お話を聞いた⼈青山美智子(あおやま・みちこ)

1970年生まれ、愛知県出身。横浜市在住。デビュー作『木曜日にはココアを』(宝島社)が第1回宮崎本大賞を受賞。『お探し物は図書室まで』(ポプラ社)が2021年本屋大賞で2位獲得。他の著書に『猫のお告げは樹の下で』『鎌倉うずまき案内所』『ただいま神様当番』『月曜日の抹茶カフェ』(すべて宝島社)など。

衝撃を受けた絵本

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 いろいろ読んでいたのですが、いちばん憶えているのは中川李枝子さんの『ももいろのきりん』です(と、モニター越しに本を見せる)。ひらがなが読めたということは、5歳か6歳くらいの頃だったと思うんです。絵が子どもっぽくなくてお洒落で、主人公の女の子の名前が「るるこ」という珍しい名前だったり、ピンクと言わずに「ももいろ」と表現しているところにときめきました。きりんといえば黄色の地に茶色の模様が入っているイメージなのにももいろで、他の動物たちもぶどういろやれもんいろで、すごく自由なところに衝撃を受けました。固定概念を崩されて、「これでいいんだ」って思いました。それが大人になってからの自分にも影響していますね。

 これは女の子が大きな紙をもらってももいろのきりんを作る話ですが、自分も大きなことがしたくなって、部屋のカーペットにクレヨンで絵を描いてすごく怒られた記憶があります(笑)。

――今お持ちの『ももいろのきりん』は、小さい頃からとってあったものですか。

 いえ、これは大人になって買いました。最初に読んだのは保育園かどこかにあった本で、家にはなかったと思うんです。これは大人になってから買いました。子どもの頃に読んで衝撃を受けた本を、大人になって買い直して読み返すことは多いです。

――中川李枝子さんといえば『ぐりとぐら』ですよね。青山さんの『お探し物は図書室まで』に登場しますよね。

 『ぐりとぐら』は誰もが知っているスタンダードなシリーズなので出しました。あのシリーズだと『ぐりとぐらのかいすいよく』で、「うみぼうず」が出てくるけれど、人間の姿をしているところなんかが面白かったですね。

――今日はあらかじめ、読んできた本のリストを作ってくださっているんですよね。ありがとうございます。リストを見ると、幼少期に読んだ本として、他に安野光雅さんの『ふしぎなえ』や斎藤隆介さんの『モチモチの木』が挙がっていますね。

 『ふしぎなえ』は文字のない絵本なので読書といっていいのか分かりませんが、見れば見るほど見てしまうというか。壁だと思っていたところが階段だったり、階段を下りていると思ったら上がっていたり。当たり前だと思っていたことがそうではないと気づく絵本ですよね。

 『モチモチの木』は好きというより、怖くて怖くて(笑)。滝平二郎さんの切り絵が怖いけれど美しくて見てしまう。『おしいれのぼうけん』のように怖い話は他にもあったけれど、これは怖くしようとしていないのに怖いんですよね。怖がりの男の子、豆太がおじいちゃんのために頑張る姿に、どうなっちゃうのかハラハラして、壮大なアクション映画を観たくらいの衝撃がありました。ハッピーエンドでよかった(笑)。

――本は自分で選ぶことが多かったんですか。

 そうですね。親が、少年少女向けの文学全集をそろえたことがあったんです。『若草物語』とか『路傍の石』などが収録されている全集ですね。うちの経済事情からして決して安い買い物ではなかったと思うんですが、20冊くらい、ずらーっと並んでいました。でも、申し訳ないけれど食指が動かなくて。怒った母親が「どれか読んだの?」と訊くので、「読んだ」と嘘をついたら「どれを読んだの?」って。そういえばひらがなで『にんじん』ってタイトルがあったと思ってそう言ったら、「感想を言いなさい!」と言われたんですが、当然、読んでいないから感想が言えなくて怒られました。だから『にんじん』がちょっとトラウマになってしまいました。大人になって読んでみたら面白かったんですけれど。

 今だったらそうした全集も喜んで読むだろうけれど、強制的に与えられて「感想を言いなさい」と言われると、やっぱり読みたくなくなるんですよね。だから私、本を読みたくないという子の気持ちが分かります。よく「どうしたら本が好きになれますか?」と訊かれますが、好きになれないならしょうがないと思ってしまう。本と読者のマッチングってあるんですよね。お互い引き寄せあうものがあるかどうか。

――その頃、マッチングで合ったものといいますと。

 父の本棚にあった本です。親は特に読書家というわけではなかったんですが、流行りの本は読むという感じでした。私は文学全集は読まずに、夜中にこっそり父の本棚から本を持ってきてベッドの中で読んでいました。それで読んだのが、北杜夫さんの『どくとるマンボウ青春記』や畑正憲さんの『ムツゴロウの結婚記』、吉行淳之介さんの『砂の上の植物群』とか。

――ああ、なるほど。リストを拝見した時に、「小学生で『砂の上の植物群』!?」ってびっくりしたんですよ(笑)。主人公の男が若い女性との性に溺れる話じゃないですか。

 そうそう、エロいことがいっぱい書いてあって、犯罪の匂いもして。「大人ってこんなことするんだ―!」って思いました(笑)。話の展開も面白くてしびれました。ませた子どもだったのかもしれません。

――国語の授業は好きでしたか。

 文章を書くのは好きだったし、感想文も得意でした。でも他は苦手で、算数や体育は本当に駄目で(笑)。それで余計に国語が好きだったのかもしれません。教科書は学年のはじめに配られた時に全部読んでいました。便覧なども好きでしたね。

――今振り返ってみて、どんな子どもだったと思いますか。

 どちらかというと大人といるほうが楽でした。大人といっても先生とか友達のお母さんではなく、全然自分とは関係のない人。団地に住んでいたんですが、同じ棟の違う階に、結婚したばかりでお子さんのいない若い女性が住んでいて、その人のうちに行ってお話ししていました。日常のこととか旦那さんのこととか、本当に他愛もない話ばかりでしたが、大人のほうも子ども相手にガードが緩んでいたのか、ぽろっと言ってしまった、という感じのこともあって。それが自分の人生の参考になったりしたことはあります。

