『僕の狂ったフェミ彼女』あらすじ

 就活を前に不安な僕を癒してくれた、愛らしい僕の彼女。毎日のようにベッタリで、付き合って1周年を迎えた。そんなとき僕は、1年間の海外インターンシップに行くことに。遠距離は不安だけど、彼女なら安心だ、待っていてくれるはず――。しかし、出国当日。空港にいたのは、涙ぐむ彼女を抱きしめる僕ではなく、別れのメールをもらってメンタルが崩壊した僕だった。
 そんな初恋を引きずりながら 大企業に就職し3年目を迎えた「僕」ことスンジュン。周囲はほとんど結婚して、「まだ独身なの?」とからかわれることも多い。結婚する女性を選ぶだけなのに、なかなか結婚への意欲がわかない。そんなある日、初恋の彼女と出くわした! 心がまた動き出す……ところが、彼女はこともあろうにフェミニストになっていた!(より)

●『僕の狂ったフェミ彼女』試し読みは

年を重ねるにつれて大きくなっていった違和感

――韓国内で、たいへんな反響を呼んでいます。フェミニストの彼女と、「何にも考えてない」男性の主人公・スンジュン。二人の物語がジェットコースターのように展開しつつ、韓国社会での男女観、結婚観、ジェンダー観に関して、まとわりつく「暗雲」の存在を描き出しています。

ミン 私は新人ですし、出版社も新しいところだったのですが、やはりタイトル(『僕の狂ったフェミ彼女』)が目立ったのか、大勢の方々が読んでくださり、とても嬉しく思いました。もちろん、アンチフェミニストの攻撃もありました。特にこの作品がウェブ漫画になった直後、私の写真が男性中心のウェブコミュニティの掲示板に晒され、2500件以上のコメントがつきました。ほとんどが私の外見に対する侮辱の言葉でした。「(私の作品が)モテない、ブサイク女の妄想だ」「フェミはブサイク。フェミしそうな顔」といったものをはじめ、「殴って殺したい」といった暴力的なコメントも相当ありました。直接的な悪口でしたので、数日間、眠れなかったです。結局、そのうちいくつかを弁護士と相談して警察に告発しました。

――卑劣な中傷。しかも自分は顔を見せずに。卑怯者ですね。

ミン ただ、作品については、一部のフェミニストからも「フェミニズムの話をするために、なぜ男との恋愛を描くのか」「男にすり寄るのはやめて」などといった批判がありました。その気持ちも分からなくはないですが。

――それにしても、韓国の若者の恋愛観や性、結婚に対する葛藤がリアルに綴られていて、疾走感のある文体。いったい、どんな生い立ちを経て、このような問題と向き合うようになったのですか。

ミン 一人娘として育ち、高校時代までは学校でも成績が良ければそれでオッケー的な感じでした。今となっては恥ずかしいことですが、男女差別をそこまでは感じていませんでした。とてもボーイッシュな女の子でしたので、男の友達と気兼ねなく付き合っていましたし。ところが、大学生になってから、いきなり男性の先輩や同級生から「女性」として評価されるようになり、衝撃を受けました。彼らは「女の子の中で誰が一番可愛いか」「体つきがいいか」、平気でランキングをつけていました。「なぜこんな扱いをされるのか」。おかしいと感じました。

――ルッキズムとも結びついて。

ミン よく考えてみたら、私は10代から無意識にこの「女扱い」に気づいていて、それが嫌いだったから、ボーイッシュな女の子でいたのではないかと思いました。仲の良い男友達や中年男性の先生が、可愛い女の子たちをどう捉え、どう扱うのかを全部見ていましたから。だから、自分はできるだけ女性として認識されたくなかったのでは、と思います。深くではありませんが、社会や学校でのミソジニーをもう知っていたのです。

 でも、20代からは容赦なく「女扱い」が始まりました。この社会で女性はいつも綺麗な恰好でいることを求められる。自分には無理でした。そのため、話や趣味が合う男性と友達のような恋愛をしました。相手も、社会的に男性が求められている「収入」「職業」の基準を私が求めなかったので、解放感を感じていたのではと思います。

