近鉄京都線・伊勢田駅を下車し、住宅街を歩くこと10分。「ウトロ51番地」と書かれた青い看板の向こうに、まだ新しい5階建て集合住宅と整備されたばかりの道路があった。すぐ隣には、火災の跡が残る空き家が何軒も並んでいる。

京都府宇治市の「ウトロ地区」は、戦前、「京都飛行場建設」のためにあつめられた在日朝鮮人労働者たちで形成された集落だ。今年4月30日、この地で生きてきた人たちと寄り添い続けた日韓市民の記憶や思いを未来へ伝えていく、「ウトロ平和祈念館」がオープンする。

「ダークツーリズムとしてただ消費するのではなく、ぜひ、ここに来て過去と今を見て知ってほしい」

ウトロ平和祈念館の事務局長、金秀煥(キム・スファン)さんだ。昨年8月、ウトロ地区の一角が放火されて、展示予定だったパネルの一部が焼失しているが、キムさんはできあがったばかりの建物を前に柔らかな表情で語った。(ライター・碓氷連太郎)

●帰国がかなわず日本に取り残された人たち

1939年、当時の大日本帝国政府の後押しで、ウトロ地区に「京都飛行場」が建てられることになった。飛行場建設のためにあつめられた労働者は約2000人、そのうち1300人が朝鮮人労働者だったと言われている。彼らは貧困に苦しんでいたり、徴用から逃れるためにやって来た。

終戦を迎えて工事が止まると、朝鮮人労働者の多くが帰国を希望した。しかし、日本の植民地となっていたことから、家族や住まいを失っていたり、その後の「4.3事件」(済州島で民間人が虐殺された事件)や朝鮮戦争の混乱によって帰国できない人も数多くいた。

日本政府からの保障がない中でとどまることを決意した彼らは、飯場だった一角に自らの手で住まいや学校など、生活基盤を作り上げていく。上下水道が整備されず、大雨が降ると床上浸水するなど、発展から取り残されていたものの、同胞が住んでいることを理由に引っ越してくる朝鮮人もいたという。

●土地が転売されて「不法占拠者」に

劣悪な住環境から「朝鮮人スラム」として蔑まれ、「潜入レポ」と称して、ウトロを「怖い」「危険」「近寄ってはいけない」と紹介するサイトがある。その中には「ウトロは朝鮮人が不法占拠している」と書いているものもある。

戦後、土地を所有していた「日産車体」から1987年に土地を買い受けた第三者が不動産会社に転売し、この会社が住民たちに立ち退きを迫った。その際、無理やり住民を追い出そうとしたことから訴訟となり、敗訴した住民は不法占拠とされてしまったからだ。

しかし、「現在は違う」とキムさんは否定する。

「ウトロ地区のうち、1152坪は韓国政府系の財団が、830坪は民間基金財団が所有しています。その一角にある5階建ての市営住宅に40世帯が暮らしていて、新たにもう1棟の建設がすすんでいます」(キムさん)

●韓国政府が土地購入資金を支援

キムさんによると、日産車体が土地を転売する前の1986年から、日本人と住民が共同で街の生活改善運動を始めたという。しかし、1989年に不動産会社が明け渡し訴訟を起こして、2000年に最高裁で住民の敗訴が決まった。

政府や地方自治体に対する請願や要望は無視されてしまうが、10年以上におよぶ裁判と住民を守る市民運動が韓国に伝わった。すると2005年、韓国でウトロ問題を解決しようという「ウトロ国際対策会議」が結成され、韓国内で約16万人が募金した。

ベテラン俳優のアン・ソンギや、ネットフリックスのドラマ『未成年裁判』主演のキム・ヘスなど、韓流スターがウトロに関心を示したことも話題になり、廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2007年、ウトロの土地を購入するために30億ウォンを支援することが国会で決まった。

この決定は李明博(イ・ミョンバク)政権以降も引き継がれ、日本の民間基金財団が2011年、韓国政府財団が2012年に土地を購入。しかし地権者との話し合いがすすまなかったり、ウォン安で通貨価値が下がるなどがあり、2018年にようやく市営住宅1棟が完成した。

●「朝鮮人が嫌いだった」という犯行動機

火災の跡が生々しく残る放火現場

ウトロ地区はもはや不法占拠されているわけではない。しかし、ウトロが「嫌いだ」という理由による事件が起きた。

2021年8月30日、ウトロ地区の一角が放火されて、住宅や倉庫など5棟が全焼し、2棟が半焼した。犯行におよんだ男性は「朝鮮人が嫌いだった」と供述したという。

この男性は非現住建造物等放火の罪で起訴された。2018年にも奈良県大和高田市の在日本大韓民国民団支部に火を付けようとして書類送検されたものの、こちらは不起訴になっている。

「郵送で寄付を送ってくれる人や、普段、顔を合わせている配達の人などから『大丈夫でしたか?』と温かい声をかけてもらいました。しかし、それはオフラインでのことで、ネットの世界は惨々たる状況になっています。この先また模倣犯が生まれないか、本当に心配しています」(キムさん)

●「どっちもどっち」ではない

放火事件を取り上げたネット記事には「こういう行動は論外だが、少なからず、良く思っていない人は、日本の中ではかなり多いのではないか」「嫌われるのには理由もある」「動機には一部同意できる」などと、あたかも「犯人も悪いが、住民側にも問題があるから、放火された」と言わんばかりのコメントが並んでいる。

しかし、この「どっちもどっち」は、差別と地続きであるとキムさんは言う。同時に、誰もが自身のマジョリティ性と向き合う必要があるとも語る。

「ウトロや在日朝鮮人への偏見がないという人の中にも、『かわいそうな人たちを助けてあげる』という視点を持っていたり、『戦時中は日本人も朝鮮人も同じく大変だった』と話す人がいます。

しかし、構造差別を薄めて相対化するのではなく、加害の事実を見つめる必要があると私は思います。その一方で、私自身も日本社会では、在日朝鮮人というマイノリティですが、男性という点ではマジョリティにあたります。

どこかでは弱者であっても、別のどこかでは強者になり、弱者を苦しめているかもしれない。そのことを踏まえて内省していく必要があると、私もウトロを通して考えるようになりました」(キムさん)

●かつての「スラム」は姿を消す

ウトロ平和祈念館の外観

2007年に建設が計画されて、15年を経て完成した平和祈念館は3階建てで、1階はコミュニティスペース、2階と3階が展示場になっている。2階には生活用品や床上浸水していたころの住宅の再現などの常設展示が並び、3階は企画展が催される予定だ。

無理やり連れて来られたのではない。しかし、植民地下で土地を奪われて、小作権が否定されてしまうなど、貧困に追いやられた中での選択だった。平和祈念館は、そんな彼らの歴史を通して、ウトロの姿を伝えることがテーマだ。

60世帯約100人の住民はすでに市営住宅に移ったり、新たに建つ住宅に引っ越すことになっている。今も残る古びた建物がある場所は、地権者によって再開発される予定だ。「スラム」と呼ばれたウトロの景色は近いうちに完全に姿を消す。

「祈念館の敷地内には唯一、水道屋だった建物が手押しポンプとともに移築されています。地区外の人たちは『かつての建物を残してほしい』と言いますが、住民の中には『この貧困の象徴に一体何の価値があるのか』と反対する人もいました。そんな人たちはすべて整備されてから、なくなったものの存在に気づくかもしれないですね」(キムさん)

●内装展示のクラファンも

現在、内装展示の作成費用をあつめるクラウドファンディングがおこなわれている。