お話を聞いた⼈吉田恵里香(よしだ・えりか)脚本家

1987年生まれ。代表作にTVドラマ「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」、映画「ヒロイン失格」「センセイ君主」「ホリック xxxHOLiC」などがある。小説『脳漿炸裂ガール』シリーズは累計発行部数60万部を突破。映画、テレビドラマ、アニメ、舞台、小説等、ジャンルを問わず多岐にわたる執筆活動を展開している。NHKのよるドラ「恋せぬふたり」で第40回向田邦子賞を受賞。

「恋せぬふたり」も恋愛もの

――まずは向田邦子賞受賞、おめでとうございます!

 ありがとうございます。まさか、まさかという感じです。ノミネートの連絡をいただいたときもまさかと思っていたので、受賞できるとは夢にも思っていませんでした。

――もともと向田邦子さんがお好きだったとか。

はい。両親も好きで、家に本が置いてあったのもあって、好きな作家さんの一人です。自分も脚本も小説も書くので、向田さんみたいになれたらな という憧れのようなものもありますね。

――受賞作の「恋せぬふたり」は、今年の1〜3月に放送されてネットやSNSでも話題となった作品です。このドラマで「アロマンティック・アセクシュアル(他者に恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれない人)」という言葉を知った人も多いのではないかと思いますが、吉田さんがこの言葉を知ったきっかけは?

 タイトルは忘れちゃったんですけど、ネットフリックスでアニメかドラマを見ていたときに、ちょっとよくわからないなというキャラクター描写があったんです。それでネットを検索してみたら、そのキャラクターはアロマンティック・アセクシュアルなのだろう、といった文章を見つけて、「アロマンティック・アセクシュアルってなに?」となりました。そこで初めて言葉を知って、自分なりに調べてみて、私たちはこの人たちの存在を知らなくていいのだろうか、何かしら描けたらいいなと思うようになったんです。

――「恋せぬふたり」以前にもアロマンティック・アセクシュアルの企画をちょこちょこ出していたそうですね。

 何回か、深夜枠のドラマの企画として出したことがあります。恋愛感情を他者に抱かない2人がお菓子かパンを夜に食べるという、ゆる〜い深夜ドラマとか。でも、やっぱり恋愛をしないという、“ないもの”を描くのが難しいところもあって、なかなか企画は通りませんでした。当時は取材をするわけでも当事者の方に会うわけでもなかったので、いま考えてみれば覚悟がなかったというか、ちょっと取り組み方が甘かったから通らなかったのかなと思っています。

――その後、希望が叶って「恋せぬふたり」でアロマンティック・アセクシュアルを描くことになります。恋愛を描かないということに戸惑いはなかったですか。

 いやいや。書くことは楽しかったです。ただ、恋愛には物語を引っ張っていく力がものすごくあるんだなということは思い知らされました。物語の軸に恋愛があると、話の展開がわかりやすいんです。でも、実はこのドラマも恋愛がない、恋愛感情を抱かない っていうことを描いているので、結局は恋愛の話なんですよね。だから、そこまでの不自由さはなくて。

――たしかに。恋愛という大きな括りの中の、恋愛感情がないという一つの形なんですね。

 そうなんです。「ない」っていう形。「恋せぬふたり」は、アロマンティック・アセクシュアルを主人公にしたおそらく初めてのドラマで、その言葉の意味や存在を知ってもらう必要があったので結局恋愛の話になったんですけど、私はそこで終わりにしたくないなと思っています。数年後に、またアロマンティック・アセクシュアルを主人公にした物語、それも何でもない日常を描いたものを書いてみたいんですよね。例えば銭湯にいく話とか、キャンプする話とか。そのときこそ、初めて何を軸にしたらいいんだろうって戸惑うのかもしれません。

言葉に縛られて決めつけない

――とてもセンシティブなテーマですが、脚本を書くうえで気をつけていたことは?

