鈴鹿のパーツメーカー『OVERレーシングプロジェクツ』創始者である佐藤健正さんは、仲間と共にオリジナルマシン「OV-41」を製作し、海外のクラシックレース「TT-F1」進出を目指します。そもそもOVERレーシングの歴史とは?

ヨシムラやモリワキに匹敵する、OVERレーシングの歴史

 当記事では、オリジナルマシンの「OV-41」で、海外のクラシックTT-F1レース参戦を夢見る3人の男、車両製作を担当した『OVERレーシング』の佐藤健正さん、ライダーを務める『D;REX(ディーレックス)』の豊田浩史さん、そして発起人の寺嶋浩司さんの活動を数回にわたって紹介しています。

1992年、OVERはイギリスのSOS(サウンド・オブ・シングルズ)選手権に参戦。写真は第4戦マロリーパークのレース後、大浦選手(左から2番目)が優勝、イギリス人のロジャー・ベネット選手(中央)が3位に入った。右端が佐藤さん
1992年、OVERはイギリスのSOS(サウンド・オブ・シングルズ)選手権に参戦。写真は第4戦マロリーパークのレース後、大浦選手(左から2番目)が優勝、イギリス人のロジャー・ベネット選手(中央)が3位に入った。右端が佐藤さん

 いまさら宣言するのも何ですが、私(筆者:中村友彦)は昔からOVERレーシングのファンでした。そのきっかけは、1990年代の海外のシングルとツインレースにおける「OV」シリーズの大活躍で、当時の私は雑誌の記事を通して、同社の動向をワクワクしながら追いかけたものです。

 改めて振り返るとあの感覚は、1970年代から1980年代に多感な青春時代を過ごしたライダーが、ヨシムラやモリワキに抱いた印象と同様だったのではないか……という気がしています。

 もっとも、さまざまな媒体にヒストリーが掲載されているヨシムラやモリワキとは異なり、OVERの歴史に関する記事を、私はこれまでに数回しか見たことがありません。

 そこでここからは、私の主観と佐藤さんの回想を交えながら、フレームビルダー&レーシングコンストラクターとしての同社の歴史の一部を紹介しようと思います。

独創的なアルミ楕円パイプフレーム

 日本を代表するアフターマーケットパーツメーカーとして、近年では抜群の知名度を誇るOVERですが、1982年の創業当初はレース用エンジンのメンテナンスを主業務としていました。

OVER初のオリジナルフレーム車となったOV-01。エンジンはホンダ「CBX750F」用の空冷並列4気筒
OVER初のオリジナルフレーム車となったOV-01。エンジンはホンダ「CBX750F」用の空冷並列4気筒

 同社初のオリジナルマシンは、1985年の鈴鹿8耐用として製作したTT-F1仕様のOV-01で、アルミ角パイプフレームにホンダ「CBX750F」用エンジンを搭載するこのモデルを契機にして、以後の同社はフレーム製作に注力していくことになります。

 佐藤「じつはあの頃の私には、フレーム製作のノウハウが無かったんですよ(笑)。モリワキでの修行時代に、125ccレーサーのフレーム開発を手伝ったことはありますが、モンスターが活躍した1980年前後はエンジン担当だったので、当初は手探りの状態からのスタートでした」

初期のOV-11はフロントフォークが正立式、リアがツインショックだった。SRX600用をベースとする空冷単気筒エンジンは70ps前後を発揮。OVERは1992年にOV-11フレームキットの販売を開始し、ベーシック仕様の価格は65万円だった
初期のOV-11はフロントフォークが正立式、リアがツインショックだった。SRX600用をベースとする空冷単気筒エンジンは70ps前後を発揮。OVERは1992年にOV-11フレームキットの販売を開始し、ベーシック仕様の価格は65万円だった

 そう語る佐藤さんの転機になったのは、ヤマハ「SRX600」用エンジンを独創的なアルミ楕円パイプフレームに搭載する、OV-11です。1991年にオランダのアッセンで開催された国際シングルレースで、このマシンがポールtoフィニッシュという形で劇的な初参戦初優勝を飾ったことで、OVERの名前は瞬く間に欧州全域に知れ渡りました。

