ヘリエ・チュン、BBCニュース(香港)

香港ではたった1週間のうちに、その歴史上最大規模のデモが2度も、そして過去数十年で最も暴力的なデモが1度、相次いで起こった。最前線にいたのは若者たち、それも20歳になるかかならないかの若い世代だった。なぜ彼らは抗議デモに参加し、政府を動かすことができたのだろうか。

「みんなに逃げるよう叫んだ」

「デモに参加した後、親に家を追い出された」

「生まれて初めて催涙ガスを浴びた。目から涙があふれて止まらなかった」

「本名を明かすのが怖い」

こうした言葉が香港市民から出てくるとは誰も思っていなかった。ましてや、17〜21歳の若者から。

つい最近まで、香港の「一般的な」10代は、政治運動や創造的思考よりも勉強や稼ぐことに熱心だと思われていた。それがステレオタイプ(世間的固定概念)だった。

しかし先週、香港の立法会(議会)ビルの周辺を占拠した若者たちはマスクを着け、バリケードを築き、カセットボンベを警察に投げていた。

その多くは、2014年の反政府デモ「雨傘運動」に参加するには若すぎた。当時は数万人の市民が数週間にわたり野宿し、政府に普通選挙の実施を求めた。

「中国になる未来」という恐怖

「オキュパイ・セントラル(占領中環、中心部を占拠しよう)」とも呼ばれた2014年の抗議デモは結局、政府の譲歩を引き出せなかった。

しかし、刑事事件の容疑者を中国本土へ引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案に抗議した今回のデモの結果、政府は謝罪し、改正案の審議を取り止めた。多くのアナリストは、事実上の計画棚上げになったと分析している。

今回は何が違ったのだろう。そして、催涙ガスやゴム弾、逮捕(ましてや将来の就職)といったリスクを負いながらもデモに参加した若者たちは、一体どんな役割を果たしたのだろうか?

<関連記事>

・香港の行政長官、改正案成立は「可能性低い」 会見で謝罪
・【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景
・【写真で見る】 香港デモの規模とルート
・香港政府、逃亡犯条例の改正を中断 「説明不足」認め

香港の若者たちは、ここ20年で政治的覚醒を経験している。2000年には18〜35歳の58%しか有権者登録をしていなかったが、2016年には70%に達した。

香港ではイギリスからの返還以降、「一国二制度」という特別な制度の下で人権や各種の自由が保障されている。

しかしこの制度を支える香港特別行政区基本法は、2047年に失効する。その後の香港がどうなるのかは、誰にも分からない。

香港の今の若者にとって、2047年はすぐ目前に迫っている。この不安感、そして何はどうあれ中国政府が迫り来ているという感覚が、若者たちを駆り立てた。


政治システムが自分たちを守ってくれる確信が持てなくなったデモ参加者たちは、抗議方法を改善し、より洗練された異議の唱え方を学習しつつある。

12日に行われた非認可の抗議デモを取材した際、私が話を聞いた人たちは全員、逮捕を避けるために身元を隠してほしいと言った。

学生のダンさん(18)は、「抗議の最中はずっとマスクを着けていたし、その後は携帯電話やグーグルマップから履歴を消そうとした」と話した。ダンさんはこのデモでバリケードを組み立てる手伝いをしていた。

電車に乗るのにICカードを使わず、紙の切符を購入する人たちもいた。ICカードを使うと、自分たちの行動を当局に追跡されやすいと考えてのことだ。

さらに、参加者の多くは、ソーシャルメディアでは慎重に発言するようになった。互いのやり取りには、「テレグラム」など自動消去機能が付いているメッセージアプリを使っていた。


デモの学生リーダーを務めたジャッキーさん(20)は、「雨傘運動の時は、自分を守るという発想のない人がほとんどだった。フェイスブックやインスタグラム、ワッツアップを使ってメッセージを拡散した。しかし今年は、表現の自由が侵害されているを目の当たりにした」と話した。