 同世代の仲良しグループもあったけれど、うまくやれている自信がなかったんです。小学生くらいの子って残酷で、ひどいことも言うし、態度がころころ変わったりする。距離の取り方が分からなかったですね。だから同級生とも遊んでいましたけれど、心の中では大人といるほうが楽しかったです。

――その頃、将来何になりたかったんでしょう。

 漫画家になりたかったんですよ。なるものだと思っていて、実際描いてもいました。漫画雑誌は「なかよし」から入って「りぼん」に移りましたが、だいたいその真似事でしたね。学園もので誰々君と誰々ちゃんがこうしてああして......という。それを友達と回し読みしていました。

――リストに漫画もたくさん挙げてくださっていますね。筆頭が藤原栄子さんの『うわさの姫子』。

 もう、『うわさの姫子』は大好きでした。7巻から読んだらそれがすごく面白くて、そこから集めました。当時は数百円しかもらえないお小遣いを「なかよし」か『うわさの姫子』に使っていました。

 自分と同じ小学生なのに、恋愛をしたり遠くに出掛けて冒険しているのが楽しくて。姫子は髪が長くておしとやかなんだけれども実はすごく強い。その二面性が好きでした。それと、姫子の親友たちが面白くて。私、主人公の親友が好きなんです。主人公よりも面白いキャラクターが多いから。『千と千尋の神隠し』でも千よりリンが好きです。

 山岸凉子さんの『日出処の天子』も大好きでした。すごく長いのに一度読み始めると最後まで読んでしまうという、禁断の書(笑)。私、あれはボーイズラブだと思っているんですけれど、厩戸王子がすごく切ないんですよね。あんなに美しくていろんなことができて世界を牛耳る人なのに、本当に愛して求めている母親や蘇我毛人には最終的に愛されない。想いが叶わない部分を、ちょっと自分に重ねているところもあったというか、理解できるなと感じていました。

――世代的に、その頃いがらしゆみこさんの『キャンディ・キャンディ』が流行っていたと思うんですよね。アニメ化もされて。

 ああ、あれは名作だけど、私は主人公のキャンディよりも、彼女に意地悪するイライザのインパクトが強くて、人にはこういう感情もあるよなって思っていました。そういえば、一回、イライザのお兄さんのニールがキャンディを好きになるんですよね...って、私、結構憶えていますね(笑)。キャンディの親友でカメを飼っているパティも好きだったし。

『シンデレラ迷宮』との出合い

――中学生時代、小説で好きだったものは。

 教科書に安房直子さんの「鳥」という短篇が載っていて、読んだ時に「この話めちゃくちゃ好き」と思ったんです。その記憶がずっとあって、デビューした後で読者の方から「安房直子さんのような表現力」と感想をいただいた時に「鳥」のことを思い出し、それが収録されている短篇集『なくしてしまった魔法の時間』を買いました。読み返してやっぱり、「鳥」が好きだと思った気持ちが自分の中に浸透していたんだなと思いました。読者さんに気づかされることは多いです。

――リストでは次に氷室冴子さんのお名前が挙がっていますね。

 氷室さんはもう、別格です。中1の冬に転校して、すぐには新しいクラスに馴染めず、ずっと教室の隅で本を読んでいたんです。家に読む本がなくなったので書店に行き、『シンデレラ迷宮』を見つけた瞬間をまだ憶えています。女の子の後ろ姿が描かれた表紙に惹かれたんですよね。利根ちゃんという女の子が異世界に行って、みんなが知っているいろんな物語のヒロインに会う話なんですが、実はこう思っていたとか、実はこんなことがあったということが語られていく。それが本当に面白くて。もう何度も読んで、主人公と友達のような気持ちになりました。これを読んで、「小説ってこんなに面白いんだ」「私も小説を書きたい」って思ったんです。それで、実際に書きました。『シンデレラ迷宮』は絵もすごくいいので、それも真似して自分で挿絵も描いていました。

 最近『シンデレラ迷宮』を読み返していて気付いたことがあって。私はよく小説で、あの人はこういう人に見えるけれど、違う視点で見るとまた違うということを書くんですが、それはこの本に影響を受けていますね。

 氷室さんの本はわーっと揃えていきました。コバルト文庫の氷室さんの本は背表紙がピンクなんですよね。ベッドサイドがピンクの本で埋まっていきました。『少女小説家は死なない!』、『なんて素敵にジャパネスク』、『蕨ヶ丘物語』や『なぎさボーイ』を書かれていた頃です。

――『なぎさボーイ』、懐かしいですね。『多恵子ガール』『北里マドンナ』の3部作。それぞれ、なぎさと、彼と幼馴染みの多恵子、彼の友達の北里の視点から描かれる。

 これも、視点を変えたら同じ出来事が違うふうに見えてくるということが顕著ですよね。今自分がやっていることと同じだなと思います。この3部作は野枝ちゃんが好きなんですが、彼女の視点がないのが残念です。

 私、氷室さんに手紙も書いたんです。そうしたらお返事をいただいたんです。イラスト付きの葉書で、ご本人の直筆で、サインつきで。決まりきった言葉ではなく、私の手紙の内容にも触れて、ちゃんと答えてくれていました。

――わあ、きちんとファンレター一通一通目を通してお返事を書かれていたんですね。『シンデレラ迷宮』の影響でご自身で書き始めた小説は、どんな内容だったのですか。

 千葉から愛知に越したんです。正確にいうと、生まれた場所は埼玉県なんですよね。母の実家が埼玉にあって、そこの病院で生まれたんですが1週間しかいなかった。愛知には中1から大学卒業までいたので、私の中では愛知が出身地です。

――当時、読書や執筆以外に打ち込んだことはありますか。部活とか。

 小学生、中学生の時に演劇クラブに入って、お芝居って面白いなと思っていました。高校は演劇部がなかったんですが、大学に入ってからまた始めて、社会人になってからもアマチュアの劇団にちょっとだけ入っていました。