――そして、30代になると、「結婚」の2文字が重くのしかかる。

ミン それなりに友達感覚で楽しく過ごしていた相手との関係が、いきなり「結婚の悩み」に繋がってしまいました。私は、この家父長制のもと、一般的な結婚をして、妻になることは想像もしたことがありません。その時点から、恋愛はどんどん難しくなりました。一方で、周りでは結婚する友達がどんどん増え、生活が変わっていくのを見る中で、この社会で、男と女の立場の違いがいかに大きいかを実感することとなりました。

韓国女性らを覚醒させた江南駅殺人事件

――年齢を重ねるにつれ、新たな葛藤を抱えていく。そしてご自身は、2016年にソウルの地下鉄「江南(カンナム)」駅で起きた殺害事件に、たいへんな衝撃を受けたそうですね。

ミン はい。


韓国におけるフェミニズムが活発化する契機となったのは、2015年、中等呼吸器症候群(MERS)が流行した時のことです。海外旅行に行った女性が韓国にウイルスを持ち込んだというデマが流れ、ネット上にミソジニー的な言説が溢れる事態となりました。
(中略)
さらに、翌年の2016年に起きた「江南(カンナム)駅殺人事件が、こうした動きをさらに加速させました。江南駅前のビルの男女共用トイレで二十代の女性が殺害されたこの事件が、女性を無差別に狙ったフェミサイド(女性嫌悪殺人)だとわかると、多くの女性が「被害者は自分だったかもしれない」と感じて声を上げ始めたのです。 『僕の狂ったフェミ彼女』「訳者あとがき」より                                    

――江南の事件をめぐる、報道や司法の姿勢に対し、違和感を抱いたそうですね。

ミン ニュースを見た瞬間、私を含め大勢の女性たちは「ミソジニー犯罪」だと分かりました。男女共用のトイレで、犯人は女性が入るのを待って殺したこと、女性に対し被害者意識を持っていたことが明らかになりました。女性にとってはまだ危ない面も多い韓国社会で、また女性が被害者になった。いつも、知らない男性犯罪者の暴力に怯えながら生活している女性たちには、他人のことだとは思えない。とても悲しい事件でした。私がそのトイレに入ったら、殺されたのは自分だったことを知っているので。

 ところが、男性の多くは女性の恐怖を理解できず、警察も「ミソジニー」や「ジェンダー」とは関係ない、ただの精神疾患者の「通り魔事件」だと処理しました。まわりの男友達たちも、この件だけは理解するのが難しかったようです。私は最初、努力して説明してみたのですが、それは辛いことでしたし、だんだん諦めてしまうようになりました。大勢の女性たちも当時、私と同じ経験をしていたはずです。この事件が、今の葛藤の始まりだったと思いますし、大勢の女性が覚醒するきっかけになったと思います。私もそうでした。それ以来、この問題に関して話が通じない人とは、恋人にも友達にもなれないようになってしまいました。

――事件が、敢えて言うなら「矮小化」されて広まる社会に危惧を抱いた。

ミン そうですね。「国から無視される」感じです。大勢の女性たちが怒りを感じ、韓国社会の性差別とか、そういう問題に反発し始めるきっかけになったと思います。事件までは普通に趣味の話を楽しくしていて、話の合った友達が「考え過ぎだ」「被害妄想だよ」「なんで女性たちはそんなに大げさなの?」。そんな反応ばかりだったので、それが衝撃でした。

 事件後に江南駅の周りでは、(被害者を悼む言葉を記した)ポストイットを貼る姿がよく見られました。私も2、3回ぐらい行ったんですけど、私ひとりじゃなかった。恐怖感、絶望感が私ひとりのものではなかった。連帯できる人たちがいることをその場で感じました。

事件数日後の江南駅周辺の様子。たくさんの花束やポストイットに綴られた追悼の言葉であふれていた=ミン・ジヒョンさん提供

――事件以来、女性による発言が高まる一方で、更にアンチも生まれていきました。

ミン 韓国の悪名高い匿名掲示板「イルベ(日刊ベスト貯蔵所 ※)」民が、その場に来て妨害をしていました。そこに集まっている女性たちに悪口を言ったり、物理的衝突もあったりしたんです。すごく怖いし、ムカつくし、こういうことが起こると、言い返したくなる。闘いたくなる。そんな感情になっていったと思います。

