新型コロナウイルスの流行にともない、大きな影響を受けたのが人や物の「移動」だ。世界的なロックダウンにより、運輸・観光業界などは大打撃をこうむった。

新型コロナの脅威は依然として消えておらず、「アフターコロナ」がいつになるのかも判然としない。大企業などを中心にテレワークが一定程度浸透したこともあり、このまま「移動」の機会が減った社会になる可能性も考えられる。

テレワークなど働く場所・働き方などを研究する関西大学社会学部の松下慶太教授は、「コロナ禍で、移動に関する価値観や人々の行動パターン(働き方)に大きな変化があった」と指摘。「移動については、時計の針がコロナ禍ですごく進んだ印象がある。今後、消える職業も出てくるだろう」と話す。

「移動の未来」は一体どうなるのか。松下教授に話を聞いた。

●「移動して会う意味とは何なのか」が問われている

ーーコロナ禍でテレワークが広がり、通勤せずに働く人が増えました。

これまで通勤は、働く人にとっても企業にとっても「コスト」として捉えられていましたが、それがコロナ禍でより決定的になってきたように思います。

コロナ以前は、そのコストを払う合理性がありました。

たとえば、本社などがある都心は土地代や賃料等が高額なため、誰もが都心に住むというのは現実的には困難です。ですから、鉄道網が発達している郊外に住んで、通勤手当を充てて支援することに合理性が認められていたわけです。

しかし、そのコストが今は高負担となっています。テレワークができるのに、あえて通勤させることへのコスト、企業が通勤手当を支払うことへのコストを本当に負担すべきなのか。その判断がコロナ禍で変わってきています。

ーー通勤を含め、「移動」への考え方が変わってきているのを感じます。

移動の対象は、「人」、「物」、「情報」です。「情報」はオンラインに拠るところが大きくなりましたが、「物(物流)」は依然として移動を伴わざるを得ません。では、「人」の移動はどうでしょうか。

コロナ前は、「研究室にご挨拶で伺わせてください」と言われることがよくありました。挨拶程度を強く断ることもないという態度でいると大抵は来ます。しかし、コロナ後は、感染リスクある中で挨拶に来るのはいかがなものなのか、という感じになりました。

「とりあえず挨拶する」というような移動は、「誠意を見せる」などの意味合いで行われていましたが、風向きが変わってきたように思います。「移動して会う意味とは何なのか」が問われており、儀式・儀礼的に行われていた移動の価値が大きく揺らいでいます。

感染するリスクがあるにもかかわらず、それでも会いに行くべき理由などを伴う「プレミアムな対面」をどう考え、どう捉えるか。それによって、「人」の移動は再定義されるのではないでしょうか。

●「移動すること自体の価値」以外の価値が重要に

ーー人々の移動が減り、交通を担う企業は赤字に苦しんでいます。

交通ビジネスの定義を変えていかざるを得ないのではないでしょうか。

たとえば、鉄道会社はこれまで、最初に沿線価値を高めて住んでもらい、定期券を買った沿線住民の大量輸送で収益をあげるといったやり方をベースに成長してきました。しかし、今後同じような方法での成長はなかなか見込めないでしょう。

特定の地域に行くことでクリエイティビティが高まるなど、移動することの価値を新たに見出し、そこと結びついたサービスが求められるようになると思います。個人的には、不動産業界と近い状況だと感じています。

ーーどのような点が近いのでしょうか。

これまでは、「繁華街に近い」「駅に近い」など場所がいいから賃料が高い、というのが不動産価値の基本でした。しかし、人口が減る中で、そのモデルには限界がきています。

では、賃料やテナント料を高く設定していいロジック(論理)は何なのかというと、「その場所に集まることでアイデアが生まれる」「面白い人が集まっているから」などの理由になってくるのではないでしょうか。

つまり、「場所の価値」だけではなく、その場にある「コンテンツの価値」と結びつけて、賃料やテナント料を決めるという戦略になるわけです。

そこに行くことで、「仕事がはかどる」「アイデアが高まる」のであれば、高い利用料を払ってもペイできるという考え方も出てきます。すでに存在するコワーキングスペースを提供するサービスなどはその一例と言えます。

鉄道も同じように、「AからBまでの移動が300円」ということではなく、「新たな出会いや発見があるかもしれない」「沿線地域のカルチャーに触れられる」などのコンテンツ自体に価値を持たせることで、「この価格設定になる」「沿線に住んで、移動できること自体に意味がある」といったプレミアム価値に重きを置くようになるのではないでしょうか。

●これまではずっと「移動」を肯定する方向性だった

ーーインフラでもある交通・運輸業界が変わることで、経済への悪影響も懸念されます。

人の活動、特に働くことに関しては、既存の業種が縮小すれば、その分だけ違う領域が出てくるものです。たとえ交通・運輸業界の規模が小さくなっても、別の業界の業績が拡大するなど、経済全体としてのバランスは失われないのではないでしょうか。

かつて自動車や鉄道が登場したことで馬車などの既存の交通手段は消えましたが、一方で自動車・鉄道で使用するための石炭を扱う業界が隆盛しました。どこかで帳尻は合うものだと思います。

ーーアッチが衰退すれば、コッチが発展するということですね。

ただ、これまではずっと「移動」を肯定する方向性、「より早く、より遠くに、より大量に」というベクトルでした。コロナ禍の現状は、「移動」を肯定しない方向性、「動かない」というベクトルです。

これまでの移動手段の進化は、人間の活動・環境を拡張していくものでした。テレワークなどに伴う変化は、拡張というよりも、個人にフィットさせていくものです。

その違いの中で、今後どうなっていくのかという点は興味が尽きません。個人的には、「『この瞬間の自分』にフィットさせるためのサービス」が増えていくのではないかと思っています。

●街にとっては「住む」という要素がより重要になる

ーー移動が「『この瞬間の自分』にフィットさせるためのサービス」に転換されるということでしょうか。

そうですね。これまで「自分がしていた移動」が、「『この瞬間の自分』にフィットさせるためのサービス」に代替される、すなわち「自分以外の移動」にお金を払うという形になるということです。

ーー「自分以外の移動」を担うのもまた「人」だと思うのですが。

現時点ではその通りです。しかし、ゆくゆくは、自動運転やドローンによる「人以外の移動」が担うようになるでしょう。

現状では「配達員はテレワークできない」と言われていますが、おそらくそれは解消されます。自動運転やドローンで配達するようになれば、配達を担う人がどこにいるかは関係なくなるはずです。

ーー自分が移動するためのサービスが減るとなると、「自分が移動すること」は高コストになるのでしょうか。

おそらくそうなると思います。ただ、その分、自宅で仕事し、たまに運動も兼ねて散歩し、さらに地元の商店等を発掘する、といったような動きのように、近所への散歩や短距離の移動は増えるかもしれません。

実際、私の自宅近くの商店街でも、私を含め、テレワークしている人が昼食を買いに来る姿などを見かけるようになりましたし、行政や商店街側も居心地が良く歩きたくなるウォーカブルなまちづくりを進めようとしています。

街の発展にとって、「住む」という要素がより重要になるのではないでしょうか。