1月1日に放送されたTBS系「ジョブチューン コンビニジャッジ元日SP」が炎上している。出演したシェフがファミリーマートの「直巻和風ツナマヨネーズおむすび」を最初口にせず、ファミリーマート担当者の懇願などを経てようやく一口食べたことが物議を醸しているのだ。

SNSなどを中心にこのシェフの行動に対しての賛否両論が交わされているが、この問題をどう捉えるべきなのか。筆者はテレビマンとして、制作現場の視点からこの炎上の背景を考察してみたいと思う。(テレビプロデューサー・鎮目博道)

●「大スポンサー様への忖度」をぶっ壊した番組

まず、この「ジョブチューン」という番組について考えたい。私はこの番組は「予定調和でお約束が多いバラエティが多い昨今のテレビ界で、実に上手いスキームを考えた良質のバラエティ番組」だと思っている。

何が「上手いスキーム」なのか説明しよう。簡単に言ってしまえば「テレビの世界で圧倒的な強者であるナショナルスポンサーに、しっかりダメ出しできるスキーム」を考えたということである。

ジョブチューンで「一流シェフ」に料理をダメ出しされるのは、今回出演したコンビニの全国チェーンやファミレス、大手飲食チェーンの担当者だ。容易に想像していただけるだろうが、こうした「ナショナルスポンサー」は各局に膨大な広告出稿を行なっているわけで、テレビ局の役員レベルが平身低頭するような「絶大な威力を持っている」企業であることは言うまでもない。

そんな「大スポンサー様」の商品に対して、番組で「マズい」とか「あり得ない」とか言いたい放題に文句を言うのが「ジョブチューン」のコンセプトであると言っても過言ではない。大企業の開発担当者が、一流シェフたちに時には褒められて歓喜し、時には歯に衣を着せぬ辛口批評に心底落胆して号泣するのだ。これがなんとも見ていて面白い。時には感動すら覚える。

この何が巧みかというと、「悪口を言われても、言われた側に全く損がない」と言うことだ。感情移入を誘う演出により、視聴者はいつしか「ジャッジをされるコンビニの担当者」の応援団になっている。一流シェフの一言一言に一喜一憂し、担当者が真摯に自分の仕事と製品に向き合う姿に好感を持ち、いくら「マズい」と言われてもその製品にも好感を持ってしまう。「今度はもっと改良してリベンジすればいいよ。頑張れ!」と、いつしかその企業のファンになってしまう。

だから、「大スポンサー」も嬉々としてこの番組に参加し、嬉々として「ダメ出し」を受け入れ、それを良い契機と捉えて商品の改良すら行い、再び番組に出演するのだ。「ジョブチューン」はかなり、出演する「大スポンサー」にとってお得な番組なのだ。

そしてこの番組は最近の「テレビ不信・テレビ離れ」を食い止めている側面もあると私は思う。最近の視聴者の中には「どうせテレビなんてスポンサーの都合の良いように忖度されている」とか「テレビ番組には巧みに宣伝が潜り込まされている」などと考えている人も多いと思うが、「ジョブチューン」はその概念を打ち壊してくれているわけだ。商品について酷評され、泣く大企業の担当者。「そうか、テレビでもこういう忖度のない批評が可能なのだな」と思わせてくれる。それはある意味テレビバラエティの信頼感を高めてくれさえするのだ。

●「台本」はあったのか?

さて、この手のバラエティ番組で問題が起こると、必ず聞かれるのが「台本はあったのか」ということだ。ここまで読んでいただいた貴方にはお分かりかもと思うが、これはまず間違いなく「台本はなかった」と言うことができる。なぜなら番組が一番「売り物」にしているポイントのひとつが、前述したように「歓喜し、また、悲嘆に暮れる開発担当者たち」だからだ。

もし台本があったら、企業の開発担当者たちはリアルに泣いたり笑ったりするだろうか? テレビ出演者としては「素人さんたち」であるわけだから、台本に沿って感情を爆発させたりはなかなかできないものだ。

では、審査員である「一流料理人たち」にだけ「台本通り厳しいことを言わせている」可能性はどうか? 私はこの可能性についても否定的だ。料理はご存知の通り専門性の高い世界だ。長年食品の商品開発に携わっている人たちに「ズキッとするような厳しいことや、思わず小躍りするほど嬉しいこと」がリアルに言えるのは、まさに「一流料理人だからこそ」だ。テレビマンや放送作家がいくら知恵を絞っても、そんなセリフを考えることはできない。無理だと断言することができる。

私がもし「ジョブチューン」の担当ディレクターだったとしたら、審査員たちに事前に言うべきことは「正直な感想をズバッと言ってください。決して遠慮しないでください」ということぐらいだろう。あとせいぜい追加するとして、「合格・不合格の札を上げるまではできるだけ感情を押し殺しておいてくださいね」くらいだろうか。実際、多分その程度しか演出サイドはシェフたちに言っていないのではないか。