警察当局への不信

今回のデモを受け、香港の高等教育機関に務める教員や学生など複数人が逮捕された。中には手当てを受けていた病院で逮捕された人もいた。

メッセージアプリ「テレグラム」で抗議行動の情報を共有したグループ管理者として特定された22歳も、「公的不法妨害」で逮捕された。

12日のデモに関わった学生リーダーたちは特に注目度が高いため、当局の標的にされるのではないかとジャッキーさんは懸念している。

「家に帰ったら拘束されるかもしれないので、学生会館の事務所に寝泊まりしている」

警察・司法当局と、市民の関係が壊れているのだ。以前のデモに比べ、今回の参加者たちは警察への不信を募らせている。

12日には香港大学の学生2人が逮捕され、翌日には警察が学生寮を捜査しようとしていると、うわさが流れた。

香港フリープレスはツイッターで、「香港大学の学生寮は、12日の衝突で学生2人が逮捕されたことを認めた。大学当局によると2人は警察によって保釈されたという。一方、学生寮が警察の捜査の対象になるかどうかについては明言しなかった」と報じた。

https://twitter.com/HongKongFP/status/1139192650723028993


混乱の中、学生たちはすぐに地元の議員や弁護士に連絡し、学生寮の建物を囲んでもらった。最終的には、寮への家宅捜索は行われなかった。

ダンさんは、雨傘運動の時の警察の行動から、当局への信頼がなくなったと語った。この時には多くの警官が参加者を殴り、後に逮捕されている。

「その前まで、警察は法を守り市民を守る存在だと思っていた。(中略)でも今は、一部の警官は個人的感情をむきだしにするかもしれないと気づいた」


今回のデモに参加した学生や若い社会人は、ひと世代前の参加者よりも公共の場での集会にまつわる法律を破ることにためらいがなく、目的のためなら逮捕もいとわない傾向にあるように見える。

より不安定な政治環境に生まれた身として、戦って守るべきものが沢山あるからだというのが、彼らの言い分だ。

トムさん(20)は12日のデモで物資の供給を担当した。自分が活動家になったのは「育ってきた時代のせいだ」と話す。

トムさんの世代は数々の政治的なあつれきを目の当たりにしてきた。2012年には政府が中国の「愛国教育」を義務化しようとしたが、これは就学児童を「洗脳」し、中国の人権侵害をごまかすものだという批判が相次いだ。

「子供の頃からあった自由を、政府が様々な政策や措置で抑圧しようとするのを見てきた。だからこそ、香港がその核となる法治主義と自由を失っていけないと強く思う」

中国の国歌に敬意を表さないと罰せられる最近の法律や、民主派および独立派の議員の資格はく奪、独立派活動家の拘束といった政府の動きを批判する若者もいる。


2014年の雨傘運動は今回のデモに、複雑ながらも明確な影響を与えている。

12日のデモに参加した若者の多くは、雨傘運動に参加するには若すぎたが、雨傘運動を心のよりどころにすると同時に反面教師にもしている。

ベンさん(20)は、2014年には親に抗議デモへの参加を禁じられたという。

しかし大学生になった今、ベンさんは先頭に立って抗議活動を計画し、逮捕されそうな学生への法的支援もまとめている。


ベンさんは、雨傘運動は「失敗」だったと言う。抗議する側がその最終目的だった「普通選挙」の定義などで仲たがいしたからだという。

今回のデモが要求するのは民主主義の拡大ではなく、香港が現在持っている権利の維持だ。そこが、雨傘運動と今回で決定的に違う。

ベンさんによると、デモ参加者は「今ある自由を失わないために戦った」ため、一致団結しやすかったという。

雨傘運動は学生を政治運動へと駆り立て、公道でデモを行う自信を与えた。

12日のデモで救急ステーションの運営を手伝ったジャッキーさんは、雨傘運動が自分を「政治的に目覚めさせた」と語った。

「私はそれまで政治にはあまり関わっていなかった。しかし政治参加がいかに大事なものか雨傘運動が教えてくれた」

雨傘運動の功績は、今日の香港の若者に警察とのにらみ合いにどう備えるかというノウハウを与えたことにもある。

ある大学のキャンパスでは、学生たちが医薬品を詰め込んだ袋や段ボール箱を何十個も用意していた。中には催涙ガスを浴びた人のための吸引薬や、催涙スプレーを洗い流すための塩水などが入っていた。

学生によると、これ以外にもたくさんの物資が一般市民から寄付されたという。

つまりデモの最中に警察と衝突が起きた時点で、デモ参加者たちはこれまでよりずっと準備万端で、効果的に動くことができたというわけだ。


こうした学生たちの動きを、親たちはどう思っているのだろうか。その反応はさまざまだ。

イングリッドさん(21)はこの日、仕事が終わってから抗議デモに参加し、前線に応急処置の医薬品を運ぶ手伝いをした。

イングリッドさんの両親は警察を支持しており、デモから帰宅すると家を追い出されたという。ただし、その数日後には家に戻ることが許された。

ジャッキーさんは、自分が抗議活動の運営にどう関わっていたのかを両親や祖父母に「話すつもりもなかった」。しかしニュースでジャッキーさんの参加を知った後、家族は協力的で、危ないことはしないようにと伝えてきたという。