 当事者の方が見て、傷つかない、嘘がないようにしたいと思っていました。もちろん完璧にとはいかないと思うんですけど、それでも自分の中のベストを描きたいなと。考証の方にも入ってもらって、当事者の方をいちばんに考える。ただの興味本位でネタにしてはいけないという気持ちが強くありました。

 何でもそうだと思うのですが、理解を深めていくときって、決めつけから入っていきますよね。私も当初は、アロマンティック・アセクシュアルだから「恋愛感情を抱かない人、性的なことに興味がない人」といった決めつけをし ていました。でも、セクシュアリティって、どのセクシュアリティでもグラデーションがあって、一つに決めつけられる ものじゃないんだということがだんだんわかってきたんです。同じセクシュアリティでも描き方に隙間をもたせて、決めつけにならない描き方をしようと心がけました。

――主人公の咲子と高橋の2人もアロマンティック・アセクシュアルといってもちょっとずつ違いますもんね。

 そうですね。考証の方にもいろいろとアドバイスをもらって、2人の差別化は特に意識しました。咲子は接触は平気な方で性的交渉も何がいいかはわからないけどできる。一方の高橋は、人にちょっと触られることすらしんどい。セクシュアリティだけでなく生まれ育った環境も含めて、いろんなパターンがあるということを描けたかなと思っています。

――そういうグラデーションを見せられて、「普通」や「当たり前」といった決めつけになるような言葉を軽々しく使ってはいけないなと考えさせられました。

 私も「恋せぬふたり」を書いてから、「普通」ってまったく万能な言葉ではないなと思いました。「普通の人」「普通の生活」など、「普通」を便利づかいしているけれど、全然便利じゃないんですよね。「普通」って特定の人たちの中で決めつけたものでしかない。とはいえ、「普通」って言葉はポロって口から出ちゃうので、「あくまでも私にとっての『普通』だけどね」という具合に、ちょっとしたエクスキューズを括弧付けするようになりました。これはこのドラマをやってから自分自身の中で大きく変わったことかもしれません。

ドラマも小説も余白を大切に

小説「恋せぬふたり」プレスリリースより

――小説は、咲子と高橋のそれぞれの視点から描かれています。神の目で描くこともできますが、一人称で描いたのには何かねらいが?

 映像作品には余白や余韻、見ている人の想像にまかせる部分があると思っていて、それがよいところでもあるんですが、アロマンティック・アセクシュアルについての描写や考え、咲子や高橋の気持ちがちょっとグレーになってしまった部分も少なからずある気がしたんですよね。一人称にすることで、そうした部分を補えるし、彼らの口調になるので堅苦しくならない。多分、神の目線にしてしまうと、俯瞰で見るので突き放した感じになってしまうんじゃないかな。あとは、ドラマを見て主人公の2人を好きになってくださった方たちがきっと知りたいであろうことも、一人称ならキャラクターの深掘りができて伝えられるかなと思って、一人称で書きました。

――ドラマは役者さんの表情や演技をはじめ、音や光、美術など視覚から情報を補える部分も大きいですよね。それらを小説にする際に言葉に落とし込んでいくのはなかなか難しいことだろうなと想像するのですが、特に難しかったというところはありますか。

 やっぱり冒頭の部分です。アロマンティック・アセクシュアルについて、自認する前の咲子の目線で理解していくときに、選ぶ言葉はピンポイントすぎてもいけないなと思って、必ずしも説明に適しているものではない言葉選びをしました。彼女が理解していくように描きたかったんですよね。

 あとは、後半で高橋の過去が描かれる部分。ドラマよりも小説はもう少し詳しく書いたのですが、これは本当にドラマを見ていた人たちが知りたいことだろうかとちょっと悩みました。視聴者の頭の中に余白があるからこそ整合性がついている部分がつかなくなってしまうかもしれないと思ったんですよね。人間ってすべてが理屈じゃなくて、矛盾している部分もある。そういう人間らしさみたいなものを出したかったので、そこはドラマの時から気をつけていました。なので、小説でもちょっと深掘りをしつつも、余白を全部埋めてしまわないよう努めました。

――ドラマだと尺の関係もあってカットせざるを得ない部分もあります。ここは小説に入れられてよかったというところはありますか。

 細かい部分ですけど、1話においての千鶴(咲子の親友)や咲子の両親の会話はだいぶ復活しています。ドラマだと、特にサブの人たちの深掘りは難しいんですけど、小説には彼らの会話が少しずつ盛り込めて、それぞれの優しさや不器用さも出せてすごくよかったなと思っています。