 演技って、自分とは違う人の人生を生きるという点で、小説を書くのと近しいものを感じるんです。私は、小説家って大きく分けて2タイプいると思うんです。脱いで自分を出していくタイプの人と、着ていくタイプの人と。私は、自分は後者だと思っています。自分の内面や本当の自分を隠して、いろんな人のコスチュームを着て書いている感覚なんです。小学生の男の子のコスプレをしたり、おじさんのコスプレをしたり、ということを1冊の本の中でやっています。

高校時代の読書と文芸サークル

――高校時代はどのような本を読まれたのですか。

 高校は、やっと物心がついてきたという感じで(笑)。吉本ばななさんや村上春樹さんが大流行していた時期で、その時代を生きる10代として私もすごく読んでいました。村上春樹さんはその頃出ていた本は全部揃っています。

 それと、私、林真理子さんをたくさん読んでいたんです。家の本棚に林真理子さん棚ができるくらい。その中でも好きなのが、『星に願いを』と『本を読む女』です。『星に願いを』は自伝的な小説で、林さんの野心みたいなものにすごくシンパシーを感じました。私も田舎にいましたし、家は貧乏だったし、いろんなことが冴えなくて野暮ったくて恋愛が下手で成績もよくなくて、でも小説を書くのが好きで作家になるんだってメラメラ思っていたので、『星に願いを』のキリコが田舎から東京に出てコピーライターになろうとする姿に自分を重ね合わせていました。勇気をくれた本です。

 『本を読む女』は林さんのお母さんを題材にしているんですよね。文学少女だったお母さんの半生が書かれている。これは純粋に素晴らしい本だと思っています。

――リストを見ると、この時期に三浦綾子さんも読まれているんですね。

 一時期、教会に通っていたんです。キリスト教を信仰していたわけではなくて、そこの教会には「ドーナツアワー」があって、行くとドーナツがもらえたので(笑)。三浦綾子さんはクリスチャンですから、教会に彼女の本もいっぱいあったんです。たぶん、そこで『細川ガラシャ夫人』を借りて読んだんですよね。衝撃を受けました。小学生の時に大河ドラマの「おんな太閤記」が好きで見ていたんですが、豊臣秀吉を西田敏行さんが演じていて、すごくいい人だという印象だったんです。でも『細川ガラシャ夫人』では、秀吉がエロ爺さんみたいな感じなんですよ。「えっ、どっちが本当の秀吉なの!」って。思えば、これも今の自分の小説の書き方に影響がありますね。

――同じ時期に安部公房や宮沢賢治も読まれている。

 安部公房は『箱男』が大好きで。今読んでも面白いし、ぜんぜん古くないし、お洒落ですよね。私の『お探し物は図書室まで』の最後の章で、司書の小町さんが差し出すのが草野心平の『げんげと蛙』ですが、最初のプロットではあれは『箱男』だったんですよ。でも書いているうちに、他の章がほのぼのしているのに最後にこれはどうかと思い直して、草野心平にして可愛い終わり方にしたんです。結果的にそれでよかったですけれど。宮沢賢治は『よだかの星』や『どんぐりと山猫』『ツェねずみ』などが好きでした。

――漫画はいかがでしたか。

 中学か高校の頃に読み始めたのが陸奥A子さんや大島弓子さん。今でいうとレトロな感じで、安心して読めました。陸奥さんなら『すこしだけ片想い』が好きです。私のデビュー作の『木曜日にはココアを』が出た時、読者さんの感想に「陸奥A子みたい」とあって、「うわ、バレてる!」って思いました(笑)。確かに主人公の一人のワタルくんなんかは、陸奥A子さんの作品に出てきそうなキャラクターですよね。影響を受けていることに気づきました。

 大島弓子さんはあの線のタッチにやられましたね。『雑草物語』も好きだし、『秋日子かく語りき』は考えさせられることが多くて、本当に名作だと思います。

――そうした本は自分で書店で見つけていたんですか。

 近くに三洋堂書店さんの小さな店舗があって、通っていました。入りやすいし、居心地がよかったんです。お小遣いも少ないから毎回本が買えるわけではなかったけれど、用がなくても行って"本を浴びる"という感じでした。

ライフヒストリー、オーストラリア

――高校時代もずっと小説は書いていましたか。

 ずっと書いていました。中学の演劇クラブの先輩に誘われて、学校外で文芸サークルに入っていたんです。月に1回誰かの家に集まってお茶会をして、みんなが原稿用紙にシャーペンで書いたものをリーダーの人がワープロで打って、印刷してホチキスで留めて同人誌を作って、それを回し読みしていました。小説だけではなくて、絵が得意な人はイラストを描いていたし、他の人の小説の感想を書くコーナーがあったりもしました。

 その時一緒だった人たちと、今繫がりがなくて寂しいんです。誰かが私の名前に気づいて連絡してきてくれないかなって思っています。そのサークルに誘ってくれた先輩が言ってくれた「あなたの小説大好きだから書き続けてね」という言葉がずっと心にあります。その先輩に会いたいです。

――大学はどの学部に通っていたのですか。

 中京大学の社会学部社会学科です。高校で美術の先生に「美大を受験しないか」と言われてその気にもなったこともあったんですけれど、そこまで美術で食べていくという自信や情熱がなかったんですよね。やっぱり小説家になりたかった。

 それで大学のパンフレットを見ていたら、社会学部の桜井厚先生のゼミが紹介されていて、「ライフヒストリーをやります」ってあったんです。ライフヒストリーってなんだろうと調べてみたら、誰かの人生を辿って書く、とあって。これがやりたいと思いました。それで社会学部社会学科に入って、桜井先生のゼミを選びました。