もちろん、一連の抗議運動を、若者のみの純粋な学生運動として扱うのは間違いだ。

香港政府の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は企業団体や、所属するキリスト教カトリック教会、さらには母校からも改正案に対する圧力を受けた。

改正案に反対する署名活動を行った団体の中には、林鄭長官が通っていた聖フランシス・カノッサ小学校(嘉諾撒聖方済各学校)もあった。卒業生の影響力が強く、プライドも高い香港の一流校としては非常に大きな動きだった。

署名した卒業生のオーブリー・タオさん(22)によると、林鄭長官は頻繁に同校の校訓を引用しているという。その上で、「同校の卒業生として、このような政権運営をすべきではない」と伝えたいと話した。


しかし、12日のデモは、若者主導の不認可の抗議行動だった。若者は大勢で野宿し、統率のとれた行動をとり、警察に対応を余儀なくさせた。若者ならではのこの力があったからこそ、政府は改正案の審議を中断せざるを得なかったのだと、大勢が受け止めている。

世間が学生たちを非難する側に回る可能性も、十分にあった。暴力沙汰になった過去の抗議行動では、そういう展開が多かった。

しかし今回に限っては、世間も一線を越えたのは警察の方だと感じているようだ。

12日の衝突では、武装警官がゴム弾やビーンバッグ弾、そして150個もの催涙ガス円筒で対応した。これは、79日間続いた雨傘運で使われた催涙ガスの数よりも多い。

警察は、「暴徒」に対応するには必要な措置だったとして、デモ参加者がレンガや鉄棒で警官を攻撃したと主張した。

BBCが取材した中でも、抗議者がペットボトルや棒を警官に投げていたという証言が得られた。

それでもなお、若いデモ参加者が催涙ガスや催涙スプレーを浴びる映像を見た大勢が、警察当局と、警察を擁護した林鄭長官に怒りを向けた。


ソーシャルメディアなどで拡散された動画の中には、中年女性が警官に向かって「貴方たちもいつか父親になる!」と叫んでいるものもあった。

12日の衝突を受けてキリスト教団体がデモに加わり、警官に向かって何時間も聖歌「ハレルヤ」を歌い続けた。

また、「母親のデモ行進」には何千人もの女性が参加し、「子どもたちを撃たないで」などと書かれたプラカードを掲げた。

一般市民からの圧力が強まるにつれ、議論が白熱する中で改正案の審議を急ぐべきではないと林鄭長官をさとす発言が、政府の元高官から出るようになった。

親中派の議員や政府高官も、審議を遅らせるべきとの訴えを始め、法案に対する市民の反応を過小評価していたと認めた。

約半数しか公選で選ばれず、親中派が過半数を占める議会としては大きな動きだった。


香港が次にどこに向かうかは定かではない。林鄭長官は15日、改正案の審議中断を発表したが、翌16日には益々大勢の人が完全廃案を求めて香港の主要道路を埋め尽くした。

16日には、デモに参加するのは初めてだという人たちもいた。警察暴力に抗議し、若者を支援したいからだという声も多く聞かれた。

一連の出来事で、香港におけるデモへの見方が変わった。これははっきりしている。


トムさんは、「逃亡犯条例」改正案への反対運動が「過去30年の抗議の伝統を打ち砕いた」と語った。

「警官の前で何時間も聖歌を歌ったり、母親たちが抗議のために集まったり、記者が記者会見でヘルメットやマスクを着けて無言で抗議したりする。こうした活動が結果につながるなど、まったく予想外だ」

12日のデモで生まれて初めて催涙ガスを浴びたイングリッドさんは、本当につらい体験だったと話す。

「刺すような痛みで何も見えなくなった。私はワンピースにブーツを履いただけだった。水を浴びると、催涙ガスのかゆみがどう反応するのかも知らなかった。シャワーを浴びるとやけどしそうに熱くて、まるで地獄だった。もう二度と、ガスの筒が開く音、あの『ポン』という音は聞きたくない」

それでも、イングリッドさんは抗議活動を続けるという。

「この街は私のふるさと。自分の身の安全を心配するより、この街がどうなるかの方がはるかに心配だ」

(文中の名前は一部仮名)