●改善策も提示、よく観ると「厳しいが真摯なダメ出し」

そして、今回問題になった「おむすびを食べなかったシェフ」についても、多分番組サイドの指示はなく、自身の意思に基づいて「おむすびを食べない」という行動を取ったのだろう。この「ジャッジをするのにおむすびを食べもしない」という一見不遜にも思える態度が結果的に炎上を招いたわけだが、これも番組の前後の文脈を見て判断すれば「さほど失礼なことではない」というのがよく分かると思う。

このシェフは番組で一貫して、試食した商品について「厳しく、しかし理論立てて説明をしながら改善策も提示する」という態度で審査をしている。料理を科学的・論理的に考えていて、真摯に批評をしているということが非常に伝わってくる。

「おむすびを食べなかった」後にファミリーマートの担当者から「食べてほしい」と懇願を受け、一口食べたあと食べなかった理由が「食べる気にならない見た目であったこと」と、「見た目は料理にとって大切であること」そして「見た目を改善するにはこういう方法が考えられる」という改善策を冷静にきちんと説明し、最初食べなかったことについて謝罪もしている。

きちんと見れば、真摯に審査を行ったからこそ「問題提起としておむすびを食べなかったのだ」ということがちゃんと伝わってくるのだ。

前段にも述べたように「大企業に対して忖度せずダメ出しができる」という、今どき珍しいリアルなバラエティ番組であることを考えると、こうした審査員の「厳しいが真摯なダメ出し」に感情的に拒絶反応を示し、攻撃して炎上させてしまうような視聴者の態度は、むしろ「良質な番組を潰してしまっている」と言うことすらできると思う。「最近面白いテレビ番組が少ない」と嘆いているあなた自身が、面白い番組を無くすのに加担してしまっている可能性すらあるのだ。

●「煽る」演出に問題はなかったか?

ただ、番組サイドに問題が無かったのか、というとそうでもない。確かに「ジョブチューン」は良質な番組であると思うが、結構「煽る演出」を多用している。

今回の問題となったシーンも、スタジオのタレントたちは「おむすびを食べなかった」シェフの態度に対して驚き、疑問を呈し、シェフに対して「怖い」などと不快感を示している。これはもちろん「ドラマチックに盛り上げるための煽り」であるわけだが、こうしたタレントたちの反応に視聴者も感情的に引きずられて、シェフに不快感を持ってしまうのを助長しているのは否めない。

そもそも実は「ジョブチューン」のスキームは、出演する大企業やテレビ局サイドにとっては「得をする」フォーマットだが、「審査員として出演する一流シェフ」にとっては実はそんなに「得はない」と言えるのではないか。もちろん、テレビ出演することで「知名度が上がる」というメリットはある。しかしそもそもこの番組では「本当に一流で、既に著名なシェフ」が出演しているので、既に知名度は十分すぎるほどあるシェフばかりである。しかも、本当に一流店が多いので、高級で値段も高く、この番組に出演することでそれほど来客が増えるかどうかは微妙な気もする。

●撮影で生まれる「誇張された役割」のプレッシャー

また、なんとなく審査員のシェフの中でも「優しいシェフと厳しいシェフ」を役割分担している感じはあって、番組サイドは「優しいシェフにはより優しい役割を、厳しいシェフにはより厳しい役割を」望んでいる節がある。

はっきりと指示をしたりはしないまでも、暗黙のうちに「今日もいつもの調子で、ビシッとお願いします」などと「厳しい役割を望む雰囲気」を番組サイドからシェフに伝えることで、シェフに「俺は厳しい役割を果たすのがこの番組で望まれていることなんだ」とプレッシャーとして覆い被さっていた可能性は高いと思う。

そういう意味ではこの構図は、かつて恋愛リアリティショーで問題とされた構図と似ていないことはない。テレビ番組の中でいつしか与えられた「誇張された人格」に、出演者自体が潰されてしまうような事態だけは避けなければならない。そういう意味で番組サイドには、審査員であるシェフを「守ってあげなければならない」責任があるのだ。

まずは、「厳しい役」のシェフを演出で救うべきだ。「完全に悪い人」という感じに視聴者の目に映らないように、バランスをとった「煽り」が求められる。そして、今回TBSが行なっているように、「誹謗中傷をしないように」と視聴者に積極的に呼びかけることも大切だ。

こうしたリアリティのあるバラエティー番組は、人間のいろいろな「真実の姿」が垣間見えて実に面白い。しかし、その性質上「出演者が非難され、誹謗中傷される」危険性も本質的に孕んでいる。

ぜひ、番組制作サイドには、出演者を守る姿勢を求めたいし、テレビを見る私たちは「きちんと前後の文脈を見て判断し、理性的な反応をする」ことで、こうした良質な番組をはぐくみ育ててもらいたいものである。