4月23日の東京株式市場で日本電産株が急落した。一時、前日比8.4%(1170円)安の1万2800円まで売られる場面があり、終値は前日比715円(5.1%)安の1万3255円だった。

 前日の22日、創業者の永守重信会長兼CEO(最高経営責任者、76)から関潤社長兼COO(最高執行責任者、59)へ、6月にCEOが交代すると発表された。永守氏は代表権のある会長は続ける。今後も経営の意思決定にかかわるが、二転三転を続けてきたカリスマ創業者の後継者選びが大きな節目を迎えたことは確かである。

 日本電産はもともと「事業リスク」として永守会長への「依存のリスク」を挙げ、「突然の離脱があった場合、そのことが事業、経営成績、財務状況に悪影響を及ぼす可能性」に言及している。類似の記述はソフトバンクグループなどカリスマ経営者が陣頭指揮を執る企業にもみられる。

 CEO交代の発表の場で永守氏は「自分は創業者であり、筆頭株主で代表取締役会長、そして取締役会議長も続ける。(CEO交代は)そんなに驚くことではない」とし、「変化がないこと」を強調した。

 業績の先行きに対する分析でも評価は割れている。日本電産の決算の内容は決して悪くはない。2021年3月期の連結決算の売上高は前期比5.4%増の1兆6180億円、営業利益は47.4%増の1600億円、純利益は2.1倍の1219億円だった。

 22年3月期(今期)の営業利益は前期比12.5%増の1800億円、純利益は14.8%増の1400億円と過去最高になる見通しだが、アナリストコンセンサスの予想営業利益は2000億円程度。「これを下回ったことが、CEOの交代とダブルパンチとなった」との厳しい見方をするアナリストもいる。

 永守会長は「新型コロナウイルスの感染拡大の状況や顧客の半導体不足の影響を考慮し、少し保守的に設定した」としたが、市場の期待値はもっと高かったということである。

二転三転した後継者選び

 永守氏は1973年、京都で社員4人の小型精密モーターの製造会社を創業。現在、グループの従業員12万人、売上高1兆6000億円のエレクトロニクス企業を一代で育て上げた、カリスマ経営者である。カリスマであるがゆえの悩みは深かった。後継者選びは難航した。

「日本電産はいい会社だが、人材は中小企業。社長をやれる人材は社内にはいない。それで、外の大企業から人を引っ張ってくる。外資からではなく日本的組織・風土の大企業からというところに、永守さんが求める人材の特徴がある」(外資系証券会社のアナリスト)

 2013年、日産自動車系の部品会社だったカルソニックカンセイ(現マレリ)社長だった呉文精氏を副社長に据えた。後継者の最有力候補と目されたが、呉氏は統括した車載や家電事業で期待された実績を上げることができず、15年に退社した。その後、呉氏は半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクスの社長に転身したが、19年にルネサスの社長も退任した。

 次はシャープの社長だった片山幹雄氏。技術部門のトップにスカウトし、15年6月、取締役副会長に就けた。片山氏を「ポスト永守の最有力候補」と囃し立てたマスコミもあったが、永守氏が自分の後任人事について「60歳台の人に渡す時代じゃない。相当若返りを図る」と述べたことで、片山氏の“ポスト永守”の芽はなくなった。

 永守氏の中期目標は30年度に売上高10兆円を実現することだ。そこで白羽の矢が立ったのが吉本浩之氏。タイ日産自動車の社長だったのを、15年、日本電産トーソク社長にヘッドハンティングし、翌16年、日本電産の副社長に抜擢した。

 永守氏は車載事業を次の成長の柱と位置付けている。吉本氏はその道のプロである。18年6月20日の株主総会後の取締役会で吉本氏は社長兼COOになった。社長交代は創業以来初めてのことだった。吉本氏への権限譲渡は順調に進んでいるかに思えたが、業績が低迷。19年3月期連結決算の大幅な下方修正を19年1月に、永守氏自身が発表した際に「これまで経験してきたことのない落ち込み」と苦しい胸のうちを吐露した。吉本氏は本社の社長業務を事実上離れ、大型モーターなどの海外事業の立て直しを命じられたが、十分な成果を上げることができなかった。

