バイクの国内4メーカーのひとつ、スズキは、世界で最も堅実なメーカーというイメージがあります。しかしその歴史を振り返ると、逆に他メーカーも驚くようなモデルを世に送り出していました。代表的な機種を振り返ってみましょう。

堅実な姿勢で、MotoGPの王座を獲得

 世界で最も堅実なメーカー。近年のスズキに、そんなイメージを抱いている人は多いのではないでしょうか。

 と言うのも、ここ数年の同社が発売した新型車、「ハヤブサ」や「GSX-R1000R」、「KATANA」、「GSX-S1000」、「ジクサー250」、「V-STROM」シリーズなどを考えると、いずれも非常にバランスのいいモデルで、個人的には全車に好感を抱いているのですが、クラストップの座を獲得しようという意気込みや、過去に前例がない革新的な機構を導入した形跡は、あまり強く感じられません。

 もっとも、2020年のMotoGPでスズキの「GSX-RR」がチャンピオンを獲得した背景には、堅実な姿勢があったから……と言われているので、堅実は決して悪いことではないのです。

 ただし歴史を振り返ると、スズキはずっと堅実なメーカーだったわけではありません。1960年代には究極の2ストローク50ccレーサーとして、V型3気筒、12段ミッションの「RP68」を生み出していますし、1970年代には日本の2輪では唯一のロータリーエンジン搭載車、「RE5」を世に送り出しました。そんなスズキが最も堅実ではなかった……と言うより、最もハジけていたのは1980年代です。

スズキは「GSX-RR」で2020シーズンのMotoGPチャンピオンを獲得(ライダー/ジョアン・ミル選手)

 当時のスズキは2輪業界の改革の旗手であり、世界中のメーカーとライダーが一挙手一投足に注目していました。

 ということで、今回は当時のスズキを代表する機種として、1980年代に生まれた4つのシリーズを紹介しましょう。

「RG-Γ」シリーズ、レーサーレプリカの先駆車

 1983年にデビューした水冷2ストロークパラレルツインの「RG250Γ」は、以後のレーサーレプリカブームの起爆剤になったモデルです。

1983年型「RG250Γ」は、量産初のアルミフレーム車にして、以後のレーサーレプリカの基盤を作ったモデル。最高出力45ps、乾燥重量131kgという数値は、当時の250ccクラスでは衝撃的だった

 などと書くと、ヤマハ「RZ250」「RZ350」やホンダ「CB1100R」、カワサキ「Z1000R」のオーナーから異論が届きそうな気がしますが、量産車では世界初のアルミフレームに加えて、ワークスレーサー「RGΓ」譲りのルックス、フロント16インチホイール、セパレートハンドル、サインレンサー別体式チャンバーなどを採用した「RG250Γ」は、そんなバイクで公道を走っていいの……? と言いたくなるほど、登場時は過激なモデルでした。

 最も過激という見方をするなら、1985年に登場したGP500レーサーレプリカの「RG400Γ」「RG500Γ」は、さらに上だったのかもしれません。何と言っても、同時代のライバルだったヤマハ「RZV500R」とホンダ「NS400R」が、細部を観察すると意外にレーサーとの共通点が少ないのに対して、「RG400Γ」「500Γ」は基本的にレーサーに保安部品を付けただけ、と言うべき構成だったのですから。

「GSX-R」シリーズ、異端の4ストローク並列4気筒車

「RG250Γ」の大ヒットで好感触をつかんだスズキは、1984年以降になると4ストローク並列4気筒の世界でも、レーサーレプリカの先駆車となる「GSX-R」シリーズの発売を開始します。

1980年代前半の4ストローク400cc並列4気筒ブームで、スズキはライバル勢に遅れを取っていた。そんな同社にとって起死回生のモデルとなったのが、クラス初のアルミフレームを採用した1984年型「GSX-R」(400ccモデル)だ

 順序としては、1984年に400cc、1985年に750cc、1986年に250ccと1100ccが登場し、250を除く3車は、いずれもクラス初のアルミフレーム採用車でした。

 では初期の「GSX-R」シリーズで、どの排気量が最も重要だったかと言うと、私(筆者:中村友彦)は750だと思います。その背景には独創的な冷却機構、“油冷”の初採用車という理由もありますが、大排気量車=スポーツツアラーが普通だった1980年代中盤の2輪事情を考えると、そのまんまTT-F1レーサーと言いたくなる「GSX-R750」は異端のモデルだったのです(ライバルは、ホンダ「VFR750F」、ヤマハ「FZ750」、カワサキ「GPX750R」でした)。

 まさかナナハンでそこまでやるとは……という感じで、おそらく、当時の他メーカーは驚いたことでしょう。

「DR750S」「DR800S」シリーズ、世界最大の単気筒

 パリダカールラリーやファラオラリーの人気と歩調をわせる形で、1980年代は大排気量アドベンチャーツアラーというジャンルが徐々に形成された時代でした。

スズキ製大排気量アドベンチャーツアラーの原点として、1988年から発売が始まった「DR750S」は、ラリー用ワークスマシン「DR-Z」の技術を転用して開発。油冷単気筒のボアサイズは当時の2輪では最大の105mm

 その先鞭を付けたのは、BMWが1980年に発売した「R80G/S」で、以後に登場したホンダ「XLV750」や「XRV650アフリカツイン」「XRV750アフリカツイン」、カジバ「エレファント」、モトグッツィ「NTX750」、ヤマハ「XTZ750スーパーテネレ」などは、いずれも2気筒エンジンを採用したのですが……。

 1988年から1990年代のスズキ「DR-BIG(ディーアール・ビッグ)」シリーズはなんと、2輪の歴史で最大排気量となる727ccおよび779ccの油冷単気筒を搭載していたのです。その選択が正しかったかどうかはさておき、以後の2輪業界で「DR750S」「DR800S」を超える排気量の単気筒は登場していません。なお「DRビッグ」シリーズは、近年のアドベンチャーツアラーで定番になった、クチバシデザインの先駆けとしても有名です。

GSX1100Sカタナ:前代未聞のスタイル

 1970年代以前の日本車は、ほとんどが今で言うネイキッドスタイルでした。だから1980年のケルンショーで、スズキが公開した「GSX1100Sカタナ」を見た観客の多くは、世間の動向を探る打ち上げ花火的なモデル、ショー専用車だろう……と感じたようです。そのくらいカタナのスタイルは、当時の2輪の常識からかけ離れていました。

昨今はスタイルに注目が集まりがちな「GSX1100Sカタナ」だが、1981年秋のデビュー時は世界最速車だった。海外の2輪誌が行なったテストでは実測237km/hをマーク。当初は1000ccと750cc仕様も併売

 ちなみに、スズキがショー会場でカタナに関する5点評価のアンケートを取ったところ、結果は「1」と「5」ばかり、“非常にいい”と“非常に悪い”の両極端だったそうです。そんなモデルを、ショー公開時とほとんど変わらない姿で翌年から市販したわけですから、当時のスズキは現代とは真逆の、イケイケのメーカーだったのです。