――実際にどなたかに取材したのですか。

 いろんな人にあたってみたんですが、いまいちしっくりこずにいた頃、「笑っていいとも!」でミスターレディーのコーナーをやっていたんです。女性の格好をした男の人たちがファッションみたいに取り上げられていた。それを見て、「この人たちは今ブームみたいに出てきているけれど、長い歴史の中ですでにこういう人はいたし、一時的なファッションではないはず。こういう人に話を聞いてみたい」と思いました。それでゼミの人に相談したら、そういう方たちにインタビューしている先輩がいて、名古屋のゲイバーで働いているイブちゃんを紹介してもらいました。それから2年半かけて、ゲイバーにいったりプライベートでお茶しながら幼い頃のことや恋愛観とかを聞いて、イブちゃんの半生を書きました。向こうも19、20歳の変な子がいきなり来たと思っただろうけれど、いろんな話をして、一緒に騒いで、可愛がってくれました。やっぱり、自分の話をするより、人の話を聞くことが好きなんですよね。今もすごく取材をします。もちろん資料も読むしネットでも調べるけれども、本人に会うのがいちばん感じるものが大きいですね。...ああ、まさか今日、イブちゃんの話をするとは(笑)。

――高校・大学時代に小説の新人賞の応募などは始めましたか。

 いえ、まだです。コバルト文庫の後ろに新人賞の募集要項がありますよね。規定枚数が95枚だったんです。高校時代、同人誌に小説を書きながらも95枚が書けなかった。みんなに「うまいね」と言われていい気になっていたけれど、95枚が書けないなんて駄目じゃん、と落ち込みました。実際に新人賞に応募したのは、23歳くらいの頃、オーストラリアから送ったのが最初です。

――大学卒業後、オーストラリアに行かれたのですか。

 ワーキングホリデーという制度を知って、こんな面白いものがあるのにみんなどうして行かないんだ、と思いました。英語ができるわけでもないのに、勢いで行っちゃった感じです。

――就職活動はしなかったのですか。

 内定も出ていたんですけれど...。ワーキングホリデーは1年間だけだし、大学の時に編集プロダクションでライターとして地方版の「ぴあ」や「an」のカラーページで書く仕事をしていたので、なんとでもなるかな、という若気の至りがありました。

 最初はブリスベンで2か月間ホームステイをして語学学校に通いました。それからラウンドしようと思って、スーツケースを預けて体重よりも重いバックパックを背負って、まずケアンズに行ってオパール屋さんで3か月くらい働いて、グレートバリアリーフでダイビングの免許を取り、エアーズロックに登り、アデレードに行き、メルボルンで芸術を見て、最後に半年間シドニーに住みました。それまではホテルみたいなところを渡り歩いていたんですが、シドニーでは家具付きのアパートを借り、電気や電話を引いて...。今思うと全部英語でよくやったなと思います(笑)。

 暮らすんだったら働かないと、と思ってバイトを探したら、日系の新聞社の記者募集の貼り紙を見つけたんです。それで応募して、記者として働きました。3か月くらいして、そろそろワーキングホリデーのビザが切れる頃に新聞社から「サポートするからビジネスビザに切り替えて、もうちょっとやってみたら?」と言っていただけたので、ビザを切り替えて正社員になって、もう1年いることにしました。

――どんな記事を書いていたのですか。

 私は「生活面」を担当していて、暮らしの情報全般でした。インタビューも多かったですね。取材は英語でしたが、現地の日本人向けの新聞なので記事は日本語です。その時に、誰にでも分かる文章というのもを教わりました。今も私は、小説を書く時に、大人向けの小説ではあるけれど小学生でも読める、ということを基準にしているんです。難しい言葉は使わず、誰もが理解できることを書くために、新聞社で植え付けられたものが役立っています。

――オーストラリア時代の読書は。

 日本から持っていった本が1冊だけあるんです。小田空さんの『目のうろこ』。中国やインドで貧乏旅行をした話が、文章あり、写真あり、漫画ありで紹介されているんですが、これがものすごく役立ったんです。違う国の人たちとどうコミュニケーションをとるか、現地でどういうふうに暮らしていたかが丁寧に書かれていて、すごく勇気をくれたし、自分の固定概念みたいなものを崩してくれて。当時の私を守ってくれた、大事な本です。

 ただ、持っていったのが『目のうろこ』と『地球の歩き方』だけだったので、とにかく日本語の媒体に飢えてしまって。今と違ってネットもないし、書店で売っている日本語の本はすごく高い。でもある時、図書館のすみっこに日本語の本が数冊あることに気づいたんです。そのうちの1冊が『あしながおじさん』でした。「日本語の本だ!」と思って借りて読んだら、面白くて面白くて、最後は大泣きして。小さい頃の文学全集のトラウマから名作にはアレルギーがあったんですが、ようやく抜け出せました。

 でも大人になって読んだからよかったのかもしれません。中高生の時に読んでいたら主人公のジュディに感情移入していただろうけれど、大人になって読んだので彼女を援助するおじさん側の気持ちになったんですよね。自分もこんなふうに、いいなと思える誰かを応援したいな、サポートできたら幸せだろうなって。

――さて、オーストラリアから最初の応募としたということでしたが。

 新聞社の仕事が激務で、時間的にも体力的にも小説はたくさんは書けなくて。でもなんとか書きあげて、1回だけ「すばる」に応募しました。編集部に電話して「海外から応募してもいいか」と訊いたのを憶えています。

 投稿先を「すばる」にしたのは、枚数と時期が合ったことと、「すばる」から出ている作家さんは活躍している印象があったんですよね。帰国してからだんだんそこにはこだわらなくなって、手当たり次第送るようになりましたが。

東京で一人暮らし

――帰国を決めたのは。

 2年経って25歳になろうとする頃に、私の中の林真理子さんが発動したんです(笑)。帰国して東京に行きたいなと思いました。ビザが切れるまでオーストラリアにいると20代後半になってしまうので、切り上げて帰国しようと決めて、25歳の4月に帰国して5月に愛知でバイトしてお金を貯めて、6月には東京に住んでいました。運よく就職先もすぐに決まったんです。本当に行き当たりばったりですが、人と運に恵まれてここまできました。

――どういう仕事に就いたのですか。

 雑誌の編集です。主婦と生活社が個人輸入や海外旅行について紹介する「ユーニュー」という雑誌を出していて、会社ではなくその編集部との契約でした。それをやりながら他誌のライターをやったりして。その後は職場を転々として、扶桑社で「caz」というOL雑誌に関わったり、kkベストセラーズで「vita」というファッション誌をやり、「一個人」は立ち上げから関わりました。創立メンバーなんです。