「駄目なら容赦なく首を切る」

「創業以来の最大の間違い」――。吉本氏の社長就任を機に導入した集団指導体制について、永守氏はこう振り返った。即断即決のトップダウンの経営を維持する必要性を改めて痛感したようだ。20年1月12日、元日産自動車副最高執行責任者(副COO)の関氏を次期社長含みで迎えた。関氏は19年12月1日付で、カルロス・ゴーン失脚後に再出発したばかりの日産自動車のトロイカ経営陣として副COOに就任したばかりだった。とはいえ、内田誠最高経営責任者(CEO)、アシュワニ・グプタCOOに次ぐナンバースリーのポストだった。年齢的にも内田氏のほうが関氏より若かった。どう見ても、日産のトップにはなれない。

 3人のうちダプタCOOは三菱自動車からの転身組。内田氏、関氏は内部昇格だが、取締役会が打ち出した「若返り」の旗印のもと、副社長を抜き去って専務からの“飛び級”人事だったため、発表直後から日産自動車社内はぎくしゃくした。専務としての序列は関氏が内田氏より上だった。

 19年12月、日本電産の永守氏から受けた電話で関氏は退社の決意を固めたとされる。関係者は「日産自動車でトップになれないとわかった時期の誘いに、心を動かされたのだろう」とみる。実際、関氏は経済誌のインタビューで、「私はもう58歳。社長として辣腕を振るいたかった。日産自動車を辞めた理由はそれだけです」と語っている。

 吉本氏は社長就任から2年足らずで、その座を追われた。鳴り物入りで入社した元シャープ副社長の大西徹夫氏も入社2年で副社長の地位を剥奪された。「実力主義」を標榜する永守氏は「駄目なら容赦なく首を切る」(関係者)。関氏は、そんなことは百も承知で日本電産に飛び込んだ。

「日本電産は車載事業に力を入れている。自動車業界に顔が利く関氏の人脈を生かし、彼が日産系の生産技術者を引っ張ってくるのを狙っているのはいうまでもない」(国内の完成車メーカーの役員)

 勝負は2年。結果を出せなければ、これまでの大企業の元幹部たちと同じ運命をたどる。

 永守氏の長男、貴樹氏は清掃・サニタリーなどの日用品メーカー、レック(東証1部上場)社長で大株主。次男、知博氏はヘルスケアのエルステッドインターナショナル(非上場)の社長。永守氏は「息子たちは日本電産には入れない」と明言している。

 20年、永守氏は100億円超の私財を投じ、永守学園(旧・京都学園)が運営する京都先端科学大学(旧・京都学園大学)にモーター専門学科を開設した。卒業生を日本電産にリクルートするのが目的だ。30年には医学部を新設する。

「カリスマ創業者」の永守氏は生涯現役でトップである。CEO職の返上は仮の姿でしかない。関氏が期待通りの数字を上げられなければ、永守氏は躊躇なく、自らCEOに返り咲く。

「永守さんと富士フイルムホールディングスの古森重隆さん(6月に会長兼CEOを退任、現最高顧問)のどちらが先にCEOの椅子に戻るかという賭けが、流行の兆しを見せている」(市場関係者)

(文=編集部)

【続報】

 4月26日、日本電産の株価は続落した。一時、1万2935円まで下げ、終値は1万2985円(270円安)。4月23日の安値(1万2800円)は割り込まなかったが、日経平均株価が105円高と反発する中で、日本電産株の不振が際立った格好だ。永守CEOが交代するということは、「日本電産の顔がなくなるのと同じ」(エレクトロニクス業界を代表するアナリストの一人)という見方もできよう。「(CEO交代は)そんなに驚くことではない」との永守氏の発言は一人よがりだったのかもしれない。4月27日は反発して始まり、230円高の1万3215円となった。それでも急激な戻りを予想する市場関係者は少ない。年初来安値は3月9日の1万1765円である。

●4月23日の安値を下回る

 4月30日、日本電産株がさらに下げた。23日の安値(1万2800円)を下回り、一時、1万2620円(595円安)まで下げた。終値は1万2655円(560円安)。永守重信会長は『日経ビジネス』(21年5月3日号)の取材に「大事なのは(自分が)元気なうちにバトンを渡すこと」と答えている。

 22年3月期の業績予想が市場コンセンサスを下回ったことについても「あまり大きな予測を出して実績が伴わないと新しいCEO(関潤社長兼CEO)にとってもよくない」と、出足は安全運転であることを強調した。突然のCEO交代の余波はおさまっていない。