夢の浮島…北海道の離島、天売島と焼尻島に向かうフェリーが発着する羽幌港では、巨大なオロロン鳥のモニュメントが旅人を出迎えてくれる。海鳥の楽園として有名な天売と原生林が残る焼尻は、北海道側の海岸と合わせて「暑寒別天売焼尻国定公園」に指定された観光地だが、近年は「離島ブーム」が去り、来島者が減少しているという。空は鉛色。「今日は揺れそうだね」船室の客がつぶやいた。(ボクナリ 藤代裕之)


オロロン鳥のモニュメントとフェリー「おろろん2」

離島に行くにはほとんどの場合船に乗らなければならない。前回訪れた三重県答志島は「ポンポン船」による穏やかな内海の船旅だったが、今回は日本海を1時間30分かけて島に向かう。

フェリー「おろろん2」は2001年に造られた約500トンのこぢんまりとした船。出発を前に生活物資などが積み込まれ、離島を結ぶ生活航路の雰囲気が漂っている。ダンボールの荷物を持つ高齢者に混じって、望遠レンズのついたカメラを持ち、首から双眼鏡をぶら下げて防水のジャンパーを着込んだ「いかにもバードウォッチャー」という人やキャンプ道具を積み込んでいるカップルもいるが、船内は閑散としている。

天売・焼尻は、北海道の観光を考える百人委員会が策定したモデルルートの中に「絶景!日本海オロロンラインと離島めぐり」として選ばれているものの、礼文・利尻に比べると賑わいは少ない。
離島・秘境ブームに沸いた1970年代に6万人の観光客でにぎわったものの、その後は低迷。1992年に4万人を1999年には3万人を切り、いまや観光客は往時の3分の1になっている。 



生活物資などがフェリーに積み込まれる

タラップを上り、三層に分かれた船室のうち窓がある一番上を選んで荷物を置いた。港の待合室に置いてあった島の観光マップを広げ、札幌駅で買ってここまで抱えてきた弁当をかき込んだ。

午後二時、船は岸壁を離れた。空は鉛色。遠くなる北海道を見ようとデッキに出ていたが、揺れがひどくなり客室に退散した。

ほとんどの乗客がカーペットに横になっているので、同じように寝っころがる。カーペットの下から「バシャーン」という波の音に混じって「ゴトン」「ガタン」という重くて、鈍い金属音が響いてくる。
さっき食べた弁当が胃の中でまぜこぜになっている。船酔いで気分が悪くなるまでもう一歩というところで眠りに落ちた。

なにせ、まず船が出る羽幌までが遠かった。自宅を出たのは午前5時前。始発電車で羽田に向かい、6時40分発のJALで千歳へ。札幌駅前のバスターミナルから沿岸バスが運営する「特急はぼろ号」で3時間ちょっと。フェリーが天売島に到着するのは15時35分だから、10時間以上の長旅だ。眠くもなる。


天売港に到着。お巡りさんがお出迎え。

気付いたら焼尻島に近づいていた。船は焼尻を経由して天売に向かう。大きなバックパックを抱えた人が降り、郵便局員が乗ってきた。書類が入っているのか大事そうにお腹の上にかかえて船室で横になっていた。離島を巡っていると郵便や電話、宅配便といったインフラのネットワークが日本の隅々にまで張り巡らされて、機能していることに感心してしまう。

羽幌島を左手に見ながら、25分で天売島に到着。風が強くて肌寒い。駐在署のお巡りさんが下船用のタラップをフェリーのスタッフと一緒に船の前まで動かしている。

迎えに来てくれた旅館の人との話題も船の揺れだった。「もしかして、一番上に乗りました?」と苦笑いしている。
上になるほど揺れ幅が大きくなる。船底でいればよかったものを、つい眺めがよさそうな船室を選んでしまった(残念ながら天気は眺めが楽しめなかった)。おかげで旅館の部屋についても、まだ体が地面から浮いて揺れているように感じた。


僕らの島生活
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