お話を聞いた⼈五味太郎(ごみ・たろう)絵本作家

1945年東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。産経児童出版文化賞を受賞した『かくしたのだあれ』『たべたのだあれ』(いずれも文化出版局)ほか、450以上の著作を刊行。ほかの絵本に『きんぎょがにげた』(福音館書店)、『きいろいのはちょうちょ』(偕成社)、『さる・るるる』(絵本館)など。

30年の時を経て復刊

――1988年に出版された『JAZZ SONG BOOK』がリメイクされ、復刊しました。五味さん自身が往年の名曲を選び、絵を描き、翻訳をしています。どういう進め方だったのですか。

 絵本っていうのは、他の方がどうやってるかは知らないけども、絵を描きながら進行していくやつと、コンセプトがまず先にあるものがあるよね。つまりテキストみたいなものが先にやってきて、流れるようにして絵が出てくるものがあると思うんだけど、『JAZZ SONG BOOK』の場合は詩が先。それをビジュアル化するとどうなるのかな、っていう楽しみだよね。

――そうですよね、翻訳した歌詞が先行しないと始まらない。

 やっぱり翻訳する作業って面白いんだけども、それがもう、すったもんだで(笑)。能力の話はともかく、わからないことがいーっぱいあるから、結果的にいろんな人に、いろんなことを聞いてね。たまたま当時、仲の良かったバイリンガルのやつだとか、そいつの友達のネイティブのやつに聞いてみたりなんてこともあったり。「ミスター・ゴミ、これはやめておいたほうがいいよ」なんてシカゴの親爺に言われたりしてね。なんで? って聞いても「俺たちにもわからないんだからさあ」って。そのとき、そうか。言葉ってそんなもんなんだなって。

 そういうこともあって気楽になったよね。ある意味、適当でいいんだよ(笑)。大雑把でもいい。だけど、しっかり言葉を理解して大切に扱うってことだよ。正解不正解というよりは、あとは詩の世界にどれだけ近づけるかで、訳す人によって随分違うよね。

――詩の世界に近づくって素敵な響きです。リブロポート版は2冊合わせて合計で30曲あります。当時はどのくらい聴いていらしたのですか?

 この本に載っている曲数の5、6倍は聴いていたでしょうね、最低限の話だけれども。CDとかレコードとか、洋服とかもそうだけど、あんまり選ぶことに時間をかけるタイプではないのね。CDとかは絶対にジャケット買いだったな。あとは自然に身体に入っているやつで、衝動で買っちゃうのが好きだからね。

 これは確率の話なんだけども、100枚CDを買ったとしても、ピンとくるのは大体10%もいかないくらい。3、4枚いいのがあったらめっけもんだよね。あとの90枚はしょうがないよねって。そういうものは友達にあげちゃったりしてさ。

 本なんかだって、「面白い」「面白くない」があって、100冊を読んでも結局数冊だけが今の本棚にあるわけで、それ以外のやつは自然になくなっていく本だよね。つまり「もう一回聴きたい」だったり「読みたい」っていう一生モノみたいなものは、そんなに多いもんじゃない。ましてや、高い確率である必要性だってそもそもないわけだよ。

歌詞から広がる、絵の世界

――掲載されている曲について聞かせてください。

 載っている曲は、いろんな人が多く歌っているわけだけど、なるべくネイティブに近いものを聴かないと、なかなか詩の世界が入ってこない。わかってきたと自分が感じたら、この本にようやく載せられるよね、となっていく。いい歌だけどどうも扱いにくかったり、この世界はあんまり魅力的じゃないなって曲は入れなかったり、おれのなかで取捨選択はあったんだと思うよ。だからこの『JAZZ SONG BOOK』に載っているものは、実は曲自体はそんなに面白くなくても、歌詞が面白いっていうものが前提にあったりするよね。

「Fly me to The Moon」なんてのは、いっぱい聴いてたんだけど、訳してみると、アレ? っていう疑問が湧くわけ。これは宇宙を舞台にしたきれいでパーフェクトな曲だから気になりだすわけだよな。木星と火星の間で遊ばせてよっていうところが、当初は「in another world」って聞こえてたもんで、「別世界でさあ」って具合に思ってたの。「別世界で抱いて それでキスしてよ」って言うもんだから。

 それでようやく歌詞を見て「In other words」って言ってることに気づくわけなんだけど、これがいかに甘ったるい歌なのかってことだよ。そしたら、女性が歌った方がやっぱりいい歌になるんだよね。これを親爺が歌ってたら少し気持ち悪いじゃない(笑)。フランク・シナトラも歌ってるし、この曲は「ポップス」としては成り立ってるわけなんだけど、やっぱり訳してみると、男が歌うのはちょっと違うんだよなって。「抱いてよ」みたいなノリは、ちょっと恋の楽しい感じだよね。だから実は、この絵は「宇宙的な連れ込みホテル」のつもりで描いてるわけ。だからちょっとふざけてるの(笑)。

「SUMMERTIME」は当時、Wikipediaのある時代じゃないから、色々調べてみたりするわけでしょ。そうすると元々、オペラの「ポーギーとベス」っていう、お芝居のために作られた曲というのを知るわけだよ。ブロードウェイなんかでやっていた頃のものが、レコードにもなっていてね。

 それを聴くと半分おおらかで、半分悲しくて。でも歌詞の中にある、「父さん金もち 母さん美人」っていうあの感覚で訳してみると、その詩の世界が自分に馴染んでくるんだよね。ずーっと何度も、何度も聴いて訳していくと、やっぱりかわいい歌でララバイ、つまりは子守唄なの。それを訳していくうちに、やっぱりいいなあって段々思っていくんだよね。