 佐藤「当時の私がシングルレースに目を向けた理由は、改造の自由度が非常に高くて、いろいろなことを試せたからです。逆に1990年頃の全日本TT-F1は、ベースマシンが劇的に進化したこと、OW-01やRC30といった市販レーサー的なモデルが登場したことで、我々のようなプライベーターが独自の改造を行う余地がほとんど無くなっていたんです。OV-11のフレームにアルミ楕円パイプを使用した一番の理由は、素材として優れていたからですが、既存の車両には存在しなかった、ウチならではの個性を確立したいという意識もありましたね」

1991年にオランダのアッセンで開催された国際シングルレースで、トップを快走するOV-11と大浦審一郎選手
1991年にオランダのアッセンで開催された国際シングルレースで、トップを快走するOV-11と大浦審一郎選手

 アルミ楕円パイプを用いたフレームと言うと、一部の人が思い出すのは、1990年代中盤以降に登場したビモータ「DB3」と「DB4」、「BB1:スーパーモノ」、トライアンフ初のアルミフレーム車となった「T595デイトナ」と「T505スピードトリプル」、スズキ「TL000S」、「SV650」と「SV400」などかもしれません。とはいえ元祖は、OVERだったのです。

 佐藤「諸般の事情で実現はしなかったのですが、じつはアルミ楕円パイプフレームの市販車に関して、1990年代前半にビモータと量産化の相談をしたことがあります。だから1995年にアルミ楕円パイプフレームのDB3が登場したときは、おやっ? と思いましたね(笑)」

ユーロスーパーモノ選手権を連覇

 1991年のアッセンで好感触を得たOVERは、以後はシングルレースに本格的に力を入れるようになります。そのハイライトは1996年から始まったユーロスーパーモノ選手権(ワールドスーパーバイクの欧州ラウンドで併催された、実質的なシングルレースの世界選手権)で、改良を重ねたアルミ楕円パイプフレームにXTZ750用エンジンを搭載するOV-16とOV-20で臨んだ同社は、2年連続でシリーズチャンピオンの栄冠を獲得しました。

蓑田貴司選手のライディングで、1996年のユーロスーパーモノ選手権を制したOV-16。ヤマハ「XTZ750」用をベースとする水冷単気筒エンジンは、85ps前後をマーク
蓑田貴司選手のライディングで、1996年のユーロスーパーモノ選手権を制したOV-16。ヤマハ「XTZ750」用をベースとする水冷単気筒エンジンは、85ps前後をマーク

 佐藤「シリーズ制覇は実現しましたが、1996年は苦戦続きで、表彰台の頂点に立ったのは8戦中1戦だけでした。でも全面新設計のOV-20で参戦した1997年は、8戦中7勝を挙げて連覇が達成できたので、これでようやく世界の頂点に立てた……という気分になりましたね」

 説明するのが遅くなりましたが、1980年代後半から1990年代は、シングルレースが世界的なブームになった時代で、中でも改造無制限の最高峰クラスは大人気を獲得していました。

 現在では考えられないことですが、ヨーロッパのシングルレースではドゥカティやビモータ、ジレラ、MuZなどがワークスレーサーを投入し、ガリーナやハリス、ヘジーラ、ベルガルダといった著名なレーシングコンストラクターが数多く参戦していたのです(日本のシングルレースには、ホンダの社内チームやスズキの技術供与を受けたショップが参戦していました)。

 そんな強豪を打ち負かして、OVERは2度も世界の頂点に立ったわけですから、これはもう、とてつもない偉業と言っていいでしょう。

1997年のユーロスーパーモノ選手権で、全8戦中7勝という驚異の戦果を挙げた#1鈴木誠選手とOV-20。後方に見える#37アレンドレ・フリードリヒ選手は、MuZのワークススライダー
1997年のユーロスーパーモノ選手権で、全8戦中7勝という驚異の戦果を挙げた#1鈴木誠選手とOV-20。後方に見える#37アレンドレ・フリードリヒ選手は、MuZのワークススライダー

 もっともシングルレースが下火になってしまった昨今では、世界グランプリやワールドスーパーバイクなどのように、ユーロスーパーモノ選手権のヒストリーが語られることは滅多にないのですが、私と同じように当時のOVERの大活躍を鮮明に覚えている人は、現在も世界中に大勢にいると思います。