世界は広い。クローズド・サーキット開催が常識と思われているバイクのロードレースだが、欧州では今も沿道の声援を受けた公道レースが変わらぬ人気を維持している。この公道レースの中でも世界最古、最高峰のマン島TTレースに連続出場する日本人ライダー、山中正之が2022年も単独、海を渡った。相次ぐ転倒、骨折……ボロボロの肉体で参戦、スピードと命の限界に挑戦した先に見た世界とは何か――

結果を出し続けることの重圧

 営業を再開した東京都北区のバイクショップ『MCR Garage』を尋ねると、山中正之さん(以下敬称略)の身体が少し小さくなったように見えた。ひときわ過酷を極めた状況が、そう思わせたのだろうか。新型コロナ感染で遅めの帰国を果たした山中が、静かに息を吐くように振り返った。

「そうですね、コロナでレースまでが結構長かったなと……」

2022年のマン島TTレース「スーパースポーツTTレース」にカワサキ「Ninja ZX-6R」で出走直前の山中正之(写真=山中正之ツイッターより)
2022年のマン島TTレース「スーパースポーツTTレース」にカワサキ「Ninja ZX-6R」で出走直前の山中正之(写真=山中正之ツイッターより)

 山中とマン島との関係は2014年、46歳から始まる。英国グレートブリテン島とアイルランド島のはざまにある英国王室属領である小さな島を目指し、単身、あてがないままレース主催者に直談判。2015年からマン島で開催されるマンクスGPで、マン島TTレース参戦をかけて2年間戦い続けた。国内では1996年から鈴鹿8時間耐久ロードレースに出場するなど充分な実績を積んでいたが、公道レースに出場するための経験は無かったためだ。

 2017年にはマン島TTレースに初出場を果たすが、当時は日本からマシンを送るなど完全なプライベート参加。その悪条件を切り開き、2019年からは英国アイルランドの「Team I.L.R」に所属。自らのチーム運営から解放され、レーサーに専念する環境を整えた。

 通算6度目の挑戦となる2022年も、スーパースポーツTTレース、スーパーツインTTレースの2クラスに参戦。日本人ライダー唯一の完走を果たし、順調にキャリアを積み上げているかに見えた。

 欧州各地で、主に公道レースを転戦するライダーは「ロードレーサー」と呼ばれ、その功績を称えられている。山中のロードレーサーとしての人生は、2020年の新型コロナ・パンデミック直後から度重なるアクシデントに見舞われ、出場を果たしたことが奇跡に思えるほど追い詰められていた。

残り2か月での転倒、入院、それでも「ここで走らないと次はない」

 2022年3月2日、渡航まで2カ月と迫る中、山中は病院のベッドの上にいた。

「マン島TTレースへの出場の準備を進めている中で、国内レースの練習走行で右足、ひざ下の2本を骨折。退院した時は両足で身体を支えることができず、まだ歩けない状態でした」

 緊急手術で下腿骨に金属プレート挿入、骨にボルト留めをすることになったが、山中は治療開始から1カ月も経たないうちに病院を出る。

「(主治医からは)無理かもしれないみたいなことを言われましたが、マン島に命かけてますから、って。もう人生これにかけてますからって、お願いしました」

山中はマン島に来るたびに、日の丸に描かれた寄せ書きをパドックに飾る(写真=山中正之ツイッターより)
山中はマン島に来るたびに、日の丸に描かれた寄せ書きをパドックに飾る(写真=山中正之ツイッターより)

 山中は焦っていた。TTレースへのエントリーは終わっていたが、出場の前提条件として主催者に提出すべき国内レースの戦績が足りなかったのだ。

 退院から10日後の4月11日、山中は「MCFAJロードレース」を開催する筑波サーキットに姿を見せた。

「やらなきゃって思うのに、次のレースがなかなか見つからなくて。ぜんぜん走ったことないところなんですけど。松葉杖をつきながら、抱えられるようにしてマシンにまたがりました。走っていても、ついつい踏み込んじゃうと“痛っ!”って激痛が走り、体重移動も充分にできませんでした」

