日本経済新聞の人気連載「私の履歴書」(2019年3月)で、味の素の会長である伊藤雅俊氏の半生が綴られていた。

 通常、強力なロングセラーブランドを抱える企業は、販売促進や新製品開発などに積極的に取り組まず、保守的な経営に注力する場合が多い。しかし、伊藤会長の連載を拝見し、味の素は強力な商品を持ちながらも、新製品の開発、新規事業への参入、絶え間ない商品のリニューアル、プロモーションに貪欲に取り組んできた会社であることがよくわかった。

 経営の神様と呼ばれるドラッカーは著書『マネジメント』の中で「企業がなすべきことはマーケティングとイノベーション」と語っているが、味の素の行動はまさにこの言葉を具現化したものであると感じた。

●味の素とはどういう企業か?

 1908年、東京帝国大学教授であった池田菊苗氏が、昆布だしの味成分がグルタミン酸というアミノ酸の一種であることを発見し、この味を「うま味」と命名した。その後、グルタミン酸を原料としたうま味調味料の製造方法を発明し、創業者の二代目である鈴木三郎助氏が事業化させ、商品としての「味の素」が誕生している。

 同社は2017年度において、売上高は1兆円を越え、事業利益は約1000億円、従業員数は3.5万人に迫っている。

 商品群に注目すると、日本食品、海外食品、ライフサポート、ヘルスケアという大きく4つの柱があり、食品という枠を超え、医療品分野へも進出していることがわかる。

 また地域別売上高に注目すると、日本の割合は半分にも満たず、アジア、米州、欧州においても大きな売り上げを得ている。とりわけ、アジア地域においては高い利益率となっている。

●味の素におけるマーケティングとイノベーション

 伊藤会長の「私の履歴書」は、味の素のマーケティングとイノベーションを理解するうえで大変興味深いものであった。

 まず、新入社員時代、味の素における最初の仕事が倉庫の片隅で飼っている数十羽のカナリアの世話だったという話には驚かされた。当時、キャンペーンの景品で小鳥をプレゼントしていたとのことで、日本企業がそんなことをしていた時代があったのかと信じられなかった。世の中は、時代により変わるものだとつくづく感じた。

 その後、「クノールカップスープ」のリニューアルにおいては、粉の溶け方の改善といった商品改良に加え、斬新なパッケージデザインを採用している。さらに、予算の制限により実現しなかったテレビCMの代わりに、カップスープのイメージソングを制作し、ラジオで放送している。

 また、冷凍食品に関しては、スーパーでの試食販売や大幅値引きといった販促費へのコストを抑え、ブランド広告費の増加、原材料の質の向上による商品力の強化に取り組んでいる。

 マヨネーズでは、消費者が容認できる卵の鮮度は採卵3日以内であるとのデータを基に、3日以内の卵だけを原料とする「ピュアセレクト」を誕生させている。

●何がマーケティングとイノベーションを妨げるのか?

 こうした話は一言でまとめると、単に「おいしい食品をつくろう!」という当たり前のことだと多くの読者は思われるだろう。しかしながら、とりわけ大企業においては当たり前のことすらスムーズに進捗せず、結局、頓挫してしまう場合が少なくない。

 味の素においても、たとえば、冷凍食品の改良に対して、工場からは「原材料費がかさむと工場での利益が落ち、その責任を取らされる」といった理由により、当初は強い反対があった。また、マヨネーズに対しても、養鶏会社からは「供給責任が持てない」、工場サイドからは「日付管理が厳しくなり、負担が増える」といった強い反対の声が上がっている。

 もちろん、新しいことに対して、すべて賛成することが正しいわけではないが、自らの部署において不利益になることを理由に反対することは、往々にして顧客や全社的利益への貢献を妨げることにつながる。円滑なマーケティングやイノベーションなど、実現できるはずがない。

 近年、数多くみられる日本の伝統的大手企業の成長鈍化の要因に関して、もちろん国内市場の縮小やグローバル化に伴うコンペティタ(競合相手)の増加などの影響もあるだろうが、本質的にはこうした組織内におけるマネジメントの問題がより深刻な場合が多い。

 何よりも、顧客や全社的利益への貢献を優先する意思決定が円滑に行われるシステムや組織体制が、日本の伝統的大手企業の今後のさらなる成長にとって重要なポイントになってくるだろう。
(文=大﨑孝徳/デ・ラ・サール大学Professorial lecturer)