小池真理子さんとは、長いお付き合いになる。ご主人の藤田宣永さんとも対談などでお会いし、またご自宅へお邪魔して、藤田さんのご実家がある福井から届いたばかりのカニを、お腹一杯ご馳走になったのも記憶に新しい。

 居間の中央には、エラールのグランドピアノが置かれていて、その周りを二匹の猫がお散歩していた。子供のころ、真理子さんは音大を目指していたのだ。

 今は、真理子さんと猫二匹の生活。

 居間の片隅に作られた祭壇に、藤田さんの写真と遺骨が祀られている。花と写真と本に囲まれた藤田さんの顔は、相変わらず照れて恥ずかしそうだ。藤田さんからは、野鳥の餌台が見えるという。

 誰もが憧れるご夫婦だった。二人は美男美女で、おまけに小説家という同業者。
けれど二人が同業者でなければ、もっと穏やかな関係を保てたに違いない。世間の憧れに反して、ひりひりと辛いことも沢山あったのだ。

 小説家同士というのは、適度な距離を置くことが出来なくて、夫婦としては最良で最悪の組み合わせとも言える。

 二人は毛細血管さえも共有しあう同士であり、ライバルであり、運命共同体でもあった。
夫婦は生活するうちに何となく役目や立場が決まり、相手の領域には入り込まず、信じて任せているのが通常の夫婦だろう。

 そのように距離を保つことで守られていくのが夫婦の平安なのだが、藤田さんと真理子さんは、二枚貝のように一体となって呼吸を合わせ、すべてを身近に感じ、理解も出来て、それを伝え合うことさえ遠慮が無かった。

 小説家というのは鋭い感性を持ち、それを正直に表現出来る言葉を持っている。思ったこと、感じたことを、外に出さないではいられないのが小説家の性(さが)で、たとえ隠していても、想像力で見通してしまうのだ。

 至福の関係にも成り得るが、傷つけあうことにもなる。相手が見える、解るということのプラス面とマイナス面の大きさ、それがもたらす歓びと傷の深さは、小説家夫婦ならではのものだったと想像できる。

 毛細血管までお互いに依存しあった夫婦の一方が、病によって剥ぎ取られたのだ。

 その痛みに向き合ったエッセイ「月夜の森の梟」は、毛細血管から染み出てくる血で綴られている。

 仲の良いご夫婦だったのだと、凡庸な視線で想像するのは間違っている。そんな穏やかなものではない。研ぎ澄まされた自我が衝突した痛みによって、お互いに新たな創作意欲が生まれ、新しい作品が誕生した。

 そのような作家夫婦が存在したことこそ、奇蹟である。

 私は今年、大腿骨を人工股関節に置換する手術を受けた。無事手術は終わり、最短時間で快方に向かったけれど、リハビリも含めて、決してラクな術後ではなかった。

 「月夜の森……」には書かれて無かったけれど、藤田さんは亡くなる三カ月前に私と同じ大腿骨置換手術を受けている。治療薬による副作用を抑えるためのステロイド剤のせいで、大腿骨が折れた。骨転移があったのかも知れない。そのままでは寝たきりになるのを心配しての置換手術だったそうだが、術後の負担を知っている私には、あまりに酷に見えた。

 手術の先に生の希望が在るならと、本人が望まれたのだろう。病に負け続ける中で、唯一の抵抗だったのかも知れない。希望につながるものなら、苦しくても耐えられるのが人間なのだ。

 火葬した遺骨の中に、三カ月だけ体内にあった金属の股関節を見つけたとき、真理子さんは泣きくずれた。藤田さんの生への希望は、十数センチのチタンの股関節として残されたのだ。

 真理子さんがこのことを「月夜の森……」に書かなかった、書けなかった理由を、私は考え続けている。

 希望がそこに在ったゆえの、敗れた痛みの大きさ、残酷さ。それを語るには、まだ時間が足りないのだと思う。

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 小池真理子さんのエッセー「月夜の森の梟」は2020年6月から翌年6月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載された。2020年1月に死去した夫であり、作家の藤田宜永さんをしのぶとともに、哀しみを通して人間存在の本質を問う内容には大きな反響があった。便箋10枚、20枚といった手紙が届き、メールを含めれば千通を超すメッセージが寄せられていた。11月に連載をまとめた単行本『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)が刊行されるのを前に、追悼を文学に高めたと評されたエッセーの一部を紹介するとともに、その魅力を探っていく。

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