※日刊ベスト貯蔵所・・・韓国のコミュニティサイト。「イルベ」はその略語。極右的・ミソジニー的な過激な書き込みが多い。

あえて男性目線でフェミニストを描いた

――ところで、この物語は、一人称視点で進んでいきます。フェミニストの彼女ではなく、主人公の男性スンジュンの視点で綴られますね。

ミン 男性から、立場の異なるフェミニストの彼女を批判させることで、逆説的に、主人公の男性の歪みを描く手法をとりました。同様の手法でかつて大ヒットした物語、例えば「猟奇的な彼女」は、男性の立場から「ちょっと変わっている、変な女の人」を描写し、彼女に振り回される「かわいそうな自分」を見せながら、コメディタッチで一般の人たちの共感を得る構造になっていました。

 私が10代のころに映画を観客として観た時は、あまり感じなかったんですけど、フェミニストになった今、観てみたら、女性を対象化し過ぎていて、共感できなくなりました。ただ、そういう構造がむしろ、私の書きたかった小説の内容を生かすために、戦略として面白いかもしれない、とは思ったんです。

 この小説を書こうとしていた時にはもう『82年生まれ、キム・ジヨン』など素晴らしい作品が生まれ、女性の視点で、女性の問題や考えを語る作品を数多く目にしました。そんな時、姑と嫁の葛藤を描く、韓国のドキュメンタリー映画を観ました。「B급 며느리(Myeoneuri: My Son’s Crazy Wife)」。嫁は、韓国特有の家父長制のしきたりから逃げたい人で、無理なことを言っているのは、むしろ姑でした。このような風刺的なタイトルならアイロニーもよく見せることができるし、姑はもちろん、嫁の立場まで、より鮮明に見えるような気がしたのです。「彼氏が自分の観点では理解できない彼女のことを語る小説を書いてみたら面白いだろう」と思いました。

日韓でベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』

――ご自身と考えが正反対の男性主人公の心情を描くのは、ストレスだったのでは?

ミン 変に「挑戦したい」気持ちがあって(笑)。男友達と話が合わなくて、変なことを言われても、ある時点を過ぎてからは、むしろ好奇心を持つようになったんですね。それでどんどん聞いてみたんです。すると、その人なりの正当性、論理みたいなものがあることに気付きました。私とは考え方も違うので、同意はしないけど、ミソジニーの基にはこういう考え方があるのか、と。人間研究です(笑)。そういう会話での経験や、ミソジニーにハマる韓国男性を分析・研究する本を参考にしました。

――物語にはセクハラを繰り返す作家が登場しますね。まったく同じ問題が日本の映画界や演劇界などでも、今、問題になっています。

ミン 私は映画やドラマの脚本を書きつつ、「韓国映画性平等センター」で講師を務めています。映画界で、いくつものセクハラ問題が露呈し、大勢の業界関係者が衝撃を受けました。その対応のためにつくられた公的機関です。そこで性暴力を防ぐための啓発を行っています。映画界の仕事はプロジェクト単位ですので、持続性があまりない。このように期間が限られている仕事の場合、セクハラがより起こりやすい環境です。

 私が出版社で働いていた時代に聞いたことや、「#MeToo」運動の流れでさまざまな分野での被害告発が続いていましたので、文学界や出版界で起きたことを参考にしながら、小説に盛り込んでいきました。ある部分では、自分の経験も含めています。でもそれはすごくよくある、本当に「普通」の被害だったんです。それが実際誰の経験であろうが、「あまりに『普通』な経験である」ということが、重く受け止めるべき事実かもしれません。

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マイノリティ同士の連帯、めざしたい

――主人公スンジュンの一家がソウルから故郷・大邱(テグ)に一時的に帰り、大家族で集まるシーンがあります。男たちは酒宴を繰り広げ、女たちは厨房でひたすら料理をこしらえる。家父長制の強く残る韓国の、特に地方のリアルが描き出され、「韓国らしさ」を感じつつ、息苦しさも覚えつつ。

ミン じつは、あのシーンは初稿では存在しなかったんですが、編集者と話しながら追加しました。スンジュンの背景……とても普通の家庭で、家父長制の下で育ってきた息子としてのスンジュンの世界の限界。そういうのを表現したかったんです。彼自身が、意識が低いし、単純な人であるのも事実ですが、それで話が終わるよりは、スンジュンがこのように育ったのは、このような社会、家庭においては自然だったというところまで見せたかった。問題は個人だけじゃなく、文化や社会にもあることを指摘したかったのです。

――その大邱でのシーンで、ソウルからやってくる、未婚の叔父さんが登場しますよね。「ああ、この彼はゲイかもしれない」って、当事者である私は悟ったんです。「悟った」というか想像がついた。ところが、スンジュンは彼女にその可能性を指摘されると、「そんなわけない」とちょっと激高する。「ああ、韓国の性的マジョリティ男性は、ゲイに対してこういう反応を示すのか」と寂しく思いつつ読みました。そもそも、「親戚が性的マイノリティかも」という可能性を、ここで示唆した意図とは?

