二輪メーカーとしても四輪メーカーとしても、世界を代表する存在となっているスズキ。2020年には創業から100年を迎えた「浜松の雄」は、どのようにしていまの地位を築いたのでしょうか?

スズキの源流は機織り機にあった

 小回りのきく原付から世界最高レベルのスーパースポーツまで、ありとあらゆるバイクをラインナップしているスズキ。その成り立ちは、いったいどのようなものなのでしょうか?

スズキが創業したのは、いまから100年以上昔の1920年
スズキが創業したのは、いまから100年以上昔の1920年

 スズキが創業したのは、いまから100年以上昔の1920年のことです。初代社長である鈴木道雄氏は、1909年に前身となる鈴木式織機製作所を立ち上げ、その後1920年に鈴木式織機株式会社へと法人化を果たしました。

1909年創業当時の鈴木式織機製作所の店舗
1909年創業当時の鈴木式織機製作所の店舗

 1954年に鈴木自動車工業株式会社へと改称し、その後1990年に現在の名称であるスズキ株式会社となりました。企業名の変遷からもわかるとおり、創業当時のスズキは織機、つまり機織り機の製作をおもな事業としていました。

 1800年代後半から1900年代前半にかけては、綿や絹といった繊維産業が日本の主要産業となっていました。綿花栽培に適した土地柄であった遠州(現在の浜松市周辺)には、繊維産業に関連した多くの企業があり、鈴木式織機製作所もそのひとつでした。

鈴木式自動織機
鈴木式自動織機

 大工から織機の製作へと転身した鈴木道雄氏による鈴木式自動織機は、当初こそ競合製品と大きな差はなかったものの、「たてよこの縞模様が織れる機械はないものか」という顧客の話を聞き、その後当時としては画期的かつ独創的な仕組みの機織り機を発明し、業界に大きな衝撃を与えます。

 さらに、1910年代になると、浜松市周辺にも電力網が整備されるようになり、火力発電所も建設されたことで工業用電力の安定供給が可能となりました。これにより、それまでは足踏み式が主流だった機織り機も、電動化が進むことになります。それにともない、木工製作が中心だった織機メーカーは本格的な機械工業化を果たしていきました。

 鈴木式織機製作所も60名を超える人員を抱えるようになり、順調に成長を遂げました。その後、1914年に勃発した第一次世界大戦に起因する不況によって、深刻な打撃を受けることもありましたが、そうした危機を乗り越え、1920年についに法人化を果たすことになります。

スズキ株式会社(静岡県浜松市)
スズキ株式会社(静岡県浜松市)

 法人化した後は、幾度の困難を乗り越えながら新工場の建設や海外展開もおこない、成長を遂げていきます。1930年代には従業員は300名近くにおよび、浜松を代表する企業となりつつありました。

 また、自動車の開発研究をはじめたのもこの頃です。その背景には、織機の製作と自動車、特にエンジンの製作には多くの共通点があったことや、景気に影響の受けやすい織機の製作では、将来的に安定した成長が見込めないなどの判断があったようです。

 自動車保有台数が増加の一途をたどっていた1930年代はトヨタや日産など、現在の日本を代表する多くの自動車メーカーが産声を上げていました。しかし、日中戦争、そして太平洋戦争へと突入した当時の日本において、自動車の開発を続けることは困難であり、市販車が登場するのは戦後を待たなければなりませんでした。

戦後、バイクメーカーとして地位を確立していったスズキ

 終戦後、復興に向けて動き出した日本では、補助エンジンのついた自転車が移動の足として求められるようになりました。一方、繊維産業は衰退を見せていたことから、鈴木式織機株式会社をはじめとする織機メーカーの多くは、そのノウハウと生産設備を活かして自転車用エンジンの開発に乗り出します。

自転車用補助エンジン「パワーフリーE2(1952)」
自転車用補助エンジン「パワーフリーE2(1952)」

 1950年頃には、浜松市周辺には30を超える自転車用補助エンジンのメーカーがあったとされています。鈴木式織機株式会社では、後に2代目社長となる鈴木俊三氏の発案による自転車用補助エンジン「パワーフリー」が発売され、ヒット商品となりました。

2段変速機構を備えた「ダイヤモンドフリー DF(1953)」は、月産6000台を達成
2段変速機構を備えた「ダイヤモンドフリー DF(1953)」は、月産6000台を達成

 その後、2段変速機構を備えた「ダイヤモンドフリー」が1953年に登場しました。同年7月に開催された第一回富士登山レースで圧倒的な早さを見せつけてクラス優勝を果たすなど、高い性能を見せつけたダイヤモンド・フリーは記録的な売れ行きを見せ、「スズキ」の名を日本全国に知らしめました。

スズキ初のバイク「コレダCO(1954)」
スズキ初のバイク「コレダCO(1954)」

 そして1954年、ついにスズキ初のバイク「コレダCO」が誕生します。「オートバイはこれだ!」に由来するコレダCOは、第二回富士登山レースにおいてもクラス優勝を勝ち取るなど、大きな注目を集めました。

 ただ、1954年に改正された道路交通取締法によって、原付一種と原付二種という区分が登場しました。これにともない、125ccの排気量を持つバイクが多く登場しましたが、90ccの4サイクルエンジンを搭載していたコレダCOは、やや中途半端なバイクとなってしまいました。

コレダCO型の90cc 4サイクル空冷OHVエンジンをボアアップして125ccとした「コレダCOX」
コレダCO型の90cc 4サイクル空冷OHVエンジンをボアアップして125ccとした「コレダCOX」

 その後、4サイクルで125ccの排気量を持つ「コレダCOX」が発売されましたが、エンジン音が小さく、耐久性にも優れる2サイクルエンジンの開発が進められ、1955年には125ccの2サイクルエンジンを搭載する「コレダST1」が発売されました。

 静かで故障の少ないコレダSTは10万台規模の販売を記録したことで、スズキはバイクメーカーとしての地位を完全に確立することになりました。

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 鈴木道雄氏は「常にお客様の側に立って発想する。お客様が欲しがっているものなら、どんなことをしてでも応えろ。頑張ればできるもんだ。」という言葉を残しました。こうした徹底的な「顧客ファースト」な視点と、遠州地方特有の「やらまいか精神」が現在のスズキの基礎を築いていると言えそうです。