京都府宇治市の在日コリアン集住地域「ウトロ地区」の家屋に火をつけたなどとして、非現住建造物等放火などの罪に問われた男性被告人に8月30日、懲役4年の判決が言い渡された。(ライター・碓氷連太郎)

●求刑通りの判決が言い渡された

「被告人を懲役4年に処する。未決拘留日数中250日をその刑に算入する」

京都地裁の増田啓祐裁判長がそう言うと、傍聴していた人々の表情から、わずかに緊張がとけていくのがわかった。6月21日に開かれた第3回公判で「身勝手な動機による危険極まりない犯行であること」などを理由に「懲役4年が相当」とした求刑通りの結果となったからだ。

男性は2021年7月24日、名古屋市の在日本大韓民国民団関連施設や隣接する韓国学校の敷地内に侵入し、雨どいや壁などに火をつけて焼損させた。

さらに同8月30日には、宇治市のウトロ地区の家屋にも火を放ち、計7棟を全半焼させている。このとき、2022年4月30日にオープンした「ウトロ平和祈念館」に展示される予定だった立て看板の一部も焼失した。

●裁判所「民主主義社会において到底許容できない」

3回にわたる公判において、男性は「韓国人に敵対感情があった。放火をすることで世論を喚起したかった。ウトロ平和祈念館の開館を阻止したかった」などと持論を展開した。

それだけではなく、「この事件を一個人による身勝手な差別感情に伴うものという部分だけを切り取るなら、今後同様、さらに凶悪な事件さえも起こることは容易に想像できる」と、反省どころか、再犯予告とも言える言葉まで口にしていた。

しかし、前科がなく、起訴事実は認めていて、「排外的なものを含めて自らの考え方を変えていく必要がある」と語ったことが考慮されて、執行猶予付きの量刑となるのではないかという見立てもあった。

そんな中で、求刑通りの判決が下りた。増田裁判長はさらに、ヘイトに基づく犯罪は社会で許されるものではないことにも触れた。

「在日韓国朝鮮人という特定の出自を持つ人々に対する偏見や嫌悪感等に基づく、誠に独善的かつ身勝手な行動であり、放火や破損といった暴力的な手段に訴えることで、社会の不安をあおって世論を喚起するとか、意に沿わない展示や施設の開設を阻止しようなどというものは、民主主義社会において到底許容されるものではない」

●ほっとしながらも「とても残念な気持ちがある」

「今回の判決を受けて、正直、ほっとしました」

ウトロ平和祈念館・副館長の金秀煥(キム・スファン)さんは、判決後の記者会見で、安堵の表情を見せた。金さんは被害者の1人として意見陳述をした際、男性の犯行は政治的主張を装いながらも特定の民族に対する憎悪、偏見による迫害行為であることを指摘。

また、男性の「韓国に対して悪感情があった」という言葉について、「あたかも個人の好き嫌いによって引き起こされたものとして矮小化させる、差別の対象とならないマジョリティ側の捉え方だと言わざるを得ない。好き嫌いを超えた民族差別によるもの」として、人種差別的動機を考慮した厳正な判決を望んでいた。

金さんは、判決文の中に「ウトロ地区が放火されたことは地域住民にとっての活動拠点が失われ、その象徴とされる立て看板が焼失したのは、被害者の財産的損害だけではなく精神的苦痛も大きい」と記されたことは、単なる空き家の放火ではなく、差別的動機の犯罪であることと向き合ってくれたと評価した。

そのうえで「期待以上の判決とは言えないが、この社会は一歩一歩進んでいるんだということを住民たちに伝えられるんだという判決で、ほっとしている」と述べつつ、同時に「とても残念な気持ちがある」とも語った。

●「差別という言葉を意図的に避けた判決だ」

なぜ金さんは、ほっとしながらも「とても残念」だと思ったのか。それは3回の公判と判決の場において、検察官からも、裁判官からも「差別」という言葉が出てくることがなかったからだ。

