国が訴えられた訴訟などを担当する東京地裁行政部の裁判長が、法務省訟務局長に異動となった。国側の代理人として訴訟活動をおこなう「訟務検事」が所属する組織のトップだ。弁護士有志から「裁判の公正に悪影響を及ぼす」とする抗議書が最高裁に提出されるなど、批判の声が高まっている。

こうした人事はなぜおこなわれるのか。裁判の公正が害されることはないのだろうか。裁判官の人事に詳しい、明治大学の西川伸一教授に聞いた。(ライター・山口栄二)

●直接「訟務局長」の異例人事

問題になったのは、9月1日付で法務省訟務局長に異動となった、東京地裁民事第2部(行政部)元裁判長の春名茂氏の人事だ。

裁判官が検事の身分になって法務省に出向し、国の訴訟活動をおこなったり、その他の法務行政を担ったりした後に、再び裁判官に戻る人事は「判検交流」と呼ばれ、70年以上前から続いている。

しかし、春名氏のように行政部の裁判長から直接、訟務局長に異動したケースは異例だ。

春名氏が審理を担当していた訴訟の1つに、シリアで武装勢力に拘束された後に帰国したジャーナリストの安田純平さんが、パスポートの発給を拒んだ国の処分の取り消しを求めた訴訟もある。

安田さんの弁護団は、10月18日の弁論で、「裁判の公正を妨げる」として、春名氏が今後訴訟にかかわらないことなどを求める書面を提出した。

●「あまりにも露骨な人事」

——今回の春名氏の人事をどう見ますか。

「そもそも判検交流は、憲法の三権分立の精神に反する慣例で問題があったのですが、今回の人事は、国が被告になっている事件を多く担当していた立場で、訴訟に関する合議の内容まで知っている人物が国側に行っている点がマズいです。

部下の訟務検事に『あの訴訟はこういう点が問題だから、こういう方針で主張・立証したほうがいい』などと指示することもできるわけですから、明らかにアンフェアです。

あまりにも露骨な人事で、裁判の『公正らしさ』を損ない、国民の裁判への信頼を失わせる結果になりかねません」

——このような例は過去にありますか。

「これまでも歴代の訟務局長は裁判官からの出向者が就任してきましたが、それは、他のポストを経てからのケースがほとんどで、国が訴えられた事件が多く係属する東京地裁行政部の裁判長から直接訟務局長に就任する人事は、私の知る限り、過去に例がありません」

●「検事は民事がわからない」公害訴訟で活発化

——そもそもこの判検交流はいつから、どういう理由で始まったのでしょうか。

「理由は明らかではありませんが、1949年から始まりました。それが1971年ごろを境に急に盛んになり、それまで出向者が毎年数人だったのが、2桁台に跳ね上がりました。

その背景には、『スモン訴訟』などの薬害訴訟や『大阪空港騒音訴訟』などの公害訴訟といった、国を訴える大型裁判が多発したことがありました。

そうした裁判で国側の訴訟活動を担うのは法務省の仕事です。刑事事件に詳しい検事はたくさんいますが、彼らは民事事件に関しては知識も意欲も乏しい。そこで、法務省は中堅の裁判官を訟務検事として迎えて、訴訟体制の強化を図ったのです」

●法務省への出向は裁判官のエリートコース

——法務省に出向する裁判官は何人ぐらいいるのですか。

「1999年10月1日現在の資料では、法務省への出向者は101人で、うち53人が訟務検事でした。

現在も常時、100人前後の裁判官が法務省に出向していてその約半数が訟務検事という状態が続いています」

——法務省側にとって判検交流への需要があるのはわかりますが、裁判所側のメリットは何ですか。

「裁判所側は『裁判官は視野が狭くなりがちなので、外の世界を知ることで視野を広げることができる』とメリットを説明しています」

——法務省に出向した裁判官はその後どのようなキャリアを歩むことが多いのでしょうか。

「人事面で優遇されるケースが多いですね。その代表的な例は、元最高裁長官の寺田逸郎氏です。

彼は1988年に法務省民事局参事官に出向して以降、同民事局長を経て裁判官に戻るまで20年近くも法務省に出向した後、広島高裁長官、最高裁判事を経て最高裁長官に就任しました。

歴代の法務省訟務局長も多くが、裁判所に戻ってから高裁長官や東京地裁などの大規模地裁の所長になっています」

——春名氏の場合もそうですか。

「春名氏の場合は、それに加えて、これまでに最高裁事務総局の人事局総務課長、給与課長、行政局第1課長、第2課長などの要職を歴任した『エリート裁判官』ですから、戻ってからほぼ確実に高裁長官にはなるでしょう」

●刑事分野での判検交流はすでに廃止

——こうした民事分野の判検交流が脈々と続けられる一方で、かつておこなわれていた、刑事裁判官を出向させて捜査・公判を担当する検事とする判検交流の方は、2012年に廃止されました。その違いは何でしょうか。

「野党時代に判検交流を批判していた民主党が政権交代で与党になったことが大きいですね。それに法務省としても、民事がわかる裁判官は必要ですが、刑事の方は詳しい検事がたくさんいますから、あえて裁判官を受け入れてまで補充する必要がそれほどなかったという事情もあります」

●「視野が広がる」ではなく「国側に偏る」?

——このまま判検交流が続いた場合、その最大の弊害は何でしょうか。

「訟務検事の場合、国側の代理人を務めるわけですから、意識が国側に偏ってしまうのではないでしょうか。『視野が広がっていい』といいながら、実際には国側の方にばかり視野が広がった裁判官が増えるのもいかがなものかと思います。

原発訴訟といった国策に関係した訴訟で本当に中立な立場で判断できるのか疑問です。また、訟務検事以外でも、行政庁というのは上意下達の組織ですから、裁判所に戻ってからもそうした行政官の意識を振り回す裁判官がいて困る、という現場の声もあります」

【プロフィール】西川伸一(にしかわ・しんいち):1961年生まれ。専門は政治学。著書に『増補改訂版 裁判官幹部人事の研究』『日本司法の逆説 最高裁事務総局の「裁判しない裁判官」たち』など。