〈うた〉起源考 [著]藤井貞和

 詩人にして国文学者・藤井貞和が『日本文学源流史』から4年で出版したのが今回の『〈うた〉起源考』であり、どちらも400ページを優に超える大著である。
 さかのぼれば源流史は、日本文学の流れを「古日本語以来の数千年の範囲で見通」す意図で書かれ、その中に「アイヌ語文化および琉球/沖縄語文化を配して」、詩や物語がいかに形成されてきたかを大量の資料と深い考察で経巡(へめぐ)るもので、まことに刺激的だった。
 そして著者は続いて、文学の中でも今回は詩に焦点を当て、古代歌謡から万葉、源氏物語の中の詩から戦後の「あたらしい短歌」までを大きく、かつ細かく見渡す。
 だがしかし、ここに教科書的な無難な体系化はない。いわば著者の興味と仮説を次々にあげて、それぞれの詩への思い込みをひき剝がし、より重要な技術や詩情の変化などを示すのだ。
 そもそも歌論という分野が平安の昔からそのようなものではなかったろうか。歌、つまり詩は具体例としてしか示し得ず、したがって森を渉猟して生き物を見るようにしか観賞も批評も出来ない。藤原定家も俊成も、だからそうやって次々に焦点をずらしながら歌の全体を語ろうとした。
 そこには物理学などとは異なる記述の態度が必要で、藤井は正しくその方法の上にいるのだし、だとしたら読者にも同様な姿勢が求められるだろう。それは決して難しいことではなく、〝飛ばし飛ばし読んでかまわない〟ということである。それが歌論の読み方であり、書かれ方なのだと思う。
 つまり我々は本書で古今集の項に熱中しながら、ふとインドのサンガム詩に関する分析にページを移してしまっていいのだし、「おもろさうし」の翻訳に目を奪われていても、次の瞬間に源氏物語浮舟の歌へと流れてしまっていい。
 そもそも、日本語における書き言葉の始まりから現代短歌までを網羅しようとする企図自体が途方もないものであり、文化の歴史は一方向的に語れるはずもないのだ。「教科書的な無難な体系化はない」と書いたのはそのことで、我々はむしろ〝飛ばし飛ばし書き〟〝飛ばし飛ばし読む〟ことでしか、言葉の来し方行く末をとらえられないのかもしれない。
 その際、古歌それぞれに必ず付く藤井の訳が読書の里程標になってくれる。掛け詞(ことば)などの言葉遊びを無視せず、男女の機微を失わず、ひとつの歌が上から下へ一方向的に意味を持つのではないことを、その丁寧な訳の数々が示す。
 我々は気になる訳を見つけては原文を読み、そこから広がる評論を読んでもいい。つまりそれが歌論的な読書なのだと著者は実践で伝えてくれる。
    ◇
 ふじい・さだかず 1942年生まれ。詩人、国文学者。詩集『ことばのつえ、ことばのつえ』で藤村記念歴程賞と高見順賞。『源氏物語論』で角川源義賞。東京学芸大、東京大、立正大の教授を歴任。