東京五輪・パラリンピックが閉幕した。コロナ禍で開催されたスポーツの祭典には、さまざまな批判の目が注がれたが、その一つが人権問題だった。

オリンピック憲章では、人種や性別、性的指向、言語、宗教、政治的意見、社会的な出身などあらゆる差別を禁止している。

また、東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は、持続可能性に配慮した「調達コード」を設定し、人権などを遵守しなければならないとしていた。

つまり、差別やハラスメントの排除、マイノリティの人々の権利の尊重などが明記されていた。

しかし、東京オリンピックでは、これらの憲章や調達コードは本当に守られていたのだろうか。今、日本の社会にはどのような人権意識が求められているのだろうか。

国際人権問題に取り組んでいる佐藤暁子弁護士に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

●人権にどう向き合うかが「オリンピック」という場

まず、東京オリンピックで評価できる点を尋ねてみたところ、佐藤弁護士は言葉を選びながらこう答えた。

「問題点が明らかになったことが、評価できる点かもしれません。開会まで、本当に枚挙にいとまがないほど、いろいろな問題が起きました」

2021年2月、当時の大会組織委員会長だった森喜朗氏が、日本オリンピック委員会の評議会で女性蔑視発言をしたとして批判が殺到した。続いて3月、開閉会式の演出を総括していたクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が女性タレントの容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚して炎上した。両氏ともに辞任している。

さらに開幕直前の7月、開会式の作曲をミュージシャンの小山田圭吾氏が、障害を持つ同級生を「いじめていた」という過去の雑誌記事がネットで拡散され、やはり辞任に追い込まれる。

開会式の前日にも、ショーディレクターだった小林賢太郎氏が、過去のコントでホロコーストを題材にしていたとして、米国のユダヤ人人権団体から非難声明が出され、国際的な問題に発展して辞任した。

「オリンピック憲章で人権の尊重や差別の禁止、また多様性をうたっていながら、実際には、これまで日本社会のマジョリティは目をつぶってきた。それが浮き彫りになってしまったなと思いました。

たとえば、聖火リレー最終走者に大坂なおみさんが選ばれましたが、その後、『森喜朗氏が『純粋な日本人男性を望んでいた』と報じられました。

SNSでも、『なぜマジョリティの日本人じゃないのか』というバッシングがありました。人権に対する認識の偏りを感じましたね」

(編集部注:大坂なおみさんは日本国籍を有しています)

「もちろん、私自身も差別的なバイアスが絶対にないとは言えません」という佐藤弁護士。

「ただ、どうやって自分の中にあるそういった偏見やマジョリティ性と向き合っていくのか、ということが問われているのだと思います。

過去に差別的な言動をしていたとしても、今、そのような自分の考えにどう向き合って変えていくのか。オリンピックは本来、そういう場になるはずだったのだろうと思います。

平和の祭典とも言われるオリンピックですが、奇しくも世界に目を向ければ、アフガンでタリバンが政権を握るようなことが同時並行で起きています。

この世界はかならずしも平和でも平等でもない。でも、スポーツを通じて、そこをどうやって培っていくのかが期待されていたのに、今回は商業主義の側面が強調されて終わってしまったのはとても残念でした」

●調達コードの取り組みを「レガシー」に

東京五輪・パラリンピックでは、「調達コード」の取り組みもあった。これについて、佐藤弁護士は「まだ十分ではなかったし、改善も必要だが、調達コードが日本で浸透するきっかけにはなったと思います」と評価する。

まだ日本では聞きなれない「調達コード」とは、どのようなものなのか。

「これまで、民間企業でも公共機関でも、物品を調達する際に何が基準になっていたかといえば、価格でした。できるだけ、安く良い物をということですね。

ただし、安さの裏に何があるのかということは、あえて考えてこなかった。その物品の製造や流通に関わっている人たちの労働に対する正規の対価が支払われていてもこの価格なのか、見てこなかった。

ですから、そうした人たちの人権が守られているのか、きちんと企業としてコミットしましょう、社内で方針として確立させ、人権侵害のリスクに取り組みましょう、というのが、調達コードです。

東京オリ・パラでも、『持続可能性に配慮した調達コード』が設定されました。その趣旨が十分に果たされていたかといえば、まだ問題があるとは思いますが、少なくともそういう調達コードを作ったということはとても重要で、評価されることだとは思います。

しかし、これは東京オリ・パラが終わったから、はい終わりという話ではないはずです。ここで得た知見や課題、不十分だった点をどうやって改善していくのかということも含めて、今後、日本の企業の取り組みに生かしていってほしいです。