ミン フェミニストの間で重要な問題の一つとして「マイノリティの連帯」というのがあるので、それを表したかった。スンジュンみたいな一般男性は、そういう想像力もすごく低いし、口では「反対しない」みたいなことを言いながら、「それが気持ち悪いと思う僕の気分も尊重されるべきじゃないの」みたいに言うんですよ。そういう認識の低さをちょっと表現したかったんです。「今、あなたたちはこんな認識しかないでしょ」みたいな。そういうのもありました。

 特に国を問わず、特定のマイノリティを差別するのが「女性のため、正しいことだ」と信じ、フェミニズムの名で差別行為を正当化している光景をたまに見ます。とても悲しいことです。それは極端なフェミニストとかではなく、ただの「差別主義者」だと思います。

――私は「トランス排除的ラディカルフェミニスト(Trans-Exclusionary Radical Feminist、TERF(ターフ))の人たちのことを想起しました。ここで訳者の加藤さんにもお伺いしたいのですが、SNS上で、トランスジェンダーに対してそうした排除的な考えを持つ人の投稿に対し、加藤さんが「いいね」を1度押してしまったことが、思わぬ波紋を呼んだ事態があったそうですね。

加藤 そうなんです。(当該投稿の差別性に)「気が付けなかった」ことが一番大きな反省点です。投稿には「性別を変えなくても、ありのままで尊重されるべきだ」といった趣旨の文言が綴られていて、それを「多様性」のような良い意味、浅い意味で捉えてしまった。私の認識が浅かったことが、その時は分かりませんでした。性的マイノリティ当事者を支援する立場の方々の話を伺って、それが明確に差別の助長に繋がる内容だったことを知り、改めて、自分でしたことが間違っていたと分かりました。

 今までも、「当然あらゆる差別は許されない」と思ってきました。でも、フワッと、というか。「ダメ」とは知っていても、「何が問題なのか」「どうダメなのか」を考える機会が今まで持てていなかった。それに今回気づき、反省しました。排除的な考えはこの作品のメッセージとは対極のものであり、トランス差別には反対の立場であることを、この場をお借りして改めて表明したいです。

ミン 韓国では、これは最近のことなんですけど、トランス女性が女子大への入学を諦めたことがニュースになりました。学生の反発がすごかったんです。性的マイノリティのトピックは話題になるたびに大きな議論を呼びます。過激な意見を持つ人も発言するので、それが個人的につらいし、そういう差別発言をフェミニストの名前でされるのもつらい。「アンチフェミ」の人を批判するのはそれなりにラクなんですが(笑)、こういう方々に対してどういうふうに話したらいいかは、すごく難しいです。

 今回の取材の前に、私も調べてみたんですけど、TERFの人たちの考え方の背景には、女性たちは自分の空間をいつも侵害されている、社会が守ってくれないからそうした不安はずっと女性たちだけにのしかかってきた、という思いがある。だから、(TERFの)彼女たちの問題だけじゃなくて、社会的な解決も必要だっていうのを、また改めて私も認識するようになりました。これは本当に複雑な問題だなと思っています。

――そうですか。たしかに一部の人たちの考え方を否認するだけじゃなく、そういう考えを持つに至った社会的な背景、俯瞰してケアの方法を考えないことには始まらない。

ミン それを前提としてほしい。でも「女性の安全を理由にした」からといって、それで全部済むことにはやっぱりならない。差別は絶対あってはならないことだと思います。TERFは、フェミニストと言いながら、ただの差別主義者。それには反対です。

加藤 私のアカウントで「こういった認識で『いいね』をしてしまったけれども、問題に気づき、謝罪します。差別に反対します」という趣旨の投稿をしたんですね。すると今度は、それに対する大きな反応がありました。「いいね」を押したことを晒されたのも怖かったけれど、それ以上に私が「怯えて謝罪をさせられた、自分の頭で考えていない」みたいな受け取られ方をされて辛かったです。

