れて、そこを伝えているなぁという印象です。

ガンツ「ボクもこの仕事を始めてもう23年目くらいになります。しかも『紙のプロレス(kamipro)』というインタビュー中心の雑誌をずっとやっていたんで、かなり多くの人にインタビューしてるんですけど、その中でこの事柄についてはこの人というものは自分の中でほぼベストに近い感じであったので、そういう点では自信をもって「この証言です」という風にはできたと思います。」

ーー自分もこの本を読ませていただいて、まさにベストな人選だったとは思いますが、あえて「もしご存命だったら話を聞いてみたかったひと」を挙げるのならどなたになるのでしょうか?

ガンツ「これはこの本を作る上でというのではないんですけれど、猪木さんのインタビューはできているんで。で、僕は馬場さんの取材は一切したことがないというのがあるので、あとは馬場さん、ジャンボ鶴田さんですかね。僕は99年の7月にアルバイト的な感じで『Kamipro』編集部に入っているんですけど、馬場さんはその年の1月に亡くなられていて、ジャンボさんもその年の春に引退されているということで。取材者としてはかかわった事がなかったので、やっぱり馬場さん、鶴田さんのふたりですかね。」

ー−この本での証言者という意味ではもうベストのラインナップだと?

ガンツ「欲を言えば東京スポーツの櫻井康雄さんに昭和の新日本プロレスについて聞いてみたかったですね。とにかく大きな物語として客観的にこの試合、この事件というかたちでやりたかったので、そのあたりはほぼベストだったんじゃないかなって気がしますね。」

ー−その時代の空気を知りたいという意味では、世界オープンタッグ選手権の時にテリー・ファンクの人気が爆発したことの要因のひとつとして、新日本プロレスの異種格闘技路線の反動があったとする斎藤文彦さんの証言は、当時を知らない自分にとっては「なるほど」と思わせるものでした。

ガンツ「異種格闘技戦は、猪木さんがプロレス界を代表して世間と闘ってくれていたようなところがあるから、当然みんな本気で応援していたと思いますけど。猪木ファンとはいえ格闘技系だけが好きなわけではなく、本来はプロレスらしいプロレスも好きなプロレスファンなはずですから。
異種格闘技戦に燃えつつも、もっとプロレスが見たい欲求が潜在意識の中で高まってたんでしょうね。子供のファンなんかは特にそうでしょう。ぼくがプロレスを見始めたのは全日本プロレスからだったんですけど、要は外国人レスラーが見たかったんですよ。プロレスファンは現実離れした夢の世界が好きですから。」

ー−たぶん話がテーマから逸れてしまうからあえて触れなかったのではないかと思うのですが、1988年からの新生UWFブームへのカウンターとしてFMWのプロレスならではプロレスの人気が爆発したのも同じ構図だったんだろうなと思いました。

ガンツ「潜在的なニーズがあったというのはあったでしょうね。そしてアントニオ猪木という人はトップになってからも「なぁんかこの先にあるんじゃないか。プロレスってもっとなんかあるんじゃないか」ってやってたからずっとおもしろかったんじゃないかなって気がしますね。」

ー−猪木さんのプロレスを見て、ファンの方でも「プロレスとは何か?」を考えさせられたという意味でも特異な存在でした。

ガンツ「猪木さんは大ヒットしたことをもう一回やろうなんて感じがあんまりない人じゃないですかね。晩年はレトロマッチみたいなことはやっていますけど、本当の現役時代はそうじゃなくて、あっさり捨てて次、次の人でしたからね。常に新しい刺激、新しい価値観を提示してくれたと思います。だからこういう本もできると。」

ー−そしてコインの裏表として馬場さんという存在があって。
最後にこの本の巻頭に収められている、猪木さんへのインタビューについてお聞かせください。これまで各所でお話しされているのも聞いていますが、改めてその時のインタビューで感じられたことをお願いします。

ガンツ「猪木さんの真摯な姿っていうことですね。今回はリモートでやらせてもらって、YOUTUBEやテレビでも映し出されていたご自宅からのLINEでやったんですけど。もちろんカメラマンも入らないし、どこに公開されるわけでもない。病室みたいなものですから、目に触れるのはこの本については僕しかいないんですよ。だけれども猪木さんは髪はしっかりセットして、服もきちんとして、赤いマフラーをして、ちゃんとアントニオ猪木として登場してくれて。
体調面でも本当は15分と言われていたものが猪木さん自身が「いや、もっといいよ」と言ってくれて最終的に30分もやってもらえたと。でもあとで聞くと本当に車いすに座っているだけでもつらい状態だったって聞くと、本当に最後の最後までこんな取材ですらアントニオ猪木でちゃんとやってくれている。最後までアントニオ猪木だったんだなっていう気がすごいしています。それがリング上でもぜんぶ一緒だったと思うんで、ファンとしてもありがたいなと思います。」