2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤が徳川家康を演じることもあり、家康ゆかりの地も話題となっています。家康が活躍を見せた「桶狭間の戦い」の古戦場付近をスーパーカブで訪れました。
地元の人々による、今川への敬愛が感じられる
今川家の人質、そして19歳にして先鋒を任されるほどの信頼と実力を得た若き武将、徳川家康(当時の松平元康)は、織田信長が今川義元の大軍を打ち破り、滅亡に追い込んだ「桶狭間の戦い」で今川方として活躍を見せました。しかし今川敗退の報を受け、故郷の「岡崎城」へ帰還(脱出)を果たします。

その舞台である桶狭間は、現在の愛知県名古屋市緑区にあります。古戦場付近には「桶狭間古戦場公園」が整備され、周囲は民家が立ち並んでいますが、昭和40年代までは田野の風景が残る土地だったようです。
「おけはざま山」の今川本陣地もまた、現在は住宅街となり、風景としては完全に変わり果てていますが、戦国時代を代表する有名な戦のひとつであるだけに、観光地としての需要も高いことから、各所に説明板などが設置されています。公園の周辺を機動力の高いスーパーカブで駆け巡ってみました。
まずは観光案内所からスタートします。訪れた時は仮設の小さな小屋でしたが、後日立派な建物に移す予定だそうです。大河ドラマ放送期間中には新しい観光案内所が出来ているかもしれません。
観光案内所には駐車場もあり、近隣を歩いて散策することも可能です。中では地元の皆さんに丁寧に応対していただき、桶狭間の戦いの解説ビデオも見せていただいたり、パンフレット類もいただきました。

公園内を一通り散策した後は、「おけはざま山」の今川義元本陣跡へ向かいます。公園から東方面に少し上がって行くので、かつては小高い山になっていたのだと考えられます。現在は民家が立ち並び、本陣跡は、なんとアパートでした。黒塗りの建物でそれっぽく見えますが、史跡とされる場所も容赦無く現代人の活動の場に変えてしまう、日本人的なものを感じました。
説明板によると、当時は現在よりも8mほど高かったと記されています。高地に突然の落雷(織田信長の熱田神宮での戦勝祈願によるもの!?)で、避雷針になりそうな槍を手から離して慌てる今川軍に対して、織田は本陣めがけて攻撃します。逃げ惑う今川軍、今川義元は「田楽坪(でんがくつぼ)」に追い込まれて討ち死にしました。

織田信長はその後「天下布武(てんかふぶ)」を宣言して上洛しますが、天下統一を目前に「本能寺の変」で死亡、その後、豊臣秀吉、徳川家康の時代へと移り変わっていきました……。
さらに今川軍の「瀬名陣所跡(せなじんしょあと)」や、生前の今川義元の労をねぎらったと言われる「長福寺」、同じく今川軍が戦いの評議をしたと言われる「戦評の松」、家康の進路「大高道」などを巡ることが出来ました。
「桶狭間古戦場公園」をはじめ、全て徒歩圏内のこれらの地を巡り、ふと気付いたのは、敗軍の今川方にまつわる史跡の多さです。古くからこの地に伝わる、今川への根強い敬愛さえ感じられました。

今川義元と言えば、大軍にあぐらをかき、油断して信長に敗れた哀れな大将というイメージを勝手に抱いていましたが、この桶狭間で実際にその土地を訪ねると、それだけの男ではなかったはずだと考えが改められました。
有名な歴史上の出来事も、多角的に見ると気付きや発見があり、面白いものです。