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  • へーふり坂の入り口にある答志小学校からは歓声が聞こえてきました。グラウンドを覗くと年齢の違う子供たちがフットベースボールで遊んでいました。上は中学生ぐらいから小学生まで、年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいました。
    坂の途中に流木でつくった船の形をした無料の足湯があります。そこで休憩した後、蟹穴古墳、岩屋山古墳という二つの古墳と島を見渡すことのできる展望台に登りました。
    島には40基以上の古墳があり、昔から人々が生活を営んできた歴史の長さを感じます。万葉集にも歌われ、信長、秀吉、家康に使えた水軍の将・久鬼嘉孝の終焉の地としても知られ、首塚と胴塚があります。
答志地区に着くころには日が傾いていました。映画『三丁目の夕日』のような昭和30年代の雰囲気を感じさせる狭い路地には、ジンジロ車と呼ばれるおばあちゃん用の手押し車がところどころに置いてあり、小さな広場でボール遊びをするなど子供が走り回っていました。

路地には、おいしい定食が食べられる『ロンク食堂』、電気工事、雑貨屋など、スーパーは商品を路地に並べて売っています。普通の家なのになぜか郵便ポストがあるのは郵便局長さんの自宅だとか。
迷路のような路地の中を歩いていると、夕方営業している銭湯があったので入ってみることに。料金は300円。タオルも石けんも持っていなかったのですが番台のおばあちゃんから無料で借りることができ、一日の最後にゆったりとお風呂を楽しむことができました。


それにしても、和具・答志では子供の多さに驚かされます。子供たちの遊ぶ姿がすっかり見なくなった団地も多い東京。一方、答志島では昔は当たり前だった地域の年齢の違う子供たちが一緒に遊ぶ「子供たちの世界」がありました。
子供たちのいる風景… 都会では今や当たり前でなくなった風景が答志には残っていました。変わってしまったのは島の生活なのではなく、都会での人々の生活なのかもしれません。




僕らの島生活
日本は7000近くの島で形作られ、本州などを除く離島のうち約400島に人が暮らしています。海に囲まれた小宇宙のようなコミュニティに残った独自性 は、画一的な大量消費から多様性が重視される時代の変化の中で魅力を増しています。離島をただ旅をするのではなく、島に生きる同世代の男性を訪ねてさまざまな島の姿を紹介していきます。

美谷 広海(みたに・ひろうみ)
1975年フランス生まれ。小学校は富山、中高をギリシャで過ごす。引っ越し歴14回。大学在学中に佐渡島で能を演じる高校生を取材し、飛騨高山ドキュメンタリー映像祭入賞。2006年8月からブログ「世界を巡るFool on the Web」を開始。現在、IT企業の国際展開を担当。世界各地を転々としながら創作活動を続ける村上春樹的ワークスタイルが目標。


 変化の時代を新たなスタイル・価値観で生きる30代男子をつなぐコミュニティメディアです