――たしかに、個人的には咲子のお母さんの見え方が小説だと変わりました。ああ、お母さんにも葛藤があったのだなと。「恋せぬふたり」には、すごく嫌な奴や悪い人がいませんよね。そこも何か意識されていたんでしょうか。

 そうですね。一つのセクシュアリティを描くので、その他の人たちが悪者とはしたくなかったんですよね。しいて悪い人といえば、浮気をした大輔(咲子の妹・みのりの夫)くらいかな。最初は彼にも何か救いをと考えたんですけど、そうなると伝えたいテーマの一つでもある「家族のあり方」からずれてしまう気がしたんですよね。

 家族って両親がいなくてもいいし、子どもの幸せもあるけど、みのり自身にとっての幸せも考えなければいけなくて。すべての人がそうとは限らないけど、彼女には実家という帰る場所がある。だったら、離婚をしてそこに戻ってもいいんじゃないかって思うんです。実家にずっといたり、実家に戻ったりすることに対して否定的な考えがありますけど、でもそれってそんなに悪いことなのかなという気持ちがあって。自立していないといけない、女手ひとりで育てないといけないというのも押し付けですよね。だから、大輔にはちょっと悪者になってもらって(笑)。

――(笑)。勝手にまわりが思っている美徳のようなものを押し付けることはしたくないと。

 そうですね。私自身は家族とすごく仲がいいし、家族も大好きだけど、だからといって「家族ってすばらしい!最高!」みたいに描くのはやっぱり暴力的だなと思うんです。家族なんて大したものじゃない、そんなにすばらしいものでもないし、いなくてもいいし、(血縁とは関係ないところで)別で作ってもいい。「恋せぬふたり」では、「家族」って言葉に縛られたり、何か負い目や劣等感を感じたりする必要はないんだよってことも伝えたかったんですよね。

――今後はどんな物語を書いていきたいですか。

 「恋せぬふたり」でいろいろな勉強ができたし、いろんな声を聞くことができたので、同じアロマンティック・アセクシュアルを扱う作品でも、この作品で補えなかったことや反省点も含めてアップデートしたものを書いてみたいですね。

 まだ、いまの段階ではできないけれど、私の願望というか希望としては、これからアロマンティック・アセクシュアルの方を描く物語がどんどん増えて、その言葉の説明をする必要がないくらいになればいいなと思っています。そしたら、アロマンティック・アセクシュアルの人を主人公にした日常系の 物語も書けるような気がして。よしながふみさんのマンガ『きのう何たべた?』も、はじめに「ゲイとは……」という説明はないですよね。特定のセクシュアリティの人たちが劇的なドラマのために存在するのではなく、ただそこにいるっていうことを少しずつでもやっていきたいです。

――そういう物語が増えることって、それだけ彼らの存在が社会で認知・理解されてきているという証ですもんね。

 あとは、所得格差や地域格差といった「格差」に興味があります。「恋せぬふたり」を見た方の感想でも「この人たちは恵まれているから」「高橋には持ち家があるから」といったものがありました。私自身もドラマを見る時、登場人物の経済状況が気になってしまうことがあります。「え? この夫婦、ファミリアで赤ちゃんの服買うの? ふだん使いの物を、全部ファミリアで買えるってめっちゃお金持ち」みたいな(笑)。

 自分はどちらかというと恵まれている方だとは思っているんですけど、だからこそ見落としてしまっている部分があるのかなと。格差の問題をただ大変で苦しいこととして描くだけではなくて、その背景には当事者にはどうしようもない、家庭環境や社会構造が絡んでいることを、見ている人の理解が進む形で描きたいです。いまのところ、ラブコメなどのライトなものが得意と評価していただいているので、そういった格差の問題をエンタメにくるませて伝えていければいいですね。興味も理解もなかった人たちがちょっとでも変わってくれるとうれしいので、そういう作品を世に送り出せたらいいなと思っています。