「ある日、ある時、目覚めてさ、羽が生えて飛んでいくんだよね、お前」って、それはつまり、自立するってことだよね。「父ちゃんと母ちゃんが守るから、お前は気にしないでおやすみ」って調子だよ。その言葉を追っていくと、いやあ、これはたまらないなって気持ちになるんだよね。

 教育論みたいなものは、こんな調子でいいわけだし、親ってそれくらいの心持ちでいいんだよねって。余計なことはしないで、なによりも守っていてあげる。そんなニュアンスがこの曲に出ているわけだよね。自分が思っていた教育論と重なって、お父さんお母さんは、基本的になにもすることはないんだよ。命さえ守れたらいいんだよね、そうして安心させてあげること。そうしたら子どもはぐっすり眠れるんだ。

 でも、当時のアメリカの黒人が置かれている状況っていうのはそんなに楽じゃない。でも「歌」っていう媒体で扱うがゆえに、こういう曲が出てくるんだよね。そういう背景も含めて、一個ずつ一個ずつ味わっていくわけです。

言葉の見せ方、扱い方

――この曲数を訳していくと、相当な労力が必要ですね。

 ここで時間がかかっても読み間違えちゃいけないのは、歌詞なんだよ。歌がもってる言葉の「軽さ」は、文芸とは全然違うでしょう。その辺のとこであんまりこだわったらつまんないことになるわけでさ。

――言葉のチョイスも独特ですよね。この短さで表現できるものなんですね。

 それは努力の結晶です。短いほうがなんだか、歌っぽいじゃない。あとは英語っていうのは、長い文字数を短く発音するから情報量は多いんだよね。それをまんま訳すと本当に長くなっちゃうんだよ。日本語はね、そこは少し省略したりして。むしろそうしないと失敗しちゃうんじゃないかな。

――言葉の選び方というか、見せ方が、絵本と共通している気がします。

 だって言葉っていうものは、絵を描くのと同じぐらいの勝負どころじゃない? 説明のために扱っているわけじゃないんだよ。歌もそうだけど、説明し過ぎてるものが今の世の中には多過ぎるから。例えば「いつも君のそばに僕はいるよ」って具合になると、うるせえんだよみたいな(笑)。

 つまりは説明というよりも、その言葉の扱い方が、現代では記号化されてきているってこと。言葉が記号化されていったら、表現っていうのはもうおしまいだよね。だからそういった今の流行りの歌みたいなものは後世にも残らないでしょうね。

――詩を絵に落とし込むっていうのは難しい作業ではないんですか。

 全然難しくないよ。沢山描いてしっくりくるまでやればいいじゃない。量をやれる体力がないとやっぱりやっていけないよね。もちろん表現として寡作な人は多いけど、みんな相当量やってるよ。分野は違えど、平気な顔して、谷川俊太郎さんもすごく量を書いてるし。やっぱり見えてくる絵描きとか物書きってすごい量なんだよ。まず、量が描けるってことがすごい大事ということ。量が少なくて、この世の中に出てる人ってまずいないと思う。

生物は「熱交換」

――今さら聞くのも気が引けるのですが、絵本作家という職業についても聞いてみたいです。

 そこでの「絵本」っていう言葉は形を言ってるだけであって、シンプルに絵の本っていうだけだからね。意識としてはやっぱり絵が引っ張ってくような世界っていうことでいいんじゃないのかなと思う。例えばこれを、言葉だけで表現して、字だけで迫っていくのが村上春樹さんとかだよね。

 でもおれはそうじゃなくて、やっぱりそれを聴いて絵を描きたいなっていう感じだよね。「言葉だからこそ絵的に捉えたいし、言葉的にも絵で捉えたい」っていう欲があるんだろうな。だから決してタブローの作家じゃない。絵だけを描けても自分は喜べないんだよね。全部を含めて遊んでるわけだからさ。遊び足りないと嫌じゃないですか。

 あと、ちょっと生意気を言えば、作ったときの「熱」っていうのが絶対伝わるものだなっていうのは実感としてある。やっぱり伝わんなきゃ嘘だよっていうのもあるし、やっぱり手を抜いたら楽なんだろうけど、なんか伝わりにくいんだよねっていうのがあるんで。

――五味さんの絵本には「熱気」がありますよね。

 一生懸命やろうっていう意味じゃなく、結果として一生懸命になっちゃうんだよね。コレ面白いなってずっと描いてるやつには、ちゃんと熱がある。そこを逆に、おれは人様のを見るときも見てるよ。結果として、「こいつノったな」みたいなのは楽しいよ。こいつ幸せだったんだろうなって思うような見方をしてるよね。気配があるんだよね、そういうのって必ず。

 多分、生物って「熱交換」なんだよ。つまり食物を食べて、カロリーを消費して冷えたり、温まったり。今はその生命活動を抑えこむようなことが起きてきてる。産業資本主義みたいなものに無意識的に囚われると、なんか知らないけどみんな元気でなくなっちゃうんだよ。なおかつ、そういう状態の時に「家にいろ」って言われてるからどんどん熱が下がって、自分が何してるのかよくわかんないっていうのが今じゃないのかな。だからみんな「幸せになりたい」というわけのわかんないこと言ってしまうわけ。

――熱は下がってきてる感じはあるかもしれないです。

 熱量がずっと続かないとまずいよね。大人になっても、子どもでも関係なく。そうすると、「人生楽しいのにね」っていう感じの熱量ではなく、表向きのお金とか、評判がいいとか悪いとか、熱量とは関係ないものに重きをおいた価値観になっていくよね。それだけ本当の勝負どころは、熱量と言ってもいいぐらいなんだけどね。

(構成:朝木康友)