20年にわたり関西電力の社長、会長を歴任し、関西経済連合会副会長を務めた小林庄一郎氏が2月4日午後5時50分、心不全のため死去した。97歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。会長時代に関西電力の最高実力者で代表取締役名誉会長に就いていた芦原義重氏と、腹心の内藤千百里(ちもり)副社長を電撃解任した「関電の2・26事件」の“主役”である。

 時計の針を、その時刻に戻してみる。

 1987年2月26日午前10時30分、関西電力の定例取締役会は大阪・中之島の本社11階の第一会議室で開かれた。取締役は30人いたが、病欠などの2人を除く28人が顔を揃えた。

 型通りに議事が進み、最後の第6号議案「その他」に移った。議長の小林会長が突然、こう切り出した。

「緊急動議があります。人事案件についてお諮りします」

 即座に事務方が封筒に入った資料を配った。6月末の株主総会に諮る、来期の取締役候補のリストだった。この種の人事案件は、3月の決算が終了した後の取締役会で審議されるのがセオリーだが、会長の小林氏は“芦原天皇”に不意打ちを食らわせた。リストの末尾に「退任予定者」の項目があって、5人の名前が列記されていた。高齢や病気で退任する人に交じり、名誉会長の芦原氏、副社長の内藤氏が入っていた。関電のドン芦原とその懐刀の内藤の追放を狙ったクーデター劇の幕が切って落とされた瞬間だ。

「週刊朝日」(朝日新聞社/1987年3月13日号)は取締役会のやり取りを生々しく報じた。

<小林氏が「財界筋からも、関西電力の中に不協和音が流れていると指摘されています。社内に業務の遂行に困難な状況が生まれているのは確かで、全社員がうって一丸となれるよう、多少早いのですが、新役員の人事を決めたいと思います」と趣旨説明を行うと、隣の席の芦原氏が(小林の)言葉をさえぎるように発言した。

「慣例にないことだ。こんなもの違法ではないか」

 口調は淡々としていたが、興奮のあまり腹が大きく波打っていた。つづいて内藤氏が「ちょっと待て、小林。大恩ある人をこんな目にあわせて、お前、それでも人間かッ!!」と怒鳴ったが、小林氏は少しもひるまず「どうせ、キミがそのぐらいのことをいうのは覚悟しとったよ。動議に賛成の人は手を挙げ続けてください。事務局、数えて」と採決を促した。賛成したのは出席した28人中22人。圧倒的多数で可決された>

 哀れをとどめたのは、芦原の娘婿で社長の森井清二氏だった。社長という経営トップの座にありながら、クーデターでは蚊帳の外に置かれた。小林会長が事前に計画を知らせて固めた票は18人だったが、計画が漏れるのを防ぐため森井社長には知らせなかった。取締役会に向かう廊下で初めて小林会長からクーデター計画を知らされた森井氏は唖然とし、会議中は青ざめたまま。採決は棄権したという。

 小林会長は、解任理由を「芦原さんが社内を身内で固めて芦原商店と化すのを防ぐため」と語った。だが、芦原氏が小林氏を関西国際空港会社の会長に据えようとしたため、先にクーデターを仕掛けたと囁かれた。

 関西財界の中心である関西経済連合会の会長問題が、関電の首脳人事と密接に絡んでいた。小林氏は関経連会長の座を狙っていた。椅子を獲得するには、関電会長を続投していることが絶対の条件である。小林氏を引きずり下ろすために、関空会社の会長へと棚上げを図ったと、小林氏は受け止めた。それで先手を打ってクーデターを決行したというわけだ。

 解任された芦原氏は「新人類は何をするかわからん」と批判した。芦原氏に同情する年配の経済人もおり、小林氏は確実視されていた関経連会長になれなかった。織田信長の寝首を掻いた明智光秀という烙印を押されたからだ。

「最後のフィクサー」内藤氏の死

 小林氏の“天敵”であった関電元副社長の内藤氏は2018年1月27日に94歳で亡くなった。「関電の2・26事件」で内藤氏は芦原氏と同時に解任された。芦原氏が社長に就いたのは1959年。最初の秘書になったのが小林氏、2代目が内藤氏だ。

 小林氏と内藤氏は、芦原=黄門さまの助さん、格さんのような存在だった。芦原氏は2人を、光と影の対照的な役割を担うように仕込んだ。小林氏が光で、内藤氏が影だ。2人は芦原氏が呆れるほど仲が悪かった。小林氏は、社長、会長と陽の当たる道を歩いた。内藤氏は「汚れ役」に徹した。

 内藤氏の重要な仕事は政界工作である。芦原氏は他社に先駆け、いち早く原子力発電所を建設した。初代社長の太田垣士郎氏は、世紀の難工事といわれた「黒四ダム」(黒部川第四発電所)で名を上げた。芦原氏は原発で歴史に名を刻むと奮い立った。福井県の美浜、高浜、大飯の原子力発電所が次々に運転を開始。芦原氏の関電での歩みは、原発と共にあった。

 後年、内藤氏は政界工作の内幕を語った。朝日新聞は「原発利権を追う」の連載記事で「関電の裏面史 内藤千百里・元副社長の独白」(2014年7月28日付朝刊)を掲載した。

<関西電力で政界工作を長年担った内藤千百里(ちもり)・元副社長(91)が朝日新聞の取材に応じ、少なくとも1972年から18年間、在任中の歴代首相7人に「盆暮れに1千万円ずつ献金してきた」と証言した。政界全体に配った資金は年間数億円に上ったという。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、「原資はすべて電気料金だった」と語った。多額の電力マネーを政権中枢に流し込んできた歴史を当事者が実名で明らかにした。内藤氏が献金したと証言した7人は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の各元首相>。

 内藤氏は政治献金について「関電のみならず関西財界を東京と同じレベルにすることを目的とした。芦原義重元会長は、その結果、総理大臣と一対一でいつでも話し合える関係になった」と証言している。

 政界と太いパイプを築いたことが芦原氏の権力の源泉となった。名誉会長と肩書きが変わっても、キングメーカーは芦原氏だった。政界工作を一手に引き受けた内藤氏は関西経済界では「関西最後のフィクサー」と呼ばれた。

内藤氏は森山栄治・高浜町元助役の後ろ盾だった

 内藤氏の名が再び脚光を浴びた。昨年、高浜原発が立地する福井県高浜町の元助役・森山栄治氏(2019年3月、90歳で死去)からの金品受領問題で関電に激震が走った。森山氏は高浜原発の誘致をまとめ、地元調整で辣腕を振るった。助役を退職後は、関電の子会社など原発関連企業の顧問に就任。原発利権を仕切り、地元では「影の町長」と称された。

 森山氏をこれほどの実力者に押し上げた背後に何があったのか。「内藤さんの後ろ盾があったから」。関係者の見方は一致する。芦原氏が立ち上げた原発を推進するため、内藤氏が高浜原発の地元対策を委ねたことで、関電と森山との濃密な関係が出来上がった。

 その腐れ縁を断ち切るどころか、関電は深みにはまった。それが、金品受領問題につながった。カネで縛り、一蓮托生の関係に持ち込む。原発利権の原初的な姿がここにある。

(文=編集部)