白黒で凍りついた「記憶」を溶かす

 本書には戦前から戦後にかけての写真が約350枚収録されている。カラー化はAI技術で自動色付けをした後に、正確な色の出にくい人工物などを手作業で補正。資料の調査で色が分からない場合は、戦争体験者との対話やSNS上のコメントで得られる情報を参考にした。お二人はそうしたコミュニケーションまで含めた活動を「記憶の解凍」プロジェクトと呼んでいる。

 渡邉さん「社会のどこかに存在しているけれど、あまり人が注意を払わなかったものがあります。広島の方がお持ちになっている戦前のアルバムや、新聞社が保管している戦前〜戦後の写真などです。白黒ゆえにあまり関心を呼ばず、対話の俎上に載らなかった。それをカラー化することで、たくさんの人が対話できる場をつくることを目指しています。
 戦争体験者の方には、戦前の広島や沖縄などについて、過去の思い出があります。それが溶かされて、対話が広がっていく。過去の出来事が我々の時空間と合流して、未来に継承されていく。そういうコンセプトです」

 もともとグーグルアース上に情報をマッピングするデジタルアーカイブを制作していた渡邉さん。2010年に制作を開始した「ヒロシマ・アーカイブ」では、原爆の被爆者の証言などの資料をマッピングしている。そうした活動の中で、文章や動画と比べると写真はあまり見られないことに気付き、16年からモノクロ写真をAI技術でカラー化し、SNS発信をする取り組みを行っていた。

1936年2月26日「二・二六事件」で決起した直後、東京・半蔵門を占拠する反乱部隊

 「記憶の解凍」プロジェクトが始まったのは17年。広島の高校生だった庭田さんとの出会いがきっかけだった。平和活動に関心のあった庭田さんは「ヒロシマ・アーカイブ」の証言収録の活動に参加していた。

 庭田さん「平和公園で偶然お会いした濱井徳三さんに、証言収録のご依頼をしました。濱井さんの生家は(原爆が投下された)中島地区で理髪店を営んでいましたが、原爆によってご家族全員を失ってしまったと伺いました。アルバムを見せていただくと、戦前のご家族の写ったモノクロ写真250枚が収められていました。濱井さんは『ずっとこれを見ながら亡くなった家族を思い出していた』とお話ししてくれました。本当にご家族のことが大好きだったんだと思って、渡邉先生のワークショップで学んだ技術を使って、濱井さんにカラー化した写真をプレゼントしたいなと思ったんです。ご家族を近くに感じて喜んでもらいたいと思いました。
 (後日カラー化した写真を渡すと)濱井さんは『家族がまだ本当に生きているみたいだ』と凄く喜んでいただきました。私もその時、やはりモノクロ写真だと時が止まっているように感じました。でもカラー化することで、ご家族の会話が本当に聞こえてくるように感じたんです」

1935年、広島の桜の名所・長寿園での花見の様子。濱井さんは左から4人目のお母様に抱かれている。濱井徳三さん提供

 この対話の様子を映像で見た渡邉さんは衝撃を受けた。濱井さんはお花見の写真を見ながら「杉鉄砲でよく遊んだなあ」と話すなど、モノクロ写真では思い出さなかった記憶を語り出した。その様子を目の当たりにして「記憶の解凍」という言葉が「降りてきた」。そこから二人のコラボレーションが始まった。

写真集に込められたストーリー

 カラー化写真は渡邉さんのTwitterアカウント()などで発信している。反響の大きいものでは、数万いいねがつくこともある。今回、フォロワーだった編集者から声がかかって、カラー化写真集の書籍化にいたった。

 渡邉さんは1冊の本を通して「ストーリー」を伝えることを重視した。その裏には、2010年代はデータを見せる「ビジュアライゼーションの時代」だったが、今はそこから生まれる対話や物語を重視する「ストーリーテリングの時代」に変化したという見立てがある。本書の写真の選び方とストーリー構成の狙いについて、次のように話す。

 渡邉さん「なるべく全国各地の写真を入れました。沖縄戦や原爆投下などがよく知られていますが、各地でいろんな形で戦災が起きました。例えば、空襲の記憶を伝えるための花火大会がたくさんあります。(新潟の)長岡まつりもその一例ですが、由来を知っている人はだんだん減っています」

1945年8月1日、新潟の長岡空襲。中心部市街地の約8割が消失した

 「また日本に関するものであれば、海外の写真も入れるようにしました。戦争で攻撃をする米軍の視点の写真と、攻撃される市民の視点の写真が、同じ時間軸の中で交差していく。戦争によって何が起きるのかを見せるようにしました」

