人手不足感の強い小売業や飲食業などを中心に、非正規労働者の賃上げが進みつつある。例えば、イオンはパート約40万人の時給を7%上げた。ファーストリテイリングもパートやアルバイトの時給を平均2割引き上げた。

今後も様々な企業で非正規の賃上げが進みそうだが、本人のやりがいや仕事への意欲を高め、処遇改善をさらに加速させるには、正社員と同じように上を目指せるキャリアアップの仕組みが不可欠だ。

労働問題に詳しい佐藤博樹・東大名誉教授に、非正規のキャリア形成における課題などを聞いた。

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●法整備と最低賃金の引き上げが非正規への追い風に

――非正規労働者の処遇改善が進み始めた経緯について教えてください。

2005年に約1600万人だった非正規労働者数は、2022年には約2100万人に増えました。リーマンショックや東日本大震災、コロナ禍などで経営環境の不確実性が高まる中、人員調整が比較的容易な非正規を雇用するニーズが強まったためです。

全体の約半数が、女性を中心とした短時間勤務のパートタイマーで、残り半分がアルバイトや派遣社員などです。

非正規労働者の増加に伴い、労働者を保護する法律も必要になりました。このため2013年、改正労働契約法が施行され、雇用期間が通算5年を超えた有期労働者が無期転換を申し出た場合、期間の定めのない雇用へと転換される「無期転換ルール」が設けられました。

さらに2020年、短時間労働者及び有期雇用労働者といわゆる正社員の間に、不合理な待遇格差を設けることを禁じた「短時間・有期雇用労働者法」(パート・有期法)も施行されました。

また制度改正ではありませんが、近年の最低賃金(最賃)の大幅引き上げも大きな追い風で、非正規全体の賃金の底上げが進みました。

――法整備によって、非正規の待遇は改善したのでしょうか。

パートの中には、半年〜1年ごとに契約を更新しながら10年以上、同じ職場で働いている人も珍しくありませんでした。無期転換ルールが作られたことで、企業は長く継続して雇用している有期契約の労働者を無期の労働契約に転換することが必要になりました。

一方、労働者側は「契約が更新されず雇い止めに遭うかもしれない」という不安がなくなった上、ずっと働く以上、スキルを向上し、より良い待遇を得たいという就業意識も生まれました。

さらにパート・有期法の施行で、企業は正社員とパート社員や有期契約社員の間にある基本給や賞与、各種手当、さらには退職金などの待遇差を合理的に説明できない場合、格差の是正に取り組まなければならなくなりました。

●非正規にもキャリアラダーを用意すべき

――最近は一部の業界で、パートの賃上げや正社員転換を進める企業が出てきました。

確かに人手不足を背景に非正規活用の場が広がり、若手の正社員と有期契約のパート社員がともに売り場責任者を務めるといった場面も見られるようになりました。こうした職場では両者が同じ仕事を担当しているため、人材活用の違いなどで説明できない処遇差に関しては解消が必要となり、パート社員の待遇改善が進みやすくなりました。

ただ、パート社員など非正規社員の継続的な処遇改善には、キャリアラダー(キャリアアップを目指すためのハシゴのような仕組み)の構築が必要です。

パート社員により上位の仕事を任せる仕組みや無期転換に加えて、いわゆる正社員への登用の制度も設けるべきです。キャリアラダーがある職場では、パート社員の仕事意欲が高まることに貢献するだけでなく、求人する際に求職者への就業機会の魅力を提供することの効果も期待できます。

一方、企業内のキャリアラダーを上位と下位に分け、正社員が上位のキャリア段階の業務を、非正社員が下位のキャリア段階の業務をそれぞれが担う職場では、非正社員の仕事意欲を維持することができません。この結果、人材確保も難しくなり、非正社員のスタッフ不足で営業時間の短縮を迫られるなど、経営にも打撃を与えかねません。

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●「年収の壁」があることで、主婦パートが労働時間を減らしてしまう

――中には、キャリアアップを望まない働き手もいます。彼らはなぜそう思うのでしょうか。

ひとつは主婦パートの中には、いわゆる「就業調整」をし、一定の年収の内で働くことを希望している人がまだ少なくないことがあります。妻の年収が一定額を超えると、税金や社会保険料の負担が生じたり、夫の勤務先の家族手当がなくなったりして、結果的に手取りの年収が減ってしまうことを避けようとしているのです。

このため主婦パートの中には、責任ある仕事を任され時給が上がっても、労働時間を減らして、年収額を調整することを選択する人もでています。こうした状況が、主婦パートのキャリアアップの意欲を削いでいるわけです。

ただ人手不足の中で企業がパート社員を確保し、戦力化するためには、主婦パートにも今以上に活躍してもらうことが不可欠です。いったん「壁」を超えて、世帯で減収になったとしても、賃上げとキャリアアップでその減少分が解消されると思います。

ですからこの数年間、妻の勤め先が減収分を補てんし、政府がその企業へ助成金を支払う、といった政策的な手当てによって、就業調整の問題をクリアすることも一案だと考えています。

――育児・介護などのため、キャリアアップを一時諦めざるを得ない人もいます。

非正規のキャリアアップに最も重要なのは、正社員の働き方を変えることです。育児・介護を担う女性の多くは、たとえ1〜2時間であっても毎日残業がある働き方や転勤などには対応できません。残業や転勤が当たり前に組み込まれた、会社の仕事のマネジメントの基本的な使用、つまり「仕事のOS」を改める必要があります。

企業は、転勤などについて、本当に必要か、他の手段で代替できないかを考えるべきです。また、育児や介護などの理由で転勤免除を選択できる期間を設けることも有効です。また、残業削減のみでなく、残業をまとめてする日、残業ゼロで退社する日などメリハリのある働き方が実現できれば、時間制約のある社員でも仕事と仕事以外の生活が両立しやすくなります。

●非正規のキャリアアップ通じて、「夫婦でフルタイム正社員」へ

――「仕事のOS」を変えるには、管理職・経営層の意識改革も必要です。

確かに管理職世代は、自分たちが長時間働いてきたので、「長時間働く人=仕事ができる人」という評価をしがちです。企業としては、管理職の部下マネジメントを改革するために、例えば、部下の労働時間が短くかつ有休取得率も高い管理職、さらには自身の残業が少ない管理職を評価することで、働き方改革を促すべきです。

コロナ禍で普及した在宅と出社のハイブリッド勤務でも、在宅なら8時間働けるが、出社の場合は通勤時間があるため6時間しか勤務できない、といった人が出てきます。会社にとっては煩雑かもしれませんが、こうしたきめ細かい労務管理も求められるでしょう。

――これからの非正規労働の在り方について、どのように考えますか。

非正規労働者に活躍してもらわなければ、仕事が回らないという状況は、待遇改善のチャンスです。ただ社会として目指すべき働き方を見定めず、非正規の処遇改善にだけ取り組んでも、効果は限定的です。

少子高齢化の中、今後の日本社会は夫婦二人で子育てし、ともにフルタイムで働く姿を目指さなければいけません。男性も育休を取得して育児の半分を担うようになれば、「仕事のOS」も変わり、非正規から正社員へとキャリアアップする女性も増えるでしょう。

夫婦がともに正社員なら、経済的な支援なしに1〜2人の子育て資金を確保することも不可能ではありません。そうすれば政府が目下取り組んでいる子育て支援も、3人目以降の子どもを手厚く支援するなどメリハリをつけられるようになり、より効果的ではないでしょうか。