記者会見に立ち会ったウトロ被害者側の弁護団は、判決を受けて声明文を発表した。

「今回の判決では、日本の刑事司法の歴史上はじめて、公判廷において人種差別目的が認識されるか注目されていましたが、残念ながら、判示において、『人種差別』『差別目的』という言葉は一つも現れませんでした。今回の法廷においては『敵対感情』『嫌悪感』という表現は出てきましたが、一度も『差別』という言葉がありませんでした」

このように差別という言葉を意図的に避けたとしかいいようがない判決は、極めて不十分であるとネガティブな評価を下した。

判決文にあった「特定の出自を持つ人々に対する偏見や嫌悪感」は、すなわち差別を意味していないのか。

ウトロ被害者側の弁護団長、豊福誠二弁護士は、記者会見で「差別は憲法や人種差別撤廃条約などの法律で禁止されている。しかし、敵対感情や嫌悪感は禁止されていない」と、差別と嫌悪感は別のものであると説明した。

誰かや何かを嫌う「内心の自由」は誰にでも保証されているが、差別は法に抵触するもの。裁判所はその職責を放棄したに等しい。

求刑から引き下げない量刑判断は評価しながらも、「判決文の『民主主義社会において到底許容されるものでない』という言葉は一見よいように思えるが、男性の排外主義的思想は放火という暴力的手段に訴えず、民主主義的に訴えれば、許容されるものなのか。逆に聞きたい」と厳しく論じていた。

●「差別被害の社会性」を見ていく必要がある

この「内心の自由」と差別の違いについて、ウトロ弁護団メンバーの冨増四季弁護士は、男性の動機の内容ではなく、動機を含めた行為全体に着目するのが人種差別撤廃条約の考え方だと指摘する。

「たとえば心の中では、特定の民族に強い偏見を持っていたとしても、それを表に出すことを一切しないなら、人種差別をしたとは言えません。しかし差別行為をした人が『悪気はなかった』『冗談だった』などと言ったとしても、マイノリティに被害が生じれば、それは条約の定義では差別行為になります。

この行為というものは動機の表明や実際に何をしたか、それによって生じた結果のすべてを包み込んだものを指します。適正な量刑を決めるにあたっては、被告個人の内心への非難に矮小化するのではなく、ウトロ地区や民団関連施設に放火するという行為がどれほどまで在日朝鮮人のコミュニティに恐怖を与えたか、どんな作用を社会にもたらしたか、という視点で被害を捉える必要があります」

たしかに差別的動機の有無にばかり意識が向けられる方向に進むと、よく聞く「差別のつもりはない」「出来心だった」という言い訳によって、被害者の痛みが置き去りにされてしまうことも起こりうる。

そのうえで、冨増弁護士は「被害者たちにとって思い入れのあるものが焼けたからという、個人的な感傷が被害の本質ではない。マイノリティを地域社会から排除するという人種差別行為の社会性に着眼することを、条約は裁判所に義務づけている。かかる目的で、火を放つという本件のおぞましさ、被害の重大さを反映して、適正な量刑を検討すべきだった」とも語った。

このような点を踏まえても、やはり「嫌悪感」ではなく「差別」という言葉を使うべきだったのではないか。

1人の傍聴者としても、非常に残念に思える。しかし冨増弁護士は、「いわば検事のポカで招いた大ピンチを救ったのは、被害者の心情陳述。傍聴人だけでなく、裁判官の心をも揺さぶり動かした。判決の法律論は及第点でも、3人の裁判官たちの共感は判決理由にちりばめられている。次の展望が開いた!」と、表情を緩めた。

この「次につながる展望」は、判決理由だけではない。事件が起きて以降、ウトロには多くの人が訪れているのだ。

ウトロ平和祈念館の田川明子館長によると、これまでウトロ地区の見学者は年間1000人程度だったが、平和祈念館のオープン4カ月で5000人の来場者があったという。東京など、府外から来館し、時間をかけて展示を眺める人もいるそうだ。

男性の行為は、まさに彼が狙ったものとは逆の効果をもたらした。

失ったものは戻らず、被害者が受けた苦痛も決して軽いものではない。しかし、今回の裁判は、差別は許容されるものではなく、犯罪であるというメッセージを社会に投げかけるきっかけになったと言えるだろう。