1945年3月26日、沖縄の阿嘉島に上陸するアメリカ軍部隊

 庭田さんはまた違った視点で写真を選んだと語る。

 庭田さん「(本を作るために)朝日新聞社のアーカイブで検索したり、共同通信社を訪れたりして、当時の写真を幅広く探しました。貴重な写真が多くある中で、私が直接お会いして集めてきた中島地区の写真は全然ありませんでした。朝日新聞社に1枚しかなかったんです。凄く貴重なんだと感じて、中島地区の写真は伝えていきたいと改めて思いました。

 他にも全国各地の写真が収められていますが、特に子どもたちの様子を中心に集めました。例えば、子どもたちが戦争の意味を知らずに、無邪気に防毒マスクで遊んでいる写真があります。戦前のパートで(子どもたちを含んだ)一般市民の写真があって、戦中のパートで戦争が激しくなる戦地の写真がある。戦争は一般市民まで巻き込んでしまうんだということを感じてもらえたらと思います」

1937年、大阪府泉北郡鳳町付近。戦争ごっこで防毒マスクをかぶる子どもたち

広島の無得幼稚園のお遊戯会。綱引きをしている様子。今中圭介さん提供

戦争体験世代と若い世代をつなぐ本に

 「記憶の解凍プロジェクト」は多くの人を「発信する側」に巻き込んでいく。花や看板など細部の色の情報を提供をするだけで、写真に写った遠い過去の出来事との距離が少し縮まる。テレビや新聞でプロジェクトが報道された後に、それを見た人からSNSで連絡をもらって修正をすることもある。その意味でも、本書に収録された写真は、新たな修正が入る可能性があって完成形ではない。「カラー化」と「対話」は「永遠に終わらない旅」のようだという。

 最後に本という媒体で発信したことの意義についてお二人に聞いた。

 渡邉さん「今改めて本の良さを考えると、ページをめくりながら今、時間軸上のどこにいるのかを把握できることです。1930年代に太平洋戦争が始まる前はどうだったのか。戦争が始まってからはどう変わったのか。そうした時間の流れが、目で見てすぐに分かります。

 もう一つは、庭田さんや僕が紡いできたストーリーごとお届けできることです。テレビや新聞では素晴らしい報道もありますが、短くて一回きりで終わってしまうことが多い。Twitter上で流れる写真は、翌日になったら忘れていることがある。でも本の形になれば、いろんな方の手元や図書館で永遠にある。いつでもここから新しいフローが生まれていくだろうと信じられます」

撮影:尾木正己さん

 庭田さん「本という紙の媒体で発信すると、SNSに不慣れなおじいちゃん・おばあちゃん世代に届けることができると思います。そして本を囲んで若い世代の人たちと一緒にじっくり読むことができます。

 私自身、あまり祖父母に当時の話を聞いたことがありませんでした。でもこの本を届けにいった時に、祖父がキノコ雲の写真を見ながら話をしてくれました。祖父は被爆者ではなく、広島市内から離れた所にいた。でも原爆が投下された時はピカッと光って、遠くから大きい音がして、キノコ雲の上の部分が見えたと話してくれました。親戚の家に怪我された方が運ばれてきて、(切迫した状況のため)両親に詳しい事情を聞けなかったことなど話してくれました。

 この本を手に取ってくださった若い世代の方が、おじいちゃん・おばあちゃんに話を聞いてもらうきっかけになればいいなと思います。そしてそれぞれが受け取った思いを発信してもらいたいです。戦争体験者の方が少なくなる中で、記憶を継承していくために、とても大事になってくることだと思いました」

お話を聞いた⼈庭田杏珠(にわた・あんじゅ)東京大学学生

2001年、広島県生まれ。東京大学で「平和教育の教育空間」について実践と研究を進める。17年、中島地区(現在の広島平和記念公園)に生家のあった濵井德三さんと出会い「記憶の解凍」プロジェクトを開始。これまでに展覧会、映像制作、アプリ開発など、アートやテクノロジーを活かした戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(18年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞(19年)などを受賞。

渡邉英徳(わたなべ・ひでのり)東京大学大学院情報学環教授

1974年、大分県生まれ。情報デザインとデジタルアーカイブによる記憶の継承のあり方について研究を進める。「ヒロシマ・アーカイブ」「ナガサキ・アーカイブ」などを制作。2016年よりモノクロ写真のカラー化を始め、17年より庭田さんと共同で「記憶の解凍」プロジェクトに取り組む。岩手日報社との共同研究成果「忘れない:震災犠牲者の行動記録」は日本新聞協会賞(16年)を受賞。その他、文化庁メディア芸術祭、アルスエレクトロニカなどで受賞・入選。