――その頃はどんな本を読んでいましたか。

 東京に出て一人暮らしを始めた頃に出会ってしまったのが山本文緒さん。もう、ハマって、山本さんの本ばかり読んでいました。山本さんの小説の不思議なところは、1回読むと、何回も読みたくなるところ。山本さんが「女による女のためのR-18文学賞」の選考委員をされていたので応募もしました。

 最初に読んだ作品が何だったか思い出せないんですが、短篇集が好きでしたね。『絶対泣かない』はお仕事がテーマで、『シュガーレス・ラヴ』はストレスからくる身体の不調、『ブラック・ティー』も女性の軽犯罪の話が入っている。一篇一篇は違う話だけど共通するテーマがあって、学ぶところがが多かったですね。『ブルーもしくはブルー』は長篇ですが、こんなに読ませる話はないんじゃないかと思うくらい夢中になりました。自分のドッペルゲンガーに出会う話で、ちょっとホラーなんですよね。

 山本さんと一緒にR-18の選考委員をされていたのが角田光代さんだったので、角田さんの本にも手が伸びました。角田さんの書く女性の犯罪ものがすごく好きです。特別な人ではなくて普通の人が普通に抱く感情が犯罪に繋がっていくのが興味深かった。いちばん好きなのは『三面記事小説』です。三面記事で取り上げられた記事を元に書いた短篇集で、読んでいると本当に悪いのは誰なんだろうとすごく考えさせられる。みんなから見えている部分の裏に実はいろんなことがあるんですよね。これもとても影響を受けた一冊です。

――30代はどのような読書を。

 夢中になったのは松浦理英子さんの『親指Pの修業時代』。上下巻の分厚い話なのに息つく間もないうちに最後まで読ませてすっごく面白かったです。主人公の女性の足の親指が突然ペニスになるという奇想天外な話ですけれど、主人公が動揺するでもなくたんたんとして、さっぱりしている。それが読ませたんですよね。

 その頃に好きだった絵本に、アーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくん」のシリーズがあります。いちばん好きなのは『ふたりはいっしょ』。本当になんでもない日常が描かれるんです。がまくんが夢を見る話が好きですね。簡単に説明すると、がまくんが夢の中で舞台に立って、華やかに踊ったり、いろんなことをするんです。で、「ぼくはこんなこともできるんだ」と、だんだん得意になっていく。客席では親友のかえるくんがいるんですが、がまくんがすごいことをやるに従って、かえるくんがどんどん小さくなっていくんです。それを見てがまくんは、自分の傲慢さに気づいて後悔するんですよね。目が覚めたらかえるくんがいてくれて、「いつだっているよ」と言ってくれて、一緒に朝ごはんを食べる。この話だけは読むたびに泣いてしまいます。

 私、「天狗2秒」って思っているんです。天狗になったら2秒で終わるという意味です。どれだけ褒められても天狗になったら3秒は持たない。がまくんの夢の話は、傲慢さは人を滅ぼすと教えてくれました。

 アーノルド・ローベルの『ふくろうくん』もいいんです。一生懸命辛いことを思い出して涙を流して、それを溜めてお茶を淹れて味わうというオチ。デトックス的な意味合いも感じるし、深い話だなと思います。

――漫画は読みましたか。

 一人暮らしして雑誌編集をしていた頃、すごく嫌なことがあってむしゃくしゃして、帰り道になにか買い物がしたくなって古本屋で『ブラック・ジャック』を全巻大人買いしたことがあったんです。そこから手塚治虫にハマって集めていきました。『ブラック・ジャック』も『きりひと讃歌』も『リボンの騎士』も好きですが、いちばん好きなのが『三つ目がとおる』です。主人公の写楽くんが、第三の目に絆創膏が貼られていると子どもらしいけれど、はがすと怖い人になるというギャップがよくて。人間の歴史や愚かさも描かれているし、最高傑作だと思っています。

 結婚する前の20代、安野モヨコさんの『ハッピー・マニア』にもハマりました。恋愛に悩むことが多かったので、他人事ではないというか、もうバイブルでした。あれは親友のフクちゃんもよかったですよね。

 結婚して静岡に引っ越した頃から恋愛至上主義から離れ、中学男子みたいな読書傾向になってきて。その頃に夢中になったのは楳図かずおさんの『漂流教室』。小学生の子たちが急に自分たちだけ切り取られてサバイバルしていく話ですけれど、今の地球人が真剣に考えなければいけないことがたくさん入っている。学校で生徒たちに配ってもいいくらい、素晴らしい本だと思います。

 その流れで読んだのが浦沢直樹さんの『20世紀少年』ですね。11巻が出たくらいの頃から読み始めて、いつまで続くんだろうと思いながら読み進めました(笑)。

 静岡には4年いて、その後横浜に引っ越しました。そこからはおだやかなものが読みたくなったのか、益田ミリさんの『オレの宇宙はまだまだ遠い』などを読むようになって。高野文子さんの『るきさん』はさりげない幸せな瞬間が描かれた名作だし、ほしよりこさんの『逢沢りく』は未熟な少女の尖った部分が上手に描かれていて好きですね。大阪の親戚の家に預けられることになって、そこにいる時ちゃんという5歳の男の子がすごくピュアな言動で彼女を成長させていく。涙なしには読めないです。

溺愛する作家、そしてデビュー

――40代はいかがでしょう。

 石井ゆかりさんの文章に出合うんです。私は自分の成分の2%くらいは石井ゆかりでできていると思っていて。それくらい溺愛しています。

 彼女の星占いは文章がアドバイス的に書いてあるけれど、絶対に答えは書いていない。どちらかというとキーワードを提示してるだけなんですよね。読み手がそれをどう思うか委ねている。だから読むたびに思うことが違ったりして、自分と向き合うことになるんです。石井さんの星占いは毎日見ているんですけれど、イメージワークだなと思いますね。言葉から連想するいろいろな自分の姿を知ることになる。

 石井さんの「鳥の本」シリーズは、『青い鳥の本』『金色の鳥の本』『薔薇色の鳥の本』などあって、人に薦める時はそっちにするんですが、実はいちばん好きなのは『黒い鳥の本』。人間の黒い部分がいっぱい書いてあって、正しさや明るさに疲れた時に読むと救われます。絵も美しくて宝石箱のような一冊です。

――青山さんの『お探し物は図書室まで』にも、石井さんの『月のとびら』が登場しますね。

 そうなんです。自分も救われてきたので引用させていただきました。その時に、石井ゆかりって本当にいるんだなと思って(笑)。もちろん実在していることは知っていたけれど、なんだかこの世の人じゃないように感じていたんです。でも『お探し物は図書室まで』に引用させていただきたくてコンタクトをとったら、ご本人から「青山様」って、返事がきて、大興奮でした(笑)。本当に大好きです。

――愛が伝わってきます(笑)。他にはどのような本を?