それが、東京オリ・パラのレガシーになるはずです」

●ウガンダ選手の失踪とウィシュマさん事件

東京オリンピックでは、ウガンダの選手が宿泊施設から失踪し、難民申請の意思があったと伝えられつつも帰国させられた事件や、ベラルーシの選手が迫害を恐れてポーランドに亡命する事件が起きた。佐藤弁護士はどうみたのだろうか。

「この二つの事件はとても対照的でした。ベラルーシの選手は、ご本人の望むかたちで第三国へ亡命しましたが、日本政府が何かしたわけではなく、ベラルーシの政治と戦ってきた人たちのネットワークが助けたと聞いています。

また、ウガンダの選手の事件では、海外でどのような人権侵害が起きていて、もしも保護を求められた場合に国家としてどう適切に対応するのか、問題があることが明らかになりました」

折しも、入管施設でスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件が、東京オリンピック開催中に大きく報道され、入管庁に批判が集まった。

「東京オリンピックで起きた事件も、ウィシュマさんの事件も、つながっています。ウィシュマさんの事件は、入管施設による行為は許されるべきではありませんが、そもそも現在の制度、仕組み自体が大きな課題であり、根本的に変える必要があります。

日本政府は共生社会を実現すると掲げる一方で、日本のために都合よく活躍してくれる人、生産性のある人しか共存できないというメッセージを端々に感じます。そのきれいにコーティングされたメッキが剥がれたのが、東京オリンピックだったなと思いました」

●「まだそんな国があるんだね」と驚かれた留学時代

日本の人権に対する意識は、世界におけるそれとは異なっている。

佐藤弁護士がそれを知ったのは、2012年に弁護士となってから3年後、オランダ・ハーグに留学していたときのことだ。留学先の大学院には世界各国から人々が集まっていた。

「開発や人権について学ぶコースだったのですが、同級生は45カ国以上から来ていました。中東やアフリカ、南米などニュースでしか聞いたことがないような国もありました。

同級生たちと話す中で、日本で違和感を感じていたことは、やはり世界の人権意識からみてもおかしいだと確認することができました」

たとえば、現在国内で議論となっている選択的夫婦別姓。

「当時、アメリカでは同性婚が合憲であるという判決が出て、話題になっていました。セクシャルマイノリティや女性の人権について、ウガンダのクラスメイトと話していたところ、日本では夫婦別姓の制度がないことにとても驚かれました。

まだそんな国があるんだねと言われて、9割以上の女性が夫になる男性の姓を選ぶことに、さらにびっくりされました。

日本は経済発展国で、技術大国というイメージが強いのですが、人権に対する意識ではまだギャップがあるということを、そこであらためて感じました」

そのときの経験が、今の仕事につながっているという。

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●気候変動対策に人権の観点を

現在、佐藤弁護士が注視しているのが、「気候変動への取り組みと人権」という問題だ。

菅首相は2020年10月、臨時国会の所信表明演説で、「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」という「2050年カーボンニュートラル」を宣言した。

「石炭火力発電からの撤退など、急速に進められていますが、その政策の中にきちんと人権という観点が入ってるのかが気になっています。単純にCO2を削減すればいいんですよね、という話ではなく、どういう意識で取り組んでいるのか。

たとえば、気候変動によって特に影響を受けやすいのは、先住民の人たちや島嶼部の人たちです。日本でも、たびたびの水害によって生活が脅かされている地域があります。

気候変動に向き合うため、産業構造や私たちの生活を変えていかならないという中で、社会の格差が世界的に広がり、人権が守られていないという現実があります。

しかし、日本の政策には、そういう問題意識を感じることができません。今後、気候変動対策は本格化していくと思いますが、やはり日本における人権への意識をきちんと持つことが重要なのではないでしょうか」

【佐藤暁子弁護士略歴】
ことのは総合法律事務所。国際人権団体「ヒューマンライツ ・ナウ」事務局次長。2003年、聖心女子学院高等科卒業。発展途上国における法整備支援をしたいという思いから弁護士を目指す。2006年、上智大学法学部国際関係法学科卒業後、2009年に一橋大学法科大学院卒業。司法試験合格後、現地で人々の生活に触れてみたいと思い、名古屋大学日本法教育研究センター在カンボジアに日本法非常勤講師として赴任、カンボジア人の法学部生に日本語で講義をした。2012年に弁護士登録、札幌市の坂口法律事務所に入所し、一般民事・刑事事件に加えて、障害者の人権問題に取り組む。オランダ・ハーグのInternational Institute of Social Studiesに留学、2016年に開発学修士課程(人権専攻)修了。現在は、ビジネスと人権の問題について、人権方針、人権デューディリジェンス、ステークホルダー・エンゲージメントのコーディネート、政策提言などを通じて、ビジネスと人権の普及・浸透に取り組む。