違法な長時間労働が問題視される中、いわゆるブラック企業にメスを入れることで注目されている「労働基準監督官」。謎のベールに包まれた彼らの実態とはどのようなものなのか。「労基署は見ている。」(日本経済新聞出版社)の著者で、19年間、労働基準監督官を務めた現在社労士の原論さんに話を聞いた。

●「現場に出てなんぼ」の世界

ーー19年間の中で、もっとも印象に残っていることは何でしょうか

1度に5人が亡くなったという鉄道事故の捜査に加えられたことでしょうか。異動して早々、主に担当していた主任監督官と次長(現副署長)から、自然と事件捜査に巻き込まれることになりました。鉄道の信号配線交換などのため、終電後の線路を歩いていた作業員たちが臨時列車にはねられるという凄惨なものだったのですが、検察庁に事件をおくることを待たされていたら、その間に警察によって現場責任者が逮捕されてしまい、その後送検の許可が出ました。

鉄道事故にこれまで関わったことはなく、そもそもどのような規制があるのか、線路閉鎖の方法は本来どう行うべきなのか、列車事故に関して労働安全衛生法や労働安全衛生規則などの関係法令の構成要件を調べ上げました。結局、書類送検まで半年以上かかりました。

監督官は法令解釈だけでなく、事故が発生したら何故起きたのか知らなければならないため、機械や化学、建築や土木など技術系の知識が必要になります。なので文系+理系であり、現場に出てから学ぶことが多く「現場に出てなんぼ」という世界です。

●普段やっている仕事は?

ーーそもそも、普段はどんな仕事をしているのでしょうか

直接事業場に調査に出向く「監督(臨検監督)」と呼ばれるものに関する業務ですね。定期監督(毎月の計画に基づき実施)、申告監督(労働者から申告があった場合に実施)、災害時監督(事故の報告書などを実施)などの種類があります。基本的には全て計画を立てて動いています。

また、最初に説明した鉄道事故のように、犯罪として、刑事事件とするものについて捜査するのも仕事の一つです。司法警察官として警察が行う逮捕や捜索差押えなどができます。

業務の進め方としては、定期監督を行いつつ、事故が起きれば災害調査や司法事件などに時間を割くことが多いです。

ーーノルマなどはあるのですか

年間の監督指導計画を立て、それを各月に割り振ります。さらに「誰がどこにどういう主眼の監督を何件やるように」といった指示が出ます。それがノルマみたいなものですね。ただ、私が監督官だった時代と違い、今は給与に反映される勤務評価制度があります。

法律違反をたくさん指摘して何度も指導しても、1件は1件と捉えます。さらに是正されない限り完結しないので、そのまま改善が終わらないと長期の未処理事案として労働局の監察(監督官の監督を担う役割)から指摘を受けることもあります。

ーーモチベーションはどんなことでしたか

経営者からは嫌がられることも多く、人に好かれようとやる仕事ではありません。私も階段から突き落とされそうになったこともあります。どんな事業場でも、入口へ最初の一歩を踏み出すまでは怖いですし、監督に行きたくないと思うこともありました。それでも自分のプライドとの戦いで、やっていましたね。

●「違和感」、「変な雰囲気」を感じたら、徹底的に確認する

ーー定期監督では、事業場のどういった点をチェックしていくのですか

その年の行政運営方針の重点項目を中心に見ていきます。例えば労働時間をチェックするとなると、使用者が各労働者ごとに記入する「賃金台帳」をまず確認します。時間外手当が多い人に関しては、タイムカードを確認し過重労働がないかどうかを見ます。

もちろん賃金台帳やタイムカードを改ざんしている会社もあります。その場合には、毎月の額面が同じであったり、全員が同じような金額であったりと、何かしらの違和感があります。その場合には、タイムカードを確認して、その記録を裏付けるものを調べていくことになります。個人のパソコンのログ確認をしたり、日を改めて警備記録を見たり、徹底的に確認していきます。

ーー事前情報もなく初めて訪ねる会社で、違法行為を嗅ぎ分けるのは難しそうです

正直、雰囲気によるところも多いです。例えば客観的にみてタイムカードがきちんと整理されているところは大丈夫ですが、手書きで自己申告しているようなところは、経験からピンと来るものがあります。それを見逃すか、見逃さないかです。

ある大手企業に定期監督に入った時の話ですが、部屋の入退室にICカードを使用するセキュリティシステムを導入しているのに、手書きでフレックスタイム制の勤務表を書いていました。時間が同じだったり、微妙にずらしていたり、文字を消したあとがあったり。「これは嘘だろう、怪しい」と思いました。

ただ監督のやり方に、ノウハウはありません。自分で現場に行くことでどういった危険性や違反があるかというのが分かるようになります。だから繰り返しの経験が大事ですね。

●タレコミは確かな情報ほど優先度が上がる

ーー長時間労働で悩み、労基署に対応してもらいたいという労働者もいると思います。監督署に動いてもらうためには、何が重要となりますか

最近は今年3月に政府が策定した働き方改革実行計画を踏まえ、重点監督対象を月の残業80時間超の情報がある事業場にまで拡大し、監督指導を強化しています。永田町経由からの指示ですね。

長時間労働の問題に悩まされている場合、可能ならばその実態が分かるタイムカードの写しなどを持ってきて欲しいです。コピーを取ることが難しかったり、一斉打刻させられたりしている場合には、「監督官が現地で確認するときに、何を見ればその実態がわかるか」という情報を教えてほしいです。監督官が行ってスカッと空振りしてしまうのは避けたいのです。

色々な情報がやってきますが、監督官も人数に限りがあります。なので優先順位をつけるために、確かな情報ほど優先度は上になります。

ーー電通の書類送検もそうですが、是正勧告を受けたエイベックスや北海道新聞社など、労働基準監督署が関わるニュースで三田労働基準監督署(東京都)の名前を多く見かけます。これにはどんな理由があるのですか

三田労働基準監督署の管轄エリアは港区だけですが、日本の名だたる企業の本社が多く集まっています。そこで長時間労働などの問題があると、必然的にニュースにもなりやすくなります。エリア自体は狭いのですが、企業数は相当数あります。申告数も多いですし忙しいので、監督官の間でも「あそこはハードなので行かない方がいい」など言われていました。(笑)

例えば、東京都の大田区や品川区だと町工場も多く、管轄エリアによって監督する事業場の傾向は変わります。建設現場の臨検監督の際には、作業着にヘルメットと安全帯、安全靴を身につけて、汗だくになりながら監督をしていました。

ーーこれからますます、長時間労働にメスを入れる労基署への期待が高まりそうです

これまでが注目されなさすぎたというのもありますが(笑)。経済政策の一環で働き方改革が進められていたところに、たまたま電通の過労死事件が重なり、労働基準監督署はかつてないほどの脚光を浴びるようになりました。

以前はサービス残業など、長時間労働の対価が出ていないことに注目していましたが、今は長時間労働そのものが問題視されるように変わりました。残業時間の制限なども行われることになります。労基署に社会正義を求められることもありますが、あくまで第三者。労使間でうまく回すことができる労働環境を作り上げることが、一番大切ではないかと思います。

【プロフィール】

原 論(はら・さとし)

1968年熊本県出身。92年千葉大法経学部卒業後、労働基準監督官として労働省に入省。神奈川、東京、埼玉の労働基準局に勤務後、11年3月に退職。12年4月に原労務安全衛生管理コンサルタント事務所を開設。社会保険労務士。17年3月に「労基署は見ている」(日本経済新聞出版社)を出版。

(弁護士ドットコムニュース)