 あまり小説が読めなくなった時期があったんですよね。その人が何を考えているかを読みたい、という方向に気持ちがいって、エッセイを読んでいました。川上未映子さんのエッセイが好きです。『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』をはじめ、ほぼ全部読んでいると思います。

 本屋さんで見つけたのは宮田珠己さんの『なみのひとなみのいとなみ』。ちらっと読んで大爆笑して、こんな面白い人がこの世にいるんだと思ってレジまで持っていきました。その時読んだのは「おつかいナプキン」で、妊娠中の奥さんにナプキンを買いにいかされる話でした。

 エッセイではなく小説ですが、栗田有起さんの『ハミザベス』も自分の中でヒットしましたね。『親指Pの修業時代』と同じように奇想天外な話なんですが、たんたんと、フラットな視点で世界を見ているんです。夢中で読みました。よくこんなことを考えつくなと思いました。

――その間も新人賞の応募を続けられていたと思うのですが、応募先はどのように決めていたのですか。

 「公募ガイド」を見て、いろんな新人賞の締切や枚数、選考委員などを表にして貼って、それを目指して書いていました。年に3、4作は送っていたのかな。書いては送り書いては送り、いつも駄目で、それが普通になっていました。新人賞は「落ちました」という連絡はこないので、出したらとりあえず1回忘れて次を書く、という感じで。

 1回、2003年、33歳の時に小学館のパレットノベル大賞の佳作に入選したんです。佳作でもデビューしている方がいたので、自分もデビューできるのではと期待していました。授賞式も金屏風にビュッフェもある豪華な式で、楯をもらって「2作目も書いてくださいね」と言われて。佳作となったのは50枚くらいの短篇なので、本にまとめるためには長いものを書かないと、と勝手に思いました。

 それが結婚して静岡に住んでいた頃で、妊娠7か月だったんです。でもなんとか200枚くらいのものを書いて編集部に送ったんですが、返事がなくて。読んでもらえたのかどうかも分からないけれど、怖くて聞けなかった。でも赤ちゃんが生まれたという報告をしたメールには返信があったんですよね(苦笑)。その後横浜に越した後も小学館からは何の連絡もなくて、もう駄目なんだなと思ってまた違う賞に応募するようになりました。

――その後、2017年に『木曜日にはココアを』で単行本デビューされますが、これはもともとシドニーの「月刊ジャパラリア」公式サイトで連載された小説を改題したものなんですね。どういう経緯だったのでしょうか。

 シドニーの新聞社の先輩が情報誌を立ち上げて、その中で私もずっとライターとしてコラムを連載していたんです。公式サイトで小説の連載も何度かやっていて、本誌が12周年のとき、記念的に12個のお話を作ろうかという話になりました。1か月に1個、色をテーマにして1年間連載したんです。

――第一話の舞台が東京のカフェで、そこから前の話の主人公と繋がりのある人が次の話の主人公となって話が進んでいく。そのなかで、途中でシドニーが舞台になりますよね。そういう媒体だったからだと納得しました。

 向こうに住んでいる日本の方が読者さんでしたが、短期留学者やワーキングホリデーで短い期間だけ滞在している人も多いので、日本とオーストラリアの両方を舞台にしたいと思いました。でも、視点人物が変わっていく作風が自分の作家人生を決めるとは思っていませんでした(笑)。

 その後、ご縁があって宝島社さんから1冊の本として刊行しましょうということになって。もともと人と競うのは苦手なので、新人賞からデビューするのではなく、フリーマーケットに並んでいるもののなかから選んでもらったようなデビューの仕方は自分らしいのかなと感じています。

青山さんの桜木紫乃ストーリー

――デビュー後は、どんな読書生活を。

 話が前後しますが、デビュー前の2016年に「公募ガイド」9月号を見ていたら、桜木紫乃さんのインタビューが載っていたんです。桜木さんはオール讀物新人賞を受賞した後すぐにはデビューできず、毎週30枚の原稿を編集者に送ったけれどもいいとも悪いとも言われずにいたそうなんです。でも4年間頑張ろうと思って、結局6年かかってデビューした、って。頬を打たれた気がしました。私は小学館のパレットノベル大賞で佳作を獲った後、1作送ったぐらいで返事をもらえなかったといって不貞腐れていた。でも、桜木さんは毎週30枚書いていたんですよ。しかも、4年間頑張ろうと思って、結局6年頑張ったんですよ。その記事は今も大事にとってあって、何度も読み直しているんです。

 その記事を読んだ翌年に『木曜日にはココアを』でデビューできたわけですが、ちょうど同じ時期に桜木さんが『砂上』を刊行されたんです。書店に行くと2冊が並んで置かれていたりして、なんのギフトだろうかと思いました。それで『砂上』を読んだら、新人賞に投稿し続けて40歳を迎えた女性の話なんですよね。私じゃん! と思いました。主人公のところに編集者が会いに来て改稿を求めるんですが、その編集者が毒舌で、辛辣なことを言う。「ぐえっ」と声を出しながら(笑)、付箋をいくつも貼って夢中で読みました。そのなかで、本を1冊出すのはまぐれのこともある、3冊出してやっと作家になれる、という言葉があって。私も3冊出さないといけないなと思いました。あの、私の桜木紫乃ストーリーはまだ続くんですがいいですか?

