国内外で活躍するレーシングライダーの濱原颯道選手が、バイクのニュースでライター活動をスタート!まずは、自身について自己紹介してくれました。
体が大きな理由はひいお爺さんからの遺伝?
こんにちは!濱原颯道(はまはらそーどー)と言います!プロライダーです。
ちなみに自身では、「モータースポーツ総合エンターテイナー」と名乗っています。
今回からバイクのニュースで記事を書かせて頂くことになりました!
僕はロードレース以外にも色々と活動をしていますので、バイクにまつわること全般を書いていこうと思います!よろしくお願いします。
この記事を読んでくださっている方がどこまでレース好きなのか、興味を持っているかがわからなかったので、僕の生い立ちを話しますね。

まずは僕のプロフィールから書いていきます。
1995年01月17日生まれの現在28歳。身長は191cm、体重は90kgくらいあります。
ひいお爺さんがお相撲さんの元大関、汐ノ海という力士なので、僕もめちゃめちゃ体が大きく育ってしまいました(笑)
僕は4歳でバイクに乗り始めました。自転車の補助輪付きに乗った翌日かその週くらいに、ヤマハ「PW50」というバイクに乗りました。その後、自転車の補助輪を外して乗れるようになりました。
4歳か5歳でモトクロス、6歳か7歳でキッズカート、8歳からPW50にスクーターのタイヤを履かせて走るターミネーターキッズというクラスでロードコースデビューをしました。
そして小学4年生からホンダ「NSR mini」というバイクで全国を駆け巡り、中学1年生でホンダ「RS125」に乗り、当時では史上最年少でMFJロードレース国際ライセンスを取得しました。
そのあとは順当にいかない部分もあって全日本ロードレースに参戦したことはあるものの、2012年を最後にしばらくロードレースから離れました。

正直、ちょっとバイクを嫌いになってしまいましたが、当時、僕の師匠である元WGPライダーの新垣敏之さんに「バイクはレースだけじゃない」と言われ、免許を取りました。
その時に「あ、フルプッシュするだけがバイクの面白さじゃないんだな、開放的かつ自由、そして景色を見たりガソリンさえ入れればどこまでも走る、バイクって本当に楽しい!」と再認識するきっかけとなりました。
その時から僕はレース好きからバイク好きに変わったのだと思っています。
レースだけじゃない。新しいバイクライフをスタート
そして18歳の頃、知人の紹介でバイク屋さんでのアルバイトを始めました。
レースもしているショップだったのでアルバイトをしながらたまにレースに参戦させてもらったり、雑誌のテストライダーとしてインプレッションをしたりしている合間に全日本スーパーモトと言う、いわゆるモタードのレースも開始しました。

そして2013年は、S2という上から3番目のクラスで優勝1回、2014年はS1PROという1番上のクラスで最高位4位、2015年はこの年から発売を開始したハスクバーナの「FS450」というバイクで年間ランキング3位になりました。
正直、一度諦めたレースという世界で国内3番目になれたのはとても嬉しかったですし、このまま辞めて普通の仕事をしてバイクは趣味で乗ろうと思っていました。
そんな時、僕のことを2013年からスポンサードしてくれていた方から「2016年は僕がチームオーナーになって、目標である鈴鹿8耐に参戦したい。エースライダーは颯道君にお願いしたい」と言われ、1000ccにも乗った事がないし鈴鹿サーキットもあまり走った事はなかったのですが、「ぜひ乗らせてください!」とお願いをしました。
まさか、こんなところでまたロードレースの世界に戻れるとは思っていませんでしたし、小さい頃から一緒に走ってきた同年代のライダー達は全日本ロードレースや海外などで活躍していたので、「一気に追いつけるチャンスかも」と思ったからです。
8耐用のバイクは、ヤマハ「YZF-R1」を買ってもらいました。理由は、当時は1番良いと思っていたからです。