 じつは山中、2021年の国内モトクロスレースで肩を骨折。腱を切断し、腕は今も肩から上にあげられないほどのダメージを残し、2022年の骨折直前もリハビリに専念していた。加えて鈴鹿8耐をはじめ山中が主戦場とするレースはコロナ禍で次々中止。山中のレース活動をさらに妨げていた。右足骨折はその苛立ちの中で起きていた。

「多分、国内のレースで、またいつでも出られるっていう状態だったら無理して出ないと思います。でも僕には時間もなかったし、ここで走らないと次は無いと思ってました」

「スーパーツインTTレース」にもエントリー。カワサキ「ER-6」で疾走する山中正之(写真=山中正之ツイッターより)
「スーパーツインTTレース」にもエントリー。カワサキ「ER-6」で疾走する山中正之(写真=山中正之ツイッターより)

 マン島TTレースへの参戦は、基本的に招待制だ。前年の戦績が次年度の参加を左右する。出場し続けるためには、その足跡を残し続けなければならない。54歳のオールド・ルーキーに退路はなかった。渡航日は5月17日と迫っていた。

「ギリギリまで、なんとかギリギリまで……出発のほんとに数週間前にようやくその条件をクリアして、出国することができました。すでに2022年の招待は受けていたので、何があっても出場しなきゃいけない。もし、2022年に出場できないと2023年は実績が無いので出られるかどうかわからない、という状態になる。来年につなげたい。そんな思いでした」

肩、右足、左手……傷だらけになってもスタートラインに立つ

 山中に襲いかかるアクシデントは、マン島に渡ってからも終わらなかった。

 5月28日、マン島北部ジャビーにあるクローズドコース。レース開始まで残り2日に迫る中で、山中はマシン調整のための走行テストに臨む。

「転んだのは多分焦り。それもそこのサーキット、テストコースでうまく乗れないと、レースでもちゃんと乗れないんじゃないかと自分を試したのもあるんです。ここでうまく乗れなきゃ、って。ま、そうですね、焦りなんですけど……いや、“欲”なのかもしれないですね」

 転倒したのは、20分ぐらいの走行枠で、3周目をこなした時のことだった。

「左カーブが多いところで右コーナは全然少なかった。その右コーナーで転んでしまった。自分の中でそれでいけるって、前半は乗れてた。だんだん慣れてきて、これならいけるかもしれないと思って……。左手を多分、骨折しちゃったんですね。ひびが入った感じだと思うんですけど。なんとなく自分の経験として、ああ、これ折れたなって。ぽこって腫れてたし」

 山中は左手の負傷もあえて医師の診断を受けず、ここでも退路を絶った。

 肩、右足、左手と連続する負傷を押して出場することは思わしくない戦績を残すだけでなく、レース中の事故という最悪の結果を招く可能性もあることを、山中は十分すぎるほどわかっていた。しかし、撤退の選択を何回迫られても、常に戦う道を選び続けた。

「本当に、自分にとって過酷なレースだった。でも、それを経験することで、自分が成長できる何かがあるのかなと思って、いつもレースのことを考えてきたい、今も振り返っています」

タンク、リアカウルなど所せましと書き込まれた個人スポンサーの名前が、経文のように山中を見守る(写真=山中正之ツイッターより)
タンク、リアカウルなど所せましと書き込まれた個人スポンサーの名前が、経文のように山中を見守る(写真=山中正之ツイッターより)

 山中のマン島TTレースへの挑戦は、少額の費用を個人スポンサーから募ることで成り立っている。飲食店、牛乳販売店、理容店、建設会社、モータースポーツを楽しむ個人など、マシンに書ききれないほど多くのサポーターを集めている。声援を寄せ書きした日の丸は、今年もレースパドックに掲げられた……。