――ぜひ!(笑)

 その後、書店員の新井見枝香さんと親しくなったんですが、彼女は桜木さんと師弟関係にあるんですよね。新井さんが勤める日比谷コテージで桜木さんが『緋の河』のサイン会が開かれることになって、桜木さんに「公募ガイド」のことも含めていろいろ伝えようと思って会いに行ったんです。でもご本人を目の前にしたら何も言えなくなってしまって。その時に新井さんが「青山さんも作家なんですよ」と桜木さんに言ってくれたんです。そうしたら桜木さんが「あらー」と言って、「会場のみなさん! この方は小説家の青山美智子さんです!」って。ちょうど3作目の『鎌倉うずまき案内所』が出た後で、新井さんが帯コメントを書いてくれたこともあって、桜木さんに献本しようと持っていたので、オロオロしながら「これが3作目です」と言ったら、「3作書いたのね!じゃあ大丈夫!」って言ってくださって。勇気をもらって帰りました。

 その後、新井さんがストリップに誘ってくれるようになり、ある時桜木さんと同じ日に行くことになって。ちゃんとサイン会のお礼とか、『砂上』を付箋だらけにしたこととかを伝えようと思い、幕間で勇気を出してお話ししたんです。33歳で佳作を獲ってからデビューするまでに14年かかったという話をしたら「寝かせたね」って(笑)。「その間に子育てが終わりました」と雑談で話した後で、御本にサインをお願いしたら、これなんですけれど...(と、本を見せる)。

――ああ、「あとは書くだけ!! 美智子さんへ 桜木紫乃」とありますね。

 私の「子育てが終わりました」という話を受けた言葉ですよね。そこで私、嬉しくて泣いちゃって。桜木さんは「泣くんじゃない、泣いている間にストリップを見るんだ」って(笑)。

 そこから桜木さんと個人的に親しくなったということではないんですが、桜木さんの『裸の華』の主人公のモデルとなった踊り子の相田樹音さんは、新井さんと親子みたいに仲がよいので、私も親しくさせてもらっているんです。本屋大賞にノミネートされた時も、樹音さんを通して桜木さんから「おめでとう」というメッセージをいただいたりして。

 私は樹音さんのストリップも何度も見ているんですが、小説家から見てモデルにしたくなる方なんですよね。私の4作目、『ただいま神様当番』に出てくる愛和ネネという踊り子さんは、樹音さんがモデルです。

――リストに、新井見枝香さんの本もたくさん挙がっていますね。『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』、『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』、『本屋の新井』。

 新井さんは書店の仕事だけでなくエッセイも書くし踊り子もしていていろんな肩書がある人ですけれど、私がデビューした頃にすでにカリスマ書店員と言われていて、新人作家には近寄りがたい存在だったんです。でも、最初の最初から私の本を推してくれたんですよね。『木曜日にはココアを』は特にプロモーションもしていなくて、気がついたらじわじわといろんな方に読まれるようになったんですが、新井さんは最初から「面白い」と言ってすごく推してくれた。新井さんが推した本は飛ぶように売れると聞いていたのに、私の本を「AERA」で紹介してくれるなんて新井さんの経歴に傷をつけるんじゃないかと心配したくらいでした。でも結果的に「ココア」は売れたので、新井さんってすごいなと改めて思いました。それを伝えたら「俺も嬉しいよ」って笑ってました(笑)。

 私がデビューした時、彼女はまだエッセイを出していなかったんです。その後、最初のエッセイを読んだらあまりに面白くて「なんだこの人は」と思いました。その後も、出すもの全部が面白い。物書きとしてリスペクトしているし、ファンです。

 『お探し物は図書室まで』が本屋大賞にノミネートされた後、周囲の人の態度が変わっちゃったなと思うこともあったんです。急に寄ってくる人もいれば、離れていく人もいた。でも新井さんは井戸水みたいにずっと変わらないでいてくれるんです。新刊の『月曜日の抹茶カフェ』の第4章に出てくる光都は、実は新井さんのことを書いています。この章は主人公とその友達の光都が両国の温浴施設で一緒にお風呂に入る話ですが、以前、新井さんとその温浴施設に行った時に天窓からお天気雨が降ってくるのが見えて、いつか書きたいなと思っていました。第5章では光都が視点人物になりますが、それは新井さんとは違うんですよね。私は新井さんには憑依できないですね。コスプレできない。

最近の読書、自作について

――リストにこだまさんの『ここは、おしまいの地』も挙がっています。

 こだまさんは、『夫のちんぽが入らない』が刊行される前、告知を見て何か匂いを感じて予約したんです。本が出て読んだら当然面白くて。こだまさんの本は全部持っています。1回だけ、書店員さんから私の本について「こだまさんに通じるものがある」と言われたことがあって、誰もが否定するかもしれませんが、光栄ですしなんとなくわかる気がします。こだまさんが書くものって、生きる苦しさが映し出されているけれど、どこか温もりがあるし、神話的なフレーズがあったりする。読むとほっとするけれど、それは自分と比べてこんな辛い人もいるんだとかいう感覚ではなくて、生命力を感じるんです。大好きです。

――ミニチュア写真家・見立て作家の田中達也さんの『MINIATURE LIFE 2』『MINIATURE LIFE at HOME』も挙げられていますね。田中さんの作品は青山さんの作品のカバー写真も多く手掛けてらっしゃいますよね。

 私は田中さんへの愛が熱すぎるくらいで(笑)。特に『MINIATURE LIFE 2』が好きなんですが、小さい頃に読んだ『ふしぎなえ』と一緒で、ひとつの絵からいろんなものが見えてくるところが好きなんです。田中さんって子どものような純粋な発想の持ち主と言われることが多いんですが、私は子どもとは思っていなくて。眺めていると、大切な人との暮らしを大切にしている、大人の眼差しを感じるんです。お話しする前から、この人にはすごく大切な人がいるんだろうなと思っていたんですが、実際にお会いしていろいろ話しているうちに、それは確信に変わりました。作品も大好きですけれど、人としてもすごく好きです。石井ゆかりさんもそうなんですけれど、田中さんも毎日作品を発表されていますよね。ひとつひとつ積み上げていく強さに学ばされます。