チームとしては、「いくら颯道君でも乗った事がない1000ccと鈴鹿サーキットでのいきなりのトライアウト(8耐に参戦するための出場権)を通過するのは難しい」と思っていたみたいですが、僕は「乗った事はないけど、2分9秒を出してSSTクラスでTOP10トライアルに出る」とずっと言っていました。
多分、「何を言っているんだろうコイツ」と、思われていたと思います。
結局、予選ではその目標は果たせませんでしたが、公式テストで無事に公言していたタイムを出せて、「今度こそ本当にやり切った。これでオファーがなかったら、もう完全に辞めよう」と思っていました。
しかし、8耐自体は転倒などもあり、成績は残せませんでしたが、ヤマハさんの協力もあり全日本ロードレースの岡山ラウンドに参戦する事になりました。
ヤマハさんには「ポイントを取ろう!」といって貰っていたのですが(当時のポイント獲得は20位以内)、僕は「一桁に入りたい」と今思えば随分世間知らずなことを言っていました。

そして、そんな岡山ラウンドのレースウィークの金曜日に張り切りすぎて転倒し、両手首を骨折。「完全にチャンスがなくなった」と思って落ち込んで歩いていると、ヨシムラの監督である加藤陽平さんから、「もし、うちに興味があるなら」と声を掛けられ、一瞬、何を言われたのかがわかりませんでした。
後日、本社にお伺いしたら、ヨシムラのバイクに乗れるような話になっていて、「もしかして、まだレースが出来るの?」と思い大興奮。そうして2017年に、スズキのバイクでは国内トップチームであるヨシムラさんから全日本ロードレース JSB1000クラスにフル参戦をする事になりました。その時の恩は、今でも一瞬たりとも忘れていません。
レース結果は、開幕戦6位、この年の最高位は4位、ランキングは7位で、ルーキーオブザイヤーを獲得。8耐ではSERTという、EWC世界耐久ロードレースで何度もチャンピオンを獲得しているチームから参戦させて頂き、すごく良い経験をさせて貰いました。

翌年はヨシムラさんでは乗ることは出来ませんでしたが、当時ブリヂストンに勤めていた山田宏さんに「桜井ホンダさんが全日本に復帰するみたいなんだけど、ソードーを推しとくよ!」と紹介して頂きました。
桜井ホンダさんは日本で1番有名なホンダドリーム店で、売っている台数も日本一。そして数多くの有名ライダーを輩出した名門チームです。
ホンダのマシンに乗り換えた1年目は、とにかく苦労しました。今まで乗ってきたバイクとはまた違う感覚で、慣れるのに1年近くかかってしまいました。この辺りからの話は、僕のなかでは最近の話なので省略させて頂きますが、いつかまた書きたいと思います!
プロライダー人生は「もうちょい乗れるかも」と「もういいかな」の連続
2020年は、数年ぶりにCBRがフルモデルチェンジ。現行車であるホンダ「CBR1000RR-R」というバイクで、JSB1000クラスに継続参戦することになります。
僕はいつも「新しいものが好きで、ゼロスタートなら割と自信がある」という考えでいました。
そしてこの年は、開幕戦で自身初の表彰台を獲得し、ランキングも3位で終了。この時も「モタードもロードも国内最高峰カテゴリでランキング3位になったし、もう満足」と思っていました。
僕の人生は、「もうちょい乗れるかも」と、「もういいかな」の連続です(笑)

僕が今この立場にいるのは、僕の中でも奇跡と偶然と運がたまたまタイミング良く重なったという認識なので、未だに「僕は、なんて恵まれているんだろう」と思っています。
そして2021年も継続して桜井ホンダから、全日本ロードレースに参戦できるという話をして頂き、「ランキング3位にはなったけど、次はホンダ勢トップを獲って良いパッケージをまわしてもらって、いつかヤマハファクトリーチームに挑みたい!」と思って、自分にまた喝を入れ直しました。
JSB1000クラスには、5年目の参戦です。この年も、とても運良くランキング2位のホンダ最上位で終える事ができました。
そして2022年。この年はただ「勝つ」事だけを目標に、走りました。
ベストタイムも、前年に比べて更新できたコースが大半でしたが、攻め過ぎて転倒や作戦ミスなどもあり、ランキングは6位。これが「レーサー濱原颯道」のプロフィールです。

ですが!僕には、他のロードレーサーと違うと思っている部分があります。
僕はジャンル、カテゴリを問わずバイクならなんでも好きで、いじるのもツーリングをするのも、教えるのも文字を書くのも大好きです。
なので、この「バイクのニュース」さんの記事では、僕の「レーサー濱原颯道」と「ライダー濱原颯道」の、ふたつの視点から書いていこうと思っています。
変わった奴で、SNSも他のレーサーに比べ少しうるさいですが、よろしくお願いします。