プラータナー 憑依のポートレート [著]ウティット・ヘーマムーン

 タイの現代アートや映画などが近年評価を得ており、私も映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品が輸入されれば見ないではいられない。そこには前近代の身体性と霊性、同時に超現代の情報社会性が両立していると感じる。
 『プラータナー(欲望)』もまた、読む者の時間をとらえて魅惑する。主人公の男カオシン(憑依の意)は少年や女性たちとバイセクシュアルな関係を持ち、その身体を緻密に「視る」。
 その感覚の濃度には時代を超えてしまう普遍性があるのだが、小説では同時にタイの政治が書かれる。政治は普遍というより、常に限定的で変わりやすい状況の連続である。反政府デモに参加する主人公の社会的視線は決して物語の主軸にはならないのだけれども、それでも政治は日々の瞬間ごとに、人物の皮膚に入れ墨のように刻み込まれる。
 スノビッシュであり、芸術を愛するカオシンはそうした社会性から逃れようとしているのかもしれない。だが刻まれてしまう文様は彼らを規定してやまない。
 その姿をシリアスに描き続ける文章は、日本人読者に三島由紀夫を思い出させるだろうし、性と政治という根幹のテーマから大江健三郎作品の幾つかを想起する人もいるかもしれない。
 なんにせよ、そこにはどこか古典的なモダニズムが横溢している。あえてポストモダンを避けて近現代の文学青年のような構えで長編を書いているのが著者であり、がしかし同時にオリジナルな書体を使って公序良俗を冒すような文を連ねるといったアート行為の領域にも、著者は身を置く。
 これは踏み込み過ぎていると承知の上だが、二十一世紀をリードしようとすれば、今流通している先進国のモノ作りの傾向から外れ、同時にきわめて未来的であろうとする以外ないと思う。世界のありとあらゆるジャンルで、そのやり方での独特のバランスを持った才能が生まれ出ており、著者もその一人だろう。
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Uthis Haemamool 1975年、タイ生まれ。小説家。『残り香を秘めた京都』『ラップレー、ケンコーイ』など。