 自分も一歩一歩の重みを大切にしたいと思って、真似して一日一篇書くことにした時期がありました。スケジュール帳みたいなノートに、誰にも見せないという前提で、1年間いろいろ書きました。1冊まるまる書き上げた時の自分に会いたかったんです。読み返すと今は到底思いつかないようなことを書いていて、いい訓練になったし柔軟体操になりました。たまにネタをそこから拾ったりしています。

――ノンフィクションもよく読むのですか。

 読みます。もともとサイエンスがすごく好きなんです。思えば、小学生の頃に読んだ『どくとるマンボウ青春記』や『ムツゴロウの結婚記』も理系の要素がありましたよね。宮沢賢治も鉱物が好きだったりして、サイエンスの人ですよね。

 若田光一さんの『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』はオススメです。東京ドームシティの宇宙ミュージアムで見つけて、ぱっと開いたら、ちょうどそのページに、ホーキングの「恐れるな」という言葉が1行だけ書かれてあったんです。そこにぐっときて買って帰りました。宇宙の話だけれど日常とシンクロするところがあって、実生活にすごく役に立ちます。

 譽田亜紀子さんの『ときめく縄文図鑑』は本当にときめきます。土偶がずらっと載っていて、その土偶も面白いんですが、キャプションがすごくいいんです。土偶を愛している人の文章だなあと思う。

 クリストファー・ロイドの『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』は、『鎌倉うずまき案内所』を書いた時に資料として読んだ本ですが、すごく面白かったんです。10年前に発行された本で、宇宙から始まって現在に至るまでを紹介していて、地球や動物の進化がよく分かる。人間が登場してからの社会や戦争のことも書かれていて、小説を読んで得られるものとはまた違う収穫がある。インスピレーションももらえます。
 人間関係に疲れると、こうした本に逃げますね。人間ではないものを見ていろいろ学ぶというか。本が嫌いと言う人や、小説が読めない時期にいる人には、こういう本がお薦めです。

――漫画はいかがでしょう。

 デビューする前から読んでいる松田奈緒子さんの『重版出来!』は私の指南書ですね。最初は漫画家側の目線で読んでいたんです。東江絹ちゃんという漫画家志望の子が編集者にコミカライズを無茶ぶりされて、吐きながらも描こうとするんですよね。それを読んだ時はまだデビュー前だったので、彼女が辛いのはよく分かるけれど、でも私は、「この人はデビューできるんだな」って羨ましかった。デビューしてからは、版元や取次や書店のこともいろいろ分かるのがありがたいです。勉強になります。

 図書館で見つけたのがきっかけでその後ずっと追い続けているのが伊藤理佐さんの『おかあさんの扉』と吉田戦車さんの『まんが親』。ご夫婦でそれぞれ日常を描かれているんですが、同じ子のはずなのに、母親の目線で描かれたものと父親のそれだと印象が違ったりするのが面白いですね。それに、お子さんがどんどん育っていくので、親戚のおばちゃん気分でずっと見守っています。

 2021年に読んでいちばん面白かったのは吉本浩二さんの『ルーザーズ』。刊行されたのは少し前ですけれど。双葉社の漫画雑誌「アクション」の編集部に実際にいた人たちが、漫画家をどのように世の中に送り出してきたかというお話なんです。時代もあって、すごく編集者が偉そうで、漫画愛が深いんですよ。深すぎるゆえ、勝手に漫画家のペンネームを変えちゃったりする。実際はどうなのか分かりませんが、『ルパン三世』のモンキー・パンチさんは作風からしてすごくお洒落なイメージなのに、素朴な漫画好きの青年として登場するんです。最初は女の人を描くのが下手で、デッサン教室に通われたようですね。そうした話がすごく面白かったです。双葉社っていい会社なんだなって思いました。

――1日のスケジュールは決まっていますか。

 その時の仕事のスケジュールによって全然違うんです。この夏は11月にPHP研究所から出る『赤と青とエスキース』を集中して書いていました。ちょうど夏休みで、息子のお弁当を作らなくてよかったので助かりました。私は夜型なんです。どうしても朝に小説を書く気持ちになれない。夕食を作った後、夜7時か8時から朝まで書いて、朝食とお弁当を作ってから昼まで寝て、起きて買い物や家事をして...ということが多いです。

――最新刊の『月曜日の抹茶カフェ』は、デビュー作『木曜日にはココアを』の続篇的な作品。登場人物は少し重なっているだけですが、各短篇の主人公が鎖のように繋がっていく作りが同じですね。

 去年、「ココア」が10万部突破しそうなくらいの時に続篇を打診されて、最初は迷ったんです。だいたい映画でもパート2ってハードルが高いじゃないですか(笑)。それにひとつ続篇を書いたら、全曜日分書かなくちゃいけなくなるかもしれないと思ってしまって。でも「シリーズとか考えなくていい」と言ってもらって、なら今の自分を書き留めるつもりで書くことにしました。「ココア」に対して何にしようかと考えた時に、抹茶もココアと同じようにパウダーだし、それ自体は苦いけれど甘くして飲むし、色味のトーンも同じ感じでいいかなと思いつきました。それで東京と京都の話にしようと思った時に、そういえば『木曜日にはココアを』のカフェのマスターが京都で画廊をやっているからちょうどいいと気づきました(笑)。

――前作も今作も、ちょこちょこ顔をのぞかせるマスターがすごくいいですよね。謎めいた人ですが、いつも陰の立役者的に誰かの背中を押してくれている。

 いろんな場所で、いろんな人の何かを引き出してくれている人ですよね。実際にこういう人がいてくれたらいいなって思います。

――11月にはもう新刊が刊行されるのですね。今後のご予定を教えてください。

 『赤と青とエスキース』は1枚の絵画をめぐる話で、その絵に関わる人たちの愛の話です。愛といっても恋人への愛、推しへの愛、師弟愛などいろんな形の愛ですね。で、ちょっとした仕掛けもあります。
 その先は、「小説宝石」の12月に発売される新春号から連載が始まります。これは1話完結で、連作になる予定です。もうひとつ、年明けにウェブでも連載が始まります。今、仕込み中ですが、ワクワクするような企画で、私もすごく楽しみです(笑)。