ミン 韓国でもTERFは特にSNS上に集まっていますが、「日本にもこんなにいたのか」と初めて知ってショックを受けています。謝罪を加藤さんが投稿したら、また炎上して、トランス差別反対派とTERFのパワーゲームのような状態でした。

黒田(日本語版の担当編集者) ただ、今は「『いいね』を押しただけで謝罪させられた」という話だけでは、私たちは収めたくないんです。今回の件で、排除的な考えを持つ人たちがトランスジェンダーの方に対して、信じられない暴言を吐いているのを初めて知りました。しかも、それを日常的に、です。トランスジェンダーの人は常にこれに晒されていることすら、少なくとも私は知りませんでしたし、知らずにいられたことは特権的だったと、加藤さんとも話し合いました。私も今回の件まで認識が浅く、多様性という言葉だけを受け取って、問題が見えていませんでした。当事者は過酷な経験をしてこられたと私たちは受けとめています。ジヒョンさん、加藤さんもおっしゃったように、最初は怖かったんですけど、やはりあれは差別をされている当事者からの、本当に「叫び」みたいなものだったと思います。

 私自身は、話題になるような本を出す出版社としての意義も問われていると思っています。『僕の狂ったフェミ彼女』がたくさんの人に読まれ、世の中を確実に、ほんの少しかもですが、変えている実感があるからこそ、フェミニズムが誤解される原因になったり、さらなる差別が生まれたりするのが耐え難いです。

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――議論に関わろうとする人同士の、建設的な意見交換になれば良いのですが、曲解され、拡散され、思わぬところで炎上を繰り返していく。どうやら相互理解を到達点としていない人もいる。

加藤 もどかしい。なぜそう解釈するのか。自分の知らないところでどんどん拡散されていって、話がどんどん大きくなって、信じられませんでした。でも、こういう問題の所在を改めて知って、自分自身、これから向き合っていかなければと思いましたし、今まではただ漠然と差別はいけないって思っていたんですけれども、本当に明確に反対という立場を自分の中で固められた機会になりました。

新しい恋愛のカタチと日韓フェミニズムの未来

――社会の一角で、このようなハレーションが起きていること自体は、もっと多くの人が気づいて良いと思います。私も、性的マイノリティ当事者でありながら、歴史や現状の理解が足りていない。もっと学び、差別をなくすために尽力したい。加藤さんご自身は、今回の本を翻訳しながら、どんなことを考えましたか。

加藤 フェミニズムは本来、誰もが「こうあるべき」という規範を押しつけられることなく、そこから自由になり、自分らしく生きられるようになるためのものだと思っています。これまであまり深く考える機会のなかった方にも、ぜひこの本をきっかけに関心を持っていただけたらと思います。スンジュンのように、社会の刷り込みによって無自覚のまま差別してしまうケースは多いですし、私のように認識が浅いがゆえに差別に加担してしまうこともあります。気づき、考え、話し、正しい知識を得ていくことが大切なのだと思います。この本がそういうきっかけの一つになってくれることを願っています。

――日本語版を刊行されるにあたり、どんな点に気を付けましたか。

加藤 原文がとにかくテンポ良く読み進められる文体なので、翻訳でそれを壊さないように意識しました。ジヒョンさんとも編集者の黒田さんとも、たくさん意見交換しながら、原文の持ち味を生かしつつ、読みやすい日本語になるように心がけました。

――日本でもジャーナリストの伊藤詩織さんの一件があり、急速にフェミニズムに対する関心が高まっていると感じます。本作はアジア各国でも翻訳の動きがあるそうですね。

ミン 既に翻訳本が出版された台湾の読者の皆さんの反応を「Google翻訳」で見てみました。私のイメージでは、台湾はどの国よりもフェミニズムとしては先を行っている印象を抱いています。総統も女性ですし、同性婚もできる。台湾の方々は共感をしながらも、「韓国はまだこんな問題があるんだ」みたいな、そんな感じ(笑)。そういう反応は面白かったです。台湾の女性読者は、「ちょっと昔のことのように感じるのかな」と思いました。

