伊豆ツーリングで立ち寄ったことのある「柏久保城(かしわくぼじょう)」(伊豆市)の史跡では、その昔、狩野氏(かのし)と北条早雲(ほうじょうそううん)による激しい争いがあったことを知りました。本曲輪に差し込む美しい陽光と眼下の景色に感動した想いを再び味わうべく、スーパーカブで訪れました。

山頂は気持ちの良い場所だが、かつては天然の要害だった

 2020年春に「柏久保城跡(かしわくぼじょうあと)」(静岡県伊豆市)を訪れたとき、現地の解説板に書かれていた「大見三人衆(おおみさんにんしゅう)」と呼ばれる者たちの存在を初めて知りました。解説板は非常に古く、文字もほとんど掠れて読みづらかったのですが、逆にそれが印象に残り、その時代を生きた英傑、豪傑のことが気になっていました。「ドラマや映画の主人公にはならないかもしれないけど、歴史上には面白い人物がいるものだな!」と、「本曲輪(ほんぐるわ)」から望む景色を眺めながら、なぜか感動したのでした。

愛宕山の麓にある修善寺グラウンドを東側から回り込むと山頂(柏久保城跡)への入り口にたどり着く。舗装路が途切れるところにスーパーカブを停めて散策を開始
愛宕山の麓にある修善寺グラウンドを東側から回り込むと山頂(柏久保城跡)への入り口にたどり着く。舗装路が途切れるところにスーパーカブを停めて散策を開始

 その後「大見三人衆」を調べてみると、佐藤広頼(さとうひろより)、梅原宣貞(うめはらのぶさだ)、佐藤七郎左衛門(さとうしちろうざえもん)という、中伊豆地方の3人の地侍でした。

 彼らはこの一帯を数百年に渡り治めていた狩野氏の家臣で、1497年に北条早雲が伊豆を制圧すべく狩野氏と戦った際に、「大見城」を拠点としていた「大見三人衆」は狩野氏を裏切り、「柏久保城」で激闘の末に狩野氏を退却させたということです。

 もう少し詳しく調べてみると、まず北条早雲がこの城を占拠。それを奪還すべく、「狩野城」の城主である狩野道一(どういつ)が「柏久保城」を包囲します。その際に、「大見三人衆」が北条早雲に内通して狩野氏を背後から攻めたということです。

低山のトレッキングと思えばただの尾根道だが、山城の「曲輪(くるわ)」を繋ぐ道と捉えて歩くのも楽しい
低山のトレッキングと思えばただの尾根道だが、山城の「曲輪(くるわ)」を繋ぐ道と捉えて歩くのも楽しい

 解説板によると、北側の深い谷は「新九郎谷(しんくろうだに)」と呼ばれ、これは北条早雲の別名「伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)」に由来しています。

 また北東には「地獄沢」の地名も残っているなど、往時の激戦を物語っているそうです。

山頂手前から斜度が急になる。つづら折れの階段があるが、枯葉に埋もれて見えづらい
山頂手前から斜度が急になる。つづら折れの階段があるが、枯葉に埋もれて見えづらい

「柏久保城」は標高180mの愛宕山の山頂にある小規模な山城ですが、西に狩野川、南に大見川、北に古川と、河川に囲まれた天然の要害であり、また下田街道、修善寺と伊東方面を結ぶ街道沿いに位置する交通の要衝でもあったようです。

 最初にここを訪れた時は、場所が分かりづらくて難儀しました。山の麓にある修善寺グラウンドの裏側に回る舗装路を登って行くと、その先は愛宕山登山道の入り口となるので、バイクを停めて散策開始です。

南側から差し込む陽の光が、本曲輪を美しく照らしている。とても気持ちの良い場所だ
南側から差し込む陽の光が、本曲輪を美しく照らしている。とても気持ちの良い場所だ

 落ち葉で階段が見えづらく、足を踏み外さないよう慎重に歩き進めると、本曲輪に到着です。ちょうど陽の光が差し込み、木々やススキが美しく映える場所で、今回もまた、その光景に感動しました。

 ほかにも土塁やニの曲輪、三の曲輪なども残っています。マイナーではありますが、山城好きにとっては心が踊る空間なのです。