イベントが出演するほうも観(み)に行くほうも中止になってしまって時間がぽっかり空き、部屋を片付けている。元がものすごく散らかっているので、本や紙の束に埋もれながら、普段は手をつけない引き出しをひっくり返して整理している。

 便箋(びんせん)や封筒や葉書(はがき)を入れていた引き出しの、中身を全部出す。未使用のあれこれが大量に入っている。鳩居堂(きゅうきょどう)の版画の便箋セットはとても好きだったので、紅葉や桔梗(ききょう)や花火や、いろんな柄がある。花の形の紙に香りを染み込ませて封筒に入れる文香もあり、一時期たくさん買ったなあ、と思う。お鮨(すし)や仏像をかたどったちょっと笑えるシールとか、二〇年前のプリクラまで出てきた。

 つまりは、これらは最近はほとんど使っていない。使うのは一筆箋(せん)ぐらい。最近は手紙を書かなくなったなあ、というよりも、こんなに手紙書いてたのやなあ、としみじみしてしまう。

 こないだ、高校時代の友達から実家を二世帯住宅にリフォームして引っ越したと報(しら)せが来た。その住所にものすごく見覚えがあって、驚いた。住所を覚えるほど、自分がかつて手紙を書いていたことに。

 学校を卒業してもしょっちゅう会っていたのに、何度も手紙を送ってなにを書いていたのか、全然思い出せない。考えてみれば、あらたまったお礼の手紙を書くこともときどきはあったけれど、この友人に限らず、普段からよく会う友だちにどうでもいいことを書いて送っていた。だから、キャラクターの絵のふざけた柄の便箋がたくさんある。

 「手紙」というとかしこまった響きがあるが、今も、携帯電話で普段も会う人とどうでもいいやりとりをしているから、手紙もそうやってんな、と自分がやっていた行動なのに発見したみたいな気持ちになりながら、未使用のシールの山は友だちの子どもにあげようと仕分けした。

 手書きの文字自体書く機会が減ったので、どんどん字が下手になっていくのが気になるところだ。=朝日新聞2020年3月11日掲載