――読者からの反応を目にしたことで、新たな知見を得ましたか。

ミン 本作は、「女性はこんなに変わった。だから、男性たちも変わらないと!」という話です。でも、男性が変わるのを待つしかできないじゃないですか。「何か他にできることはないのか?」とは悩んでいました。その悩みの流れの中で、「ポリアモリー」や「オープンリレーションシップ」、つまり独占しない恋愛をする方々の話を見て、「これなら(恋愛も)意外とできるんじゃないか」と思って、最新刊の『나의 완벽한 남자친구와 그의 연인(私の完璧な彼氏と彼の恋人)』では、そんな恋愛を描いています。

――誰かのモノになる、つまり所有されてしまうと、自分らしさを保つのが難しくなる。そこから踏み出すことが、どんなセクシュアリティにとっても、呼吸のしやすい関係性を築けるかも知れない。

ミン そうだと私は思います。そうした人たちにインタビューしてみると、今まで私たちがやってきた独占恋愛とは違う方法で恋愛をしています。すべてのことを二人で会話して決める。いちいち決める。いわゆるこれまでの恋愛だと、恋愛中は「こういうのが普通だよ」みたいに、さらっと決まったり進んだりしますよね。私の同意はいらないかのように進む場面も多いじゃないですか。でも、こういう新しい関係では、常に話し合う。すごく理想的だと思いました。

ミン・ジヒョンさん新刊『나의 완벽한 남자친구와 그의 연인(私の完璧な彼氏と彼の恋人)』

――日韓は近似点の多い国です。フェミニズムをめぐる今後の潮流について、どう見ていますか。

ミン 両国は本当にいろんな面で似ていると思います。同じ東アジアで、歴史もいろいろ絡んでいるから、互いに大きな影響を与えていると思います。ミソジニー文化もとても似ている(笑)。でも最近、変化を感じるのは、「文学」や「フェミニズム」、特に二つを合わせた「フェミニズム文学」の分野で、韓国から日本に大きい影響を与えているように思えることです。私が留学中の2000年代、日本でこんなに韓国作家の作品が翻訳され、読まれるなんて想像もできなかった。むしろ以前は日本からの影響力が大きかった。

 『82年生まれ、キム・ジヨン』が広く日本で読まれてから、これをきっかけに日本で韓国の若い女性作家たちの作品が活発に紹介されるようになりました。韓国では江南の事件以来、フェミニズム運動とフェミニズム文学が発展しました。その中で、力量ある女性作家が成長し、良い作品が次々と出ています。このような韓国の現在に興味を持ってくださる日本の方々が、「韓国の方が先を行っている」と言ってくださるのを聞き、嬉しい半面、複雑な気分になります。

――不幸な事件が契機とはいえ、韓国には覚醒した人々がたくさんいる。皆さんから学ぶべきことがたくさんあります。

ミン これからも頑張ろうと思いつつ、実際はバックラッシュでとても苦しいことも多いし、韓国もまだまだ足りない面がいっぱいあります。日本の映画界の性暴力のことなどを見ていると、韓国でもまさに同様のことがあったので、他人事とは思えないのです。日本の女性たちがどれほどの困難と向き合っているのか。日本社会の責任ある対応を期待しています。日本のフェミニストと連帯し、役に立ちたい。この本をきっかけに、たくさんの方々と出会えました。これからも日本の方々と話し合いながら、それぞれの国で経験するいろんな問題を一緒に乗り越えるフェミニスト仲間になりたいです。

お話を聞いた⼈ミン・ジヒョン

1986年、韓国生まれ。西江(ソガン)大学校で国文学と新聞放送学、日本学を学ぶ。2008年、日本に交換留学した際には東北大学の学友会映画部に所属し、自主映画「あんにょん、サヨナラ」を制作した。韓国芸術総合学校の映像院映画科大学院で劇映画シナリオを専攻。2015年、「朝鮮公務員 呉希吉伝」で「大韓民国ストーリー公募大展」優秀賞を受賞し、2019年にはテレビドラマ「レバレッジ−最高の詐欺師たち−」の脚本を執筆。映画とドラマの現場で脚本家を務めながら、「韓国映画性平等センター」に所属し、性暴力予防教育講師としても活動中。2019年5月、本作を刊行。

加藤慧(かとう・けい)

1986年、日本生まれ。東北大学工学部を卒業。同大学院博士課程科目修了退学。2013年に漢陽(ハニャン)大学校大学院に交換留学し、韓国建築史を学ぶ。現在はオンラインで韓国語レッスンを行うほか、大学非常勤講師として韓国・